白山神社(名古屋市守山区市場)

神社紹介

神社名白山神社
鎮座地名古屋市守山区市場十六番三五番
御祭神菊理姫命、天照皇大神、譽田別命、伊邪那岐命、須佐之男命
旧社格郷社
創 建養老年間(717-724年)
神名帳
境内社秋葉社、金刀比羅社、八龍社、浅間社、山神社
白山社、八幡宮、神明社、洲原社、天王社
例祭日十月二十一日
御朱印
H P

参拝日:2020年1月29日

由緒・沿革

 「守山城/紹介記事」の東側「市場」という所にある今回参拝する「白山神社」が鎮座しています。城下で市場という地名から、この辺りは城下町が広がっていた場所なんだろうとなんとなく想像してしまいます。そして、この白山神社は「守山白山古墳」の上に鎮座しています。

守山白山古墳

 守山台地の西端に立地する。墳丘長約九八m、後円部経約五〇m、前方部幅約三五mの前方後円墳。
 未調査の為埋葬部の構造は副葬品は不明であるが、前方部の低い墳形や出土している埴輪の検討から、古墳時代(四~五世紀)の築造と考えられる。
 上志段味の白鳥塚古墳に匹敵する市内で最も古い大型古墳の一つである。

名古屋市教育委員会

 白山神社の社殿は後円墳部分に鎮座し、前方部分は切り崩され現在では白山神社境内となっています。当然、神社の社殿が鎮座している為、由緒板にも書かれていますが発掘調査は行われていません。古墳群に鎮座する神社は、結構な確率で古墳の上に鎮座している様な気がしますね。

 「白山神社」の創建は養老年間(717-724年)と社伝では伝えています。しかし、江戸時代に入るまでの史料はごっそりと抜けている様で、詳しいことがわからない様です。ただ、養老年間に勧請されたとする「白山神」ですが総本山である白山比咩神社が「泰澄大師」によって創建されたのが養老元年または翌年養老二年となっています。
 石川県に鎮座した「白山比咩神社」からいくら勧請したとしても本山が開創した年に道なりに凡そ200kmを超える名古屋市守山の地に鎮座するとはとても感がられません。ではなぜに養老年間に鎮座したと勧請されたのか?

 ここからは、当サイトでの勝手な想像のお話ですので、たぶん間違っていると思いますので、ああこんな説もあるのか、くらいの軽い気持ちでお読みください。

 修験道の僧であった「泰澄」は、白鳳十一年(682年)に越前国(現:福井県)に生まれ、十一歳の時に「越知山大谷寺/web」に登り修行をされています。大宝二年(702年)には「文武天皇」から「鎮護国家法師」に任じられ、また同年には「白山豊原寺/明治二年廃寺」を建立する。そして、養老元年(717年)越前国の白山に幾多の困難を克服、開山し、十一面観世音を本地仏とする白山妙理大菩薩を祀る白山信仰(白山修験道)の礎を築くことになります。養老三年(719年)には仏教の布教活動の為に全国行脚を行います。
 この全国行脚では尾張国にも訪れていた様で、当サイトでも紹介している「如意山宝珠院/紹介記事」「浄海山圓龍院観音寺(荒子観音)/紹介記事」を天平元年(729年)に創建しています。そして両寺院の北東の位置に鎮座しているのがここ「白山神社」になります。
 白山神社を一言でまとめると、

白山信仰を築いた泰澄大師が創建した寺院の北東方面に鎮座する白山神社

ということになります。北東方面とは鬼門に当たる方向になり、創建した両寺院の鬼門除けとして自らが築いた白山権現を祀る白山神社を創建したのではないでしょうか。その為、泰澄が白山開山した養老年間を白山神社の開創年にしたのではないでしょうか。

 室町時代には、当地を治めていた「小幡城」主「山田次郎重忠」、「大永寺」領主「岡田伊勢守」、「守山城」主「織田孫十浪信次」らが社殿の造営、寄進を行っています。この辺りは、守山城が築城される以前は小幡城の領域だったようですね。小幡城主山田氏とその子孫である大永寺を創建した岡田氏の崇敬を集めていたようです。

 江戸時代には、「霊応山白山寺」が開創され、白山神社の別当となり、祭式を行っていたとあります。しかし、その他の別当寺と同じ様に、明治時代になり神仏分離令により別当から外され、明治十一年に廃寺になっています。この白山寺は天台宗であり龍泉寺の末寺だったという事です。

 大正時代には、神社合祀令により、周辺の神社を合祀、または境内社としています。
 東春日井郡誌によると、「大正元年(1912年)九月十八日、元村社八幡社の祭神誉田別命およびその境内熊野社の祭神伊邪那岐命、津島社の祭神須佐之男尊、元無格社神明社の祭神天照大神、その境内白山社の祭神菊理姫命、熊野社の祭神伊邪那岐命、津島社の祭神須佐之男尊、元無格社洲原社の祭神菊理姫命、その境内津島社の祭神須佐之男尊を合祀せり。」とあります。
 白山神社の祭神は五柱と由緒で紹介していますが、正確には、「菊理姫命(三柱)、天照皇大神、譽田別命、伊邪那岐命(二柱)、須佐之男命(三柱)」となります。
 そして、浅間神社二社、山神社三社、白山神社一社を境内社として遷座しています。境外社だった「天王社」も近年境内社として遷座しているようです。

創建は養老年間(717-724年)と伝える。慶長十三年(1608年)伊奈備前守、彦坂九兵、中野七蔵の三奉行が出した除地について証文あり、又小幡城主山田次郎重忠公、次いで大永寺領主岡田伊勢守、守山城主織田孫十浪信次公ら社殿造営、鳥居の寄進あり、守山、大永寺、金屋坊、大森垣外、牛牧、小幡村六ヶ村の総氏神として馬の塔を牽進する。元禄四年(1691年)五月二十二日山林奉行水野権平、白山宮社領五石及び山林竹木を免除した証文を社蔵する。宝永五年(1708年)春、本殿(朱塗権現造)を造営。安政七年(1860)三月、拝殿を改築。明治四年村社に列格。同二十四年十月地震により拝殿倒壊。同年十一月二十八日、本殿を神明造に改造する。同二十五年十一月、拝殿を再建、同二十九年十月、社殿、社務所を造営した。同四十10月26日、供進指定社となる。大正元年九月二十九、秦江一二五四番、村社八幡社と大門一一一五番、神明社と町北四四九番、洲原社を本社に合祀する。昭和六年十月、弊殿、社務所を新築した

愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より

歴史探訪

 守山城のすぐ東側に鎮座する白山神社になります。参拝した時は、「守山城のすぐ近くに鎮座しているから何らかの関係があるのかな?」って思っていたのですが、由緒を調べると思いのほか守山城とは関係が薄いなって感じですね。ただ、守山城外にあるので、守山崩れ直前に松平清康が参拝しているのかもしれませんね。

参拝記

守山城跡にたつ「玉峰山宝勝寺/紹介記事」の境内入口前の道路を東に進むと今回参拝する「白山神社」の境内入口が見えてきます。鳥居脇に砂利敷きの駐車場が用意されています。元々公民館の様な建物が建っていた様ですが、現在は更地になっています。

境内入口

 旧社格である「郷社」が彫られた社号標と、石灯篭一対と扁額のある明神鳥居が据えられた境内入口になります。参道を進んだ先に石段が続いていますが、前述しましたが石段から先は前方後円墳である「守山白山古墳」の前方部分になります。

二の鳥居

 石段を上ると、一の鳥居と比べると小ぶりな二の鳥居となる明神鳥居が据えられています。

手水舎・水盤

かなり新しい香りのする木像瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。上部にしっかしと貫が設けられ、柱の転びも付けられたことで耐震性はかなり向上している様です。

狛犬

大正四年生まれの狛犬一対になります。狛犬に前掛けを付けている所はあまり見ませんね。

社殿

 「守山白山古墳」の後円部分に鎮座する白山神社の社殿になります。
 切妻銅葺平入の唐破風の向拝が設けられた拝殿になります。近年造営工事されたようで、拝殿幣殿本殿が一体型した社殿になっています。

別当寺のなごり?

 境内の一角には、なにやら石が盛られた塚の様なものがありました。塚の頂には・・・

 役行者像が据えあれています。更に色々見ていくと、神社名が彫られた石が何基もあったりと、さらに不動明王石像が据えられていたり、なにやら別当寺で置かれていた石像などが固めれた場所の様にみえますが、実際の所はなんなのかな?

地図で鎮座地を確認

神社名白山神社
鎮座地名古屋市守山区市場十六番三十五号
最寄駅名古屋鉄道 小牧線「矢田駅」徒歩9分

投稿者プロフィール

成瀬晃ドクターレザーおかざき 店主
愛知県岡崎市で「かばん・くつ✚革の病院ドクターレザーおかざき」を営んでいる成瀬と申します。
史跡、神社などを巡った事をなどをつぶやきつつ、お店のブログではつぶやけないような事も書いていこうかと思っています。
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