三河海岸大師八十八ヶ所 西尾市

北城山 瑞雲寺(西尾市一色町赤羽上郷中) 三河海岸大師 四十九番札所

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

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寺院情報

寺院名 北城山 瑞雲寺
所在地 西尾市一色町赤羽上郷中六十番地
御本尊 薬師如来
宗 派 浄土宗西山深草派
創 建 慶長初年頃(1596年~)
札 所 三河海岸大師 四十九番札所
御朱印
H P

参拝日:2018年7月10日

沿革・由緒

寺伝に、開山「祖誕上人」は、近江源氏佐々木氏の後裔、上人は当赤羽の城主「高橋出羽守政信」の末男、母は刈谷城主水野忠政の女である。幼少にして父母に別れ、伯母伝通院(於大)に養育された。身を仏門に投じ、三州山中法蔵寺の洞恵上人の弟子となり、味浜満国寺、中島祟福寺、尾張大野東龍寺等に住職をした。
赤羽城は吉良西条のの幕下にあり、永禄四年(1561年)吉良義昭が家康と戦った時、義昭の陣に従って敗北、また永禄六年(1563年)の三河一向一揆にも義昭に加担して一族は滅亡離散した。
祖誕上人は、それら一族の菩提を弔らおうとして、先祖伝来の薬師如来を本尊として、この地に一宇を建立、瑞雲庵と名付けた。
寛永十三年(1636)の三河国八郡高附覚によると瑞雲庵寺領一石七斗余の朱印地があり、明治維新まで続いた。

一色町誌」より

以前訪れ紹介しています「赤羽(根)城跡」に掲げられている案内文の中にも瑞雲寺開山の「祖誕上人」についての記載が載っています。永禄四年に吉良義昭氏が籠る東条城を攻める為に、今川氏城代がいた西条城を家康の家臣酒井雅楽助が攻め落とし、さらに高橋氏が守る赤羽城も酒井勢に攻め落とされたとされています。赤羽城はそのまま廃城となったとされ、城郭の片隅に祖誕上人が一宇を建立したと言われてます。

 

三河海岸大師霊場を行く

黄色は三河海岸大師、茶色は(旧)三河新四国、赤色は東条吉良観音の札所を示しています。


三河海岸大師、(旧)三河新四国の札所は共にほぼ国道247号線沿いに設けられているのが見て取れるかと思います。この札所があるあたりが、室町時代~江戸時代にかけての海岸線沿いなんだろうと思います。

三河海岸大師霊場巡礼の旅ですが、前回紹介した「和仲山 満国寺」から(旧)幡豆郡一色町に突入しています。三河海岸大師霊場の札所を考えると満国寺から巡ると逆打ちになってしまう訳ですが、ご容赦下さいませ。

参拝記

愛知県立一色高校の正門前に通じる細い路地があり、さらにそこから分岐した路地に面した場所にあるのが今回紹介する「北城山 瑞雲寺」になります。一色高校に向かう路地なんですが、非常に細くわかりにくい交差点だったのですが、なにやらストリートビュー(2018年5月撮影版)を見ると、角の家が解体されていて、表通りからは絶対に見えなかったはずの瑞雲寺の西国観音の写し観音堂が見えています。ただ、いつまでも更地というわけではないと思うので、家などが建つとまたわかりにくくなってしまいますね。

三十三観音堂

こちらが、ストリートビューでみえていた、西国観音霊場の写し三十三観音堂になります。
一列、もしくは二列に並べられた観音堂を三河に住んでいるとそんなに珍しい物ではないんですよね。知多四国霊場の巡礼の時の記憶を遡って考えてみると、知多四国霊場で参拝した寺院にはあまり観音堂を見かけた記憶がないのです。そうなると、やはりこの地方独特の物なのか、残念ながら断言できるほど寺院巡りを始めて日が浅すぎるので何とも言えません。
今後も、観音堂の分布状況?には目が離せません・・・。

境内入口

瑞雲寺の境内入口には門は存在しておらず、「三河准四国八十八ヶ所 第四十九番霊場」と彫られた札所案内石柱が据えられています。自分はここ瑞雲寺が三河海岸大師四十九番札所だとわかって参拝しているので別段何とも思わなかったのですが、よくよく考えてみれば、「三河准四国」と彫られていて、三河海岸大師とは別に存在している三河准四国霊場の四十九番札所と間違えてしまいそうですね。

本堂

寄棟造瓦葺妻入りの切妻破風の向拝が設けられた本堂になります。
トタン板の壁で全体の雰囲気から考えるに、仮設の本堂がそのままになっているのかなか?と。戦中に発生した東南海地震や三河地震で本堂が倒壊してしまった可能性も?

正面玄関が空いていたので、本堂の中の様子を。
本尊向かって左側には弘法大師像が奉安されています。もしかしたら・・・いやきっと三河海岸大師霊場の弘法大師像だと思います。

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・

由緒板

境内には、昭和3年に建立された満国寺二十二世音空上人の撰文になる開山に関する巨大は石碑があります。

よく見ると、一色町誌に書かれていた祖誕上人についての記述が彫られている様です。

祖誕上人の親は赤羽城主だった高橋政信なんですが、妻が刈谷城主「水野忠政」の娘になり、当時の水野氏は織田氏と与していたはずです。しかし、赤羽城は西条吉良氏の支城であり、今川氏が三河の支配を強めて以来西条城は今川氏による支配を受け、当然赤羽城も今川氏の影響下にあったはずなんです。そこで、高橋政信の息子は水野氏の血が入っているという事で、赤羽城の高橋氏の元から離れ、水野氏の元にいた伯母伝通院(於大)によって養育されたという事なんでしょう。

参拝を終えて

(旧)一色町から(旧)吉良町にかけて霊場を巡礼していると札所になっている寺院の宗派に"浄土宗西山深草派"に出会う事が多い感じがします。浄土宗西山深草派の本山のホームページを見させて頂くと、三河地方は特に西山深草派の寺院が多いようです。三河十二本寺という総本山である誓願寺に次ぐ寺格を有する寺院が岡崎市、西尾市に分布しています。
こちらの三河十二本寺も今後頃合いを見ながら参拝していこうと思います。

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やっぱり、"るるぶ"を見ながら、旅の予定表を作っていくのも、旅行の醍醐味ですよね。

所在地を地図で確認

寺院名 北城山 瑞雲寺
所在地 西尾市一色町赤羽上郷中六十番地
最寄駅 名古屋鉄道西尾線「福地駅」
名鉄東部バス「赤羽根口バス停」徒歩12分

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。

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少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。

次の目的地は?

三河海岸大師四十九番札所「北城山瑞雲寺」を後にして、四十八番札所「西城山 清秀寺」を目指します。

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