青龍山桃源寺
寺院情報
寺院名 | 青龍山桃源寺 |
所在地 | 常滑市山方町2-57 |
御本尊 | 准胝観世音菩薩 |
宗 派 | 曹洞宗 |
創 建 | 不明 |
札 所 | 知多本四国移 三十番札所 常滑郷廿一大師 三番札所 |
御朱印 | - |
H P | - |
参拝日:2019年10月9日
常滑郷廿一大師 札所一覧
由緒・沿革
詳しい由緒については明らかになっていません。一つの情報としては、以前紹介した「天澤院」の末寺であるとされています。
この桃源寺が建つ場所は、色々情報を探していると常滑城の東側の曲輪に当たる場所になるようなのです。
実際、桃源寺周辺の地勢を歩いて見ていると境内部分が周囲よりも高くなっている様な・・・。そんな気もするのですが、まあ特段遺構が残っているわけでもなく、宅地化されている為、明確な縄張りがわかる訳ではないので、先ほど述べたように何となくこの辺りの土地が盛り上がっているから曲輪跡かな?と思うくらいなんですが。
常滑城址の石碑脇にある常滑城説明板になります。
常滑城の規模として東西に75間、南北に11間という非常に細長い縄張りになっていた様です。実際、説明板の城郭図を見ていると、非常に横長な縄張りになっていますね。上が北側という事で、左側には伊勢湾があり、右側は知多半島の中央を南北に走る山間部になります。常滑城址の石碑がある場所は一番左側の曲輪部分と思います。そして今回紹介する桃源寺は前述の情報に当てはめると一番右側の曲輪部分になるかと思います。しかし、石柱と桃源寺の直線距離で計測すると330mほどあるようです。常滑城の東西は75間という事でしたので、メートルに換算すると凡そ136mになります。
「あれ・・・まったく距感が合わない・・・・」
もしかしたら、75間というのがいつの時代の常滑城を示しているのかが分からないのですが、もしかしたら初期の常滑城の大きさであり、その後の水野家三代、岡田重孝、高木広正と廃城までの城主が縄張りを拡張した可能性は0ではないので、廃城直前には桃源寺が建つ場所も常滑城の一部だった可能性は十分にあるかと思います。
水野氏としては、緒川城から南下し現在の半田周辺を領有化し、三河湾と伊勢湾を結ぶ陸上の主要街道を制圧するために常滑に水野忠綱を送り込んでいるはずなので、いわば最前線の城になる訳で、屋敷の周囲に堀を巡らせた様な内政向けの城ではなく、山城・丘城の様に戦闘向けの城として構築されていると勝手に想像しています。常滑の北側に拠点を置く"佐治氏"、南側に拠点を置く"戸田氏"との勢力争いを行っていく中で常滑城も拡張されていったんだろうなあとこれまた勝手に想像しています。
参拝記
桃源寺を訪れると、門扉が閉められている状態でした。
本堂
門の隙間から本堂を望んでみます。
寄棟造瓦葺平入の向拝の設けられた本堂ですね。
建物の感じから廃寺とは思えないので、住職がおらず、他の寺院・・・それまでの経緯から考えると、天澤院の住職が兼務されているのかもしれませんね。
水盤
石柱門の前に置かれ水盤になります。
境内の外側に手水舎・水盤を据えている寺院(もしくは神社)は非常にすくないのではないでしょうか。
千代之峯古社
神社紹介
神社名 | 千代之峯古社 |
鎮座地 | 愛知県常滑市字古社地内 |
御祭神 | 不詳 |
旧社格 | - |
創 建 | 不詳 |
神名帳 | - |
境内社 | - |
例祭日 | - |
御朱印 | - |
H P | - |
参拝日:2019年10月16日
由緒・沿革
古くから常滑郷の鎮守として千代之峯に祀られてきたが、"常滑焼"の産地として中世に大きく発展した常滑郷に呼応するかのように、明応年間(1494年頃)に、知多四国六十三番札所「補陀洛山大善院」を"中之宮"、「常石神社」を"高宮"、「神明社」を"西之宮"と三社に分祀される事になります。
分祀された後も、古社が建っていた場所には社が鎮座しています。字古社という地名がそれを物語っていると思います。
元々は知多半島で一番標高の高かった場所だったそうなのですが、現在では開発、宅地化の為かなり削られてしまい、当時を偲ばせるような雰囲気ではなくなってしまっていますが、それでも古社が建つ場所は昔から変わっていないんだとか。
色々情報を探しても、千代之峯古社について中々情報を得る事ができず、てっきり分祀された時に廃社されてしまったのかなと思っていたんですが、全く別件の事でネットで調べ物をしていた時に偶然千代之峯古社を載せているサイトに出会い、現在まで残っている事を知った次第です。
詳しい場所は解らなかったので、地名を見ながらこの辺にありそうだな~ってバイクで探していたら見つけました。(事前にある程度は自宅にてGoogleマップのストリートビューを見ながら、怪しい所をピックアップしてはいましたが。)
参拝記
道路に対して背を向けている形で鎮座する社になります。
分祀された三社とも祭神が異なっていて、分祀される前の祭神がまったく予想ができないんですよね・・・。その為、当サイトでもここ千代之峯古社の祭神は不詳という形にさせて頂いております。
この社の隣には
「高宮、中の宮、西宮 三社之趾」と彫られた石碑が建っています。この石碑を見つけた時、「やっと見つけた!」とつい口にしてしまいました。
水盤
本宮山と彫られた水盤になります。
常滑郷の本宮が鎮座する山・・・本宮山・・・という意味だと思うんですが・・・。現在、常滑市で本宮山というと、ここではなく別の場所の事を指すのではないかと思っているのですが・・。
次の目的地は?
補陀洛山大善院にて"中之宮"と出会い、常石神社、神明社と参拝していく内に始まった「知多四国霊場を行く~寄り道遍~」ですが、常滑といえば"常滑焼"なのに全くそっち方面には寄り道することなく、本編に戻ることになります。
知多四国霊場六十四番札所「世昌山 宝全寺」の納経から「知多四国霊場を行く」本編再開です。