神社紹介
神社名 | 蔵王神社 |
鎮座地 | 愛知県安城市北山崎町蓮台二十六番地 |
御祭神 | 安閑天皇、菅原道真、大山積命 |
旧社格 | 村社 |
創 建 | 不詳 |
神名帳 | ー |
境内社 | 山神社 |
例祭日 | 十月第四土曜日 |
御朱印 | ー |
H P | ー |
参拝日:2020年7月2日
御由緒
社名と御祭神である「安閑天皇」から、江戸時代までは「金峯山寺」より勧請された「蔵王権現」を祀るどちらかというと寺院色の強い神社であったと思われます。
なぜ、安閑天皇から蔵王権現が推測されるのか?第二十七代天皇となる安閑天皇が崩御された時に送られた諡号が「古事記」では広国押建金日命、日本書記では広国押武金日天皇であったと記されていて、この諡号の中に「金」が入っている事から金峯山寺の本尊である「蔵王権現」と同一視されるようになったとされています。この事から、明治政府による神仏分離令の際、蔵王権現と同一視されていた「安閑天皇」を御祭神とする神社が神社が全国に誕生する事になります。
ここ北山崎町に鎮座する蔵王神社の由緒が不詳となっている為、元々蔵王権現を祀っていた神社だったのか確証は持てませんが、社名と御祭神からほぼ間違いないであろうと思っています。蔵王権現が修験道の本山である金峯山寺の本尊であることから、この地に天台宗、または真言宗の修験道の寺院があったのかもしれませんね。(蔵王神社の南には、安城市山岡町山伏という修験道(山岳信仰)を彷彿とさせる地名が残っていることからもその可能性は高いのかなと思います。)
創建は明らかではないが、明治五年十月、村社に列格し、同八年十月、字天海に鎮座の天神社(往古は境内一町余あり社殿壮大だったと伝える。)を合祀、大正元年十月六日、字大堀十九番鎮座無格社山神社を合祀した。
愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より
歴史探訪
「白山神社/紹介記事」から北東に300m程路地を進んでいくと今回参拝する「蔵王神社」が見えてきます。県道47号線から少し集落に入った所に鎮座しているので、中々気付きにくい神社であるといえます。
由緒の所で、御祭神は安閑天皇であると紹介してきました、当サイトでは蔵王神社は初めての紹介となるのですが、安閑天皇とタイピングした記憶があって、当サイトを調べなおしてみると、常滑市奥条に鎮座する「常石神社/紹介記事」そして名古屋市東区に鎮座する「片山神社/紹介記事」が元々蔵王権現を祀っていたと紹介していました。自分で紹介していおいて紹介した内容を忘れているという中々のポンコツぶりを再認識してしまいましたが、特に片山神社の紹介記事では蔵王権現と神仏習合について詳しく紹介していましたので、是非ご覧ください。
参拝記
蔵王神社の正面から伸びるように参道となる路地が伸びていますが、こちらの道は非常に狭い為、通常蔵王神社に向かう場合は、境内前を横切る様に走っている路地を使用する事になるかと思います。境内には北山崎町の公民館が併設されているので車を停める場所には困らないかなと思います。
自分は、白山神社から県道を通らず住宅地を抜けて蔵王神社に向かいました。元々は境内に生えていたかもしれない道路の真ん中にある巨木が目印になりますね。
境内入口
こじんまりとした境内でして、正面には社号標と明神鳥居がすえられていて、境内の周囲は瑞垣が設けられています。まさに住宅地の中の神社といった雰囲気です。
社号標
旧社格である「村社」が併記されている社号標になります。
手水舎・水盤
木造銅葺四本柱タイプの手水舎になります。屋根が瓦葺ではなく銅葺になっている為、屋根重量が軽く柱も非常に細い様式となっています。
狛犬
大正十五年生まれの狛犬一対になります。
社殿
入母屋造瓦葺平入の向拝の設けられた拝殿と幣殿、本殿が一体となった社殿になります。拝殿の雰囲気からそんなに建築されてから時間が経っている様には思えなかったのですが、左右に鉄製の支え柱が設けられていました。
地図で鎮座地を確認
神社名 | 蔵王神社 |
鎮座地 | 愛知県安城市北山崎町蓮台二十六番地 |
最寄駅 | 名鉄バス岡崎安城線「高木町バス停」徒歩2分 |
ご自宅にお札は祀られていますか?
実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、
南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。