光明山宝珠院(愛知県豊田市足助町) 大給松平家菩提寺

寺院情報

寺院名光明山円城寺宝珠院
所在地愛知県豊田市足助町東井ノ上十六番地
御本尊阿弥陀如来
宗 派浄土宗西山深草派
創 建天延年中(973-6年)
札 所(旧)三河新四国 八十七番札所
御朱印
H P

参拝日:2018年6月27日

沿革・由緒

 平安時代から鎌倉時代にかけて足助を支配したのは「足助氏」でした。足助氏は源満政を祖とする清和源氏満政流の一族になります。
 今回紹介する宝珠院の寺伝によれば、源満政の菩提を弔うために、嫡子「忠重」、次男「忠隆」、三男「忠国」が父である源満政の菩提を弔うために「源賢阿闍梨」を開山に向えて創建したとされています。が・・・、どう調べても源満政さらに、忠重、忠隆、忠国の三兄弟は三河国足助に縁があるとは思えないのです。三兄弟の中で一番三河国に縁がありそうなのは嫡子である「源忠重」になります。忠重は遠江守、駿河守などを歴任、さらに美濃国内にも勢力地盤があったそうです。忠重の子孫は美濃国に土着した後に、尾張国、三河国に進出していき、美濃源氏、尾張源氏、三河源氏とも呼ばれています。この三河源氏に足助氏が含まれるわけです。

 宝珠院は源満政の血をひくとされる足助氏によって満政流の祖である「源満政」を供養する為に建立された寺院ではなかったのかと考えています。鎌倉将軍家ともつながりがある一族であるという事を周囲に知らしめるためのある種のプロパガンダの一環で宝珠院は創建されたのではないでしょうか。

 宝珠院の旧境内地は後醍醐天皇の第四皇子「宗良親王」の皇子「尹良親王」がこの地に滞在していた時の御所(中之御所)が建築される事になり、現在の境内地に移ったとされています。旧境内地は推測ですが「今朝平古屋敷」と呼ばれる場所にあったのでは?と考えています。この屋敷跡には尹良親王が袈裟を掛けたと伝わる「袈裟掛け石」という石があります。この古屋敷跡は八幡神社の境内地となっていますが、昭和四十四年に足助八幡宮に合祀されており詳しい由緒がわからないのが残念。

 時代は進み、戦国時代に突入すると、宝珠院はかなり荒廃していた様ですが、天正年間(1573-1591)に應空慶聲上人が諸堂を再建しこの時天台宗から浄土宗西山流深草派(現在の浄土宗西山深草派)に改宗し中興開山しています。寺伝によると應空慶聲上人は大給城主「松平親乗」の縁故にあたる人物であるとし、さらに中興開山が行われた天正年間には現在の境内地周辺は大給松平家の領地であったとし、この縁から宝珠院は大給松平家の二代乗正、三代乗勝、四代親乗の菩提寺とされたと伝えています。

大給松平家はいつ足助に所領を持ったのか?

 足助郷については先に述べたように源満政の一門になる「足助家」が鎌倉時代から南北朝時代にかけて支配していましたが、足助重範が後醍醐天皇の鎌倉幕府討幕の詔に応じて参戦し、笠置山の戦いで後醍醐天皇側の総大将となりますが敗れ打首となった後は、徐々に足助氏は勢力を衰退させ足助郷から去っていきます。
 足助氏が去った後足助郷を支配したのが三河鈴木家の庶家「足助鈴木家」になります。鈴木氏は真弓山城を詰城、香積山に居館を構えていたといいます。 

 宝珠院の境内地は鈴木氏の詰城というべき真弓山城がある真弓山のすぐ北側に位置しており、足助郷の三州街道の伊那側の入口になっている場所でもあり、足助の防衛を考えても非常に重要な場所の様に思えます。

 「三河志」によると、「大給松平家二代「松平乗正」が永正七年(1510年)に足助郷の鈴木氏を破り、安祥松平家二代「松平長親」に賞賛され、宝珠院の建つ「中之御所」の地を与えられた。または浅ヶ谷の簗瀬九左衛門を服属させた。」と記されています。ただ、どういった背景があって松平乗正が足助郷に侵攻したのかは書かれていません・・・。
 三河志の伝承を取り入れると、永正七年(1510年)から武田信玄による三河侵攻により足助も武田領となる元亀二年(1571年)まで間、中之御所周辺は大給松平家が名主を担っていた可能性があります。ただ、元亀四年(1573年)に松平信康軍によって足助郷は武田氏より奪還され、家康より足助郷は鈴木重直に与えられているのですが、天正五年(1577年)に死去した大給松平家四代「松平親乗」が宝珠院に葬られている事からも中之御所の地は旧来通り大給松平家が治めていた可能性があります。

 何度か堂宇が焼失してしまったようですが、西尾城主松平乗完の寄進により堂宇を再建されています。現在の堂宇はこの時に建てられた物かな?

 昭和初期に開創された三河新四国霊場の八十七番札所に選ばれております。場所的にみれば一番足助の奥に位置していて宝珠院から八十八番札所となる香嵐渓にある香積寺に戻る感じですかね。

往古は真弓山円城寺と号し、真弓山の麓にあり天台宗であった。天延年中(973-976)源忠重、忠隆、忠国の三兄弟が父満政の菩提の為に創建し、源賢阿闍梨を開基とする。後に憲禅、源実、実宗上人等当時の住職は真弓城の城主の一族であったと伝えられる。
 当地は後醍醐天皇の皇孫行良(伊良)親王の御所があり、中之御所といった。現在の大給松平家霊廟、その南の観音堂周辺の旧殿が当寺へご寄付となり、その地へ円城寺を引移した。
 時を経て寺は荒廃したが、天正年間(1573-1591)に大給城主松平親乗公の縁故にあたる應空慶聲上人が円城寺の諸堂を再建し、浄土宗西山流深草派に改宗、開山となる。寺号を光明山円城寺宝珠院と改めた。
 その頃、中之御所村は大給松平城の領地であった。当地は旧西尾城主松平和泉守の先祖大給松平五代の内、二代乗正公、三代乗勝公、四代親乗公の御三霊を葬り菩提寺とされた。
 開山應空慶聲上人当時の諸堂は十代泰空上人代に皆焼失する。その後建立された本堂も十六代祇空上人代に焼失した。安永四年(1775年)祇空上人により現在地に西尾城主である大給松平家十二代乗完公から大きな援助を受けて現本堂が建てられた。なお庫裏は二十二代龍空上人起工、二十三代妙空上人落成(1833年)、山門は妙空上人建立(1852年)。不動堂は二十七代行空上人建立(1919年)である。

寺号標側面由緒書きより 

参拝記

 足助の街中を抜けていた国道153線ですが、足助トンネル、観音山トンネルが掘削されて足助の街中を通らずに走り抜ける事ができるルートに付け替えられて、足助支所や香嵐渓駐車場の前を通り抜けていた旧国道153線を走る車は大型トラックなどが通り抜けなくなったこともあって、それまでの交通量を知っている人から見るとこんなに車少ないの?と思ってしまうと思います。

 上記ストリートビューで左側に進むと旧国道153線、右側が中之御所地区を抜けていく県道になります。宝珠院は足助の街中から進んできたら右手・・・交差点の形状で直進していきます。直進して足助川を渡河する橋の上あたりで左側を見ると宝珠院の本堂の屋根が見えてきますので、最初の三差路を鋭角な感じになりますが左に曲がっていくと参拝者駐車場が用意されています。

宝珠寺を少し離れたところから見ると、石垣が組まれ非常に特徴的な境内となっています。山の麓の傾斜を使った寺院によくある段差のある境内なんですが、ここまで全体を石垣組していると非常に重厚感を感じます。

境内入口

 石造りの瑞垣と石柱門、寺号標が据えられている宝珠院の境内入口になります。
石柱に刻まれている 「廣間浄土門」「今乗二尊教」とはどういった意味なのでしょうか。

寺号標 

 宝珠院の寺号標は正面から見れば宗派と山号とここでは院号が彫られているよく見かける寺号標ですが、側面をみると、由緒書きが彫られている点が特徴になっています。

鐘楼門

 境内入口から続く石段を上った先に建つ鐘楼門になります。下から見上げる鐘楼門は非常に迫力がありますね。

本堂

 入母屋造瓦葺平以来の濡れ縁が設けられた本堂になります。山の麓にある寺院によくある伽藍配置で鐘楼門から本堂まで距離がとれない横に長い境内になります。

弘法堂?

 本堂向かって左隣に妻入りの御堂が建っています。柱に卍の書かれた札が掲げられていたこともあってもしかしたら(旧)三河新四国霊場の八十七番札所の弘法堂なのかも。

観音堂

 弘法堂と正対するように建つ三十三観音堂になります。この観音堂に置かれている御賽銭箱を見ると・・・

 三河新四国八十七番札所と書かれています。間違うことなくここが三河新四国霊場の札所であったという証拠になりますね。

三猿

 境内にみざる・いわざる・きかざるで有名な三猿の石像が据えられていました。三猿は庚申信仰の中で広まったものである辺りを考えると、先ほど紹介した弘法堂には庚申信仰の本尊である「青面金剛明王」が奉安されているのかもしれません。

大給松平家墓所

 宝珠院の東側にある大給松平家の墓所になります。ここに給松平家二代乗正、三代乗勝、四代親乗と五代真乗の二男「真次」の養子「松平乗真」夫婦の墓石が安置されている事が大給松平家を巡る様々な言い伝えが生まれてきている気がします。この辺りは別記事にて見ていこうと思っています。

 滝脇松平氏との抗争の中で大給城を焼失し細川に本拠を移した時に足助の中之御所の領主の立場を喪失してしまったのかは不明ですが、五代「松平真乗」の墓所は岡崎市細川町内に設けられています。

 宝珠院から真弓山城方面を見てみます。足助鈴木家の本城ともいえる真弓山城から宝珠院の境内はこれだけの距離しか離れていません。この辺りを見ても、領主はあくまでも鈴木氏であって大給松平氏は名主としてこの地を治めていたのではないかと思うのですが・・・どうかな。

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所在地を地図で確認

寺院名光明山円城寺宝珠院
所在地愛知県豊田市足助町東井ノ上十六番地
最寄駅足助町内あいまーる町内循環バス「宝珠院バス停」徒歩1分

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

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