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回向院(愛知県岡崎市鴨田町) 酒井左衛門尉家菩提寺

2019年7月11日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

寺院情報

寺院名 回向院
所在地 愛知県岡崎市鴨田町広元10-1
御本尊 阿弥陀如来
宗 派 浄土宗鎮西派
創 建 天正三年(1575年)
札 所
御朱印
H P

参拝日:2019年5月29日

沿革・由緒

詳細は不明ですが、一説には酒井忠次が自身の居城であった井田城に酒井左衛門尉家の菩提寺として建立されたのが回向院とも言われています。それが後に大樹寺境内に移設され、大樹寺の塔頭となり、現在の大樹寺小学校の体育館が建っている辺りに元々はあったそうです。廃仏毀釈の余波で大樹寺自体の境内もかなり縮小され、塔頭であった回向院も元々の場所からかなり規模が小さなった上にで現在の場所に移されたとか。ただ、場所は移されても、現在でも回向院の境内には酒井家初代~六代目の六代の墓石(諸説あり)が安置されています。

酒井氏の由緒

酒井家は、以前当サイトでも取り上げていますが、後の松平親氏となる、世良田親氏が三河の地に流れてきた時、碧海郡大浜にある「東照山称名寺」にて逗留中、連歌の催しがあり、その中で酒井郷に住む「酒井五郎左衛門」の目に留まり、娘の婿として酒井郷に移り住んだと言われています。男子を設けた後、親氏の嫁(酒井頃左衛門の娘)が亡くなってしまい、親氏は五郎左衛門に息子を預け、酒井郷を離れた後、松平郷の「松平信重」の娘の婿として松平郷に移り住み、「松平親氏」と称したといいます。

 

酒井五郎左衛門の元に残った息子が元服して、「酒井広親」となり、松平家臣団の酒井家初代となります。広親は父親である親氏を頼り松平郷を尋ね親氏の家臣として仕えたと言われ、松平二代目「泰親」が岩津城を攻め落とした後、城下に居館を得たと言われています。坂井広親には二人の息子が生まれ、広親の長男氏忠の系統を「佐衛門尉酒井氏」、次男の家忠の系統を「雅楽守酒井氏」と呼びます。

佐衛門尉酒井氏には、徳川四天王と呼ばれる「酒井忠次」が登場しています。ただ、この佐衛門尉酒井氏の家系図について非常にあやふやな部分があり、「寛政重脩諸家譜」という江戸時代に作られた大名家の家系図集では、「初代酒井広親ー二代目酒井某ー三代目酒井忠次」となってしまっています。時代考証から三代目で酒井忠次が生まれる事は100%ありえない為、どこかの時点で家系図が抜け落ちているとされ、欄外で系図を補足されています。

・「寛政重脩諸家譜」による佐衛門尉酒井氏の家系図
親氏 - 広親 - 某 - 忠次
親氏 - 広親 - 氏忠 - 忠勝 - 康忠 - 忠親 - 忠次(補足系図)

・「改正三河後風土記」による佐衛門尉酒井氏の家系図
親氏 - 親清 - 氏忠 - 忠次

・「旗本酒井半三郎系譜」による佐衛門尉酒井氏の家系図
親氏 - 広親 - 氏忠 - 忠勝 - 康忠 - 忠親 - 忠善 - 忠次

今回紹介する回向院にある酒井家六代の墓なんですが、酒井忠次が先祖を供養するために建立したとなると、「旗本酒井半三郎系譜」の系譜から初代広親から六代目忠善までの墓と考えられると思います。ただ、2011年の家康公検定で出題された問題では、回向院に安置されている酒井家六代の墓は「二代目氏忠ー七代目忠善」であるとされ、まだ途中に一代たされた家系図が存在している様です。

なんにせよ、酒井忠次以前の史料がほとんど見つかっていない為、佐衛門尉酒井系のみならず、酒井家がルーツが謎に包まれています。現在では冒頭で述べた酒井家は松平家庶流という説はほぼ否定されている様ですね。

参拝記

大樹寺東門から真っ直ぐ東側に進むと、薬医門の山門が見えてきます。丁度、大樹寺保育園の北側に位置する場所になるのですが、こちらが回向院になります。境内を取り巻く雰囲気から、もし山門が無かったら思いっきり見落としてしまいそうな感じになっています。

山門

前述しましたが、袖壁などは設けられていない、薬医門の山門になります。土塀の代わりに生垣で境内を囲んでいます。
参拝した時は五月の下旬で、新緑がまぶしい時期です。

本堂

切妻造瓦葺平入の鉄筋コンクリート造りの本堂になります。浄土宗の寺院らしく、本堂前面には高覧のある濡れ縁が設けられています。

本堂の正面軒下には、寺号が彫られた扁額が掲げられていました。

酒井家六代の墓

正面からは確認する事ができず、庫裏さんに場所を教えてもらってやっと対面することができました。
初代(二代目?)から五代目(六代目?)までの宝篋印塔の墓石になります。彫られているであろう文字が全く読めなかったので、どちらが初代の墓なのか確証は持てませんが、大樹寺の松平八代の墓石の並び方から見て、右側から順位代数を重ねていくと想定されます。

あと一代、酒井忠次の父親である「酒井忠善」の墓石は、亀を模った石像の上に墓石が載せられています。こういった様式の墓石を「亀趺(きふ)」と言います。

元々、この亀趺は日本独特のものではなく、中国から渡っていた文化の様です。
古来、中国では、亀は万年の寿齢を保つ霊獣とされており、石で亀の形を作り、その背に碑を載せることで、その碑が永遠に後世に残ることを念じて建てられたのが、亀趺になります。

日本では江戸時代の頃からこの亀趺の文化が広まったとされています。ただ誰でも建てられるという事ではなく、位の高い人・・・江戸時代でしたら大名とかになりますか・・・にのみ建立を許されたといいます。そして、それが転じて松平宗家、徳川家に特に功績のあった武将の墓にこの「亀趺」が用いられることが多いです。

この忠善の墓は当時の物ではなく、江戸時代に入ってから酒井忠次の父親であり、松平家忠臣であった事から、亀趺の墓石に作り直されたんだろうと思うのですが・・・。

参拝を終えて

前述していますが、回向院は大樹寺の塔頭でした。現在では大樹寺との関係はどうなっているのか・・・。そのあたりはよくわかりませんが、酒井家の主家となる松平家の菩提寺が大樹寺であり、家臣である酒井家の菩提寺が塔頭である回向院という事で、松平家と酒井家を間にある由緒の一端を感じられると思っています。

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所在地を地図で確認

寺院名 回向院
所在地 愛知県岡崎市鴨田町広元10-1
最寄駅 名鉄バス 「大樹寺バス停」徒歩7分

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

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ちょっと寄り道

鴨田の氏神である「鴨田天満宮」を参拝していきます。

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