名古屋市守山区

川嶋神社(名古屋市守山区川村町)

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

ONE POINT

延喜式氏神名帳に尾張国山田郡川島神社と記載されている式内社「川島神社」の紹介です。社伝によると六代考安天皇の御代に創建されたとする非常に長い歴史を持つ神社になります。

神社情報

神社名川嶋神社
鎮座地名古屋市守山区川村町二八一(Googlemap
例大祭十月十五日
創 建大同二年(807年)
御祭神伊耶那美命
大苫辺命
誉田別天皇
須佐之男命
日本健命
大山津見命
旧社格神饌幣帛料供進指定村社
神名帳延喜式神名帳:尾張国山田郡 川嶋神社
尾張国神名帳:山田郡従三位 川島天神

境内社

境内社神明社
秋葉社
金刀比羅社
津島社
山神社
御嶽社

文化財

国 宝
国指定
県指定
市指定
町指定
村指定

参拝情報

御朱印
URL
駐車場
参拝日2022.年4月20日

御由緒

 愛知県神社名鑑によると創建は第五十一代平城天皇の御代である大同二年(807年)であるとしていますが、大正十二年発刊された「東春日井郡誌」によると「考安天皇二年、尾張蓮沖津世襲の勧請しせ社にして・・・」と記されています。

考安天皇とは?

 第六代天皇とされる天皇(在位期間は考安天皇元年一月七日~考安天皇一〇二年一月九日)である。欠史八代の一人であり、後に創作されたとも考えられるなど実在性については諸説存在する天皇である。

 母は五代考昭天皇の皇后「世襲足媛」であり、東春日井郡誌で川嶋神社を勧請したとする尾張蓮沖津世襲の妹であるとする。

 神社名鑑では第五十一代平城天皇の御代である大同二年(807年)に尾張国の蓮沖津が創建したとしていますが、和風諡号である日本彦国押入天皇は、日本書紀に書かれている考安天皇の和風諡号に非常に似ていて(日本書紀では日本足彦国押人天皇となっています。)明治時代などで神社の由緒を纏めた時の誤植である可能性が強いような気がします。

 川島神社は尾張国に戦国時代に消滅した「山田郡」に鎮座する延喜式内社ではあるものの、肝心な山田郡の領域がどのあたりまでだったのか不明な点が多く、今回紹介している名古屋市守山区の川島神社の他に、豊明市沓掛に鎮座する「鹿島神社/紹介記事」も川島神社の論社であるとしています。ただし、守山区に鎮座する川島神社は東春日井郡、豊明市沓掛に鎮座する鹿島神社は愛知郡にあって山田郡の名が無い事からも様々な議論があるようです。

延喜式神名帳 尾張国 

山田郡 十九座 並小

  • 川嶋神社
    • 川島神社 名古屋市守山区川村町
    • 鹿島社 豊明市沓掛町宿

 江戸時代には「熊野大権現」、「熊野十二所権現」と称していたそうですが、明治十五年に現在の社名に改称。

 明治四十四年、字柳原に鎮座する無格社八幡社(御祭神:誉田別天皇)、字山際に鎮座する無格社八剱社(御祭神:日本建命・須佐之男命)、字東島に鎮座する無格社山神社(御祭神:大山津見命)を合祀した。

この社は日本彦国押入天皇(平城天皇)二年(大同二年(807年))尾張国の連沖津が創建したと伝える。延喜式内尾張の国山田郡従三位川島天神と言うのは此の神社である』と天野信景の『本国神名帳』にも川島神社は春日井郡川村氏神熊野宮である。小田切春江の『尾張名所図会』も川島の神社と記るす。明治五年五月、村社に列し、明治十五年五月四日、今のように社号を改めた。明治四十年十月二十六日、供進指定社となり、明治四十四年四月十七日字柳原の八幡社と字山際の八剣社又鴻巣の山神社を合祀した。昭和四十四年年五月三日、社殿及び社務所を造営する。同年九月十八日、八等級社に昇級した。棟札は江戸初期から現在まで二十余社蔵する

愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」

御祭神

  • 伊耶那美命
  • 大苫辺命
  • 誉田別天皇
  • 須佐之男命
  • 日本健命
  • 大山津見命

御朱印帳の保管に

 数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。

 ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?

参拝記

 ゆとりーとラインという路線バスを改造した「ガイドウェイバス」がまるで電車の様に運用されている日本でここだけの交通機関が高架上を走る県道30号線沿いに今回紹介する川島神社は鎮座しています。元々はもう少し東に境内があったそうですが、いつの時代かは不明ですが現在の地に遷座したんだとか。

 川島神社近くのバス停に立ち寄って駅部分と高架部分を撮影してみました。こうしてみると、使われている車両は路線バスを改造した為、外観は思いっきりバスですが新交通システムが使われているというのがよくわかります。

 こんな新世代交通機関のすぐ近くに延喜式内社の論社である川島神社が鎮座しています。

境内入口

 川島神社の社殿配置は西入り西向き社殿となっている為、境内西側に境内入口が設けられ、社号標、石灯籠、石造鳥居などが据えられています。

 明治維新百周年の記念して設けられた「式内」と合わせて彫られている社号標になります。神社界にとって明治維新というのはかなり重要な時代のターニングポイントだったようで、ここ川島神社だけではなく全国的に「明治維新百周年記念」の石造物だったり植樹だったりを目にすることがあります。

 扁額の無い明神鳥居が据えられています。その前には、竿石部分が独特な形状をしている石灯籠が一対据えられています。

手水舎

 RC造銅板葺き四本柱タイプの手水舎になります。コンクリート造りの手水舎としてはオーソドックスな形状ではないかと感じるのですが如何でしょうか。

旧拝殿?

 切妻造瓦葺妻入りだったであろう開放型の建物が参道からずれた場所に建てられています。その形状から元々は川島神社の拝殿として使用されていたものだとは思うのですが、次に紹介しますが社殿がRC造で造営されている為こちらに移築したのではないかと思います。

社殿

 寄棟造銅板葺平入の切妻破風の向拝が設けられた拝殿を有する社殿になります。元々は開放型拝殿を有する尾張造の社殿だったとは思うのですが、造営工事による建て替えによって拝殿・幣殿・本殿が一体型となった社殿へと造り替えられています。

境内社

 社殿脇に拝殿を有する境内社の相殿が鎮座しています。その前に蝋燭立てが据えられていますね。

 ・・・はっ!そういえば本社側の蝋燭立てってあったかな・・・。

 たぶん・・・御嶽教の施設だと思われます。当サイトでも幾度も登場しているのですが、そういえばこちらは何と称せばいいんでしょうか・・・。尾張北部の神社を巡っていると神社の境内にこうした御嶽教の施設が設けられているのですが、それだけ御嶽教が身近なんでしょうね。

 県営名古屋空港と併設されている自衛隊小牧基地からほど近い場所に鎮座している為、参拝中でも小牧基地所属の航空機が頻繁に離発着しています。C130輸送機の他に、空中給油機も飛んでいます。岡崎周辺に住んでいるとまず見かけない(見上げてもよく分からない)航空機なので、何気に見入ってしまいます。


遊び予約/レジャーチケット購入サイト「asoview!(アソビュー)」


鎮座地を神社で確認

神社名 川島神社
鎮座地名古屋市守山区川村町二八一(Googlemap
最寄駅電車:JR東海・中央線「新守山駅」徒歩22分
バス:ゆとりーとライン「川村バス停」徒歩6分

ご自宅にお札は祀られていますか?

実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、

南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。

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