鷲塚山本宗寺跡(愛知県岡崎市福岡町) 真宗本願寺派三河教団本山

寺院情報

寺院名鷲塚山本宗寺(廃寺)
所在地愛知県岡崎市福岡町南御坊山地内
御本尊阿弥陀如来像
宗 派浄土真宗本願寺派
創 建
札 所
御朱印
H P

参拝日:2020年5月23日

由緒・沿革

 文安三年(1446年)又は応仁二年(1468年)に土呂に鎮座する「八幡宮/紹介記事」の神宮寺の近くに創建されたと伝えられています。一説には、浄土真宗本願寺派八世「蓮如」が全国布教の為下野国にて「石川政康」と出会い、石川政康と共に三河国に布教の為に入国します。石川政康は碧海郡小川に小川志茂城を築き、この城を拠点として浄土真宗本願寺派の大檀那として三河教団の拡大に奔走したと言います。そして、石川家の所領であったという土呂の地に石川家自らの菩提寺として「本宗寺」を創建し、その後、蓮如に寄進したといいます。蓮如は寄進を受けた本宗寺を一家衆寺院とし、浄土真宗本願寺派三河教団を統率する寺院とさせていきます。
 本宗寺の境内があった場所を御坊山といいますが、この地名は本宗寺を「土呂御坊」と呼んでいた名残ではないでしょうか。

 本宗寺は一家衆寺院と紹介していますが、本願寺派法主一族の力を強める為に、各地の拠点となる寺院については、血族が法主と務める寺院=一家衆寺院とすることが多かったと言います。

蓮如⑧ ┳ 順如
    ┣ 蓮乗
    ┣ 蓮綱
    ┣ 蓮誓
    ┣ 実如⑨ ┳ 照如
    ┗ 蓮淳  ┣ 円如 ━ 証如⑩ ━ 顕如⑪
          ┣ 実玄
          ┗ 実円 ━ 実勝  ━ 証専

 本宗寺は、八世「蓮如」、九世「実如」が直接法主を勤めていた時代を経て、実如の子「実円」が一世として法主となっています。この時山号「鷲塚山」を号したと言われています。

 最盛期には、東西二町、南北一町余を有する境内を持つまでになり、周囲を土塁と堀で囲んでいたと言います。一町は大体100mちょいですので、200m×120~30mぐらいの境内になりますでしょうか。さらに境内を囲むように寺内町が整備され、その規模は南北十町、東西八町に達したと言われてます。
 室町時代の頃の矢作川の現在の流れとは異なり土呂近くを流れていたとされ、さらに、現在は埋め立てられてしまい残っていませんが現在の福岡町から幸田町に抱えて「菱池」というかなり大きな湖が存在し、菱池を水源とする川が土呂の近くで矢作川と合流していたとも言われ、矢作川と菱池の水運を掌握する場所だったと様で、西三河で随一の規模を誇る集落だったと言われています。
 そんな土呂を拠点に発展していった浄土真宗本願寺派三河教団は、本願寺派の中でもかなりの力を持っていた居た様で、ある意味本願寺派の本拠地ともいえる加賀国(加賀一向一揆で一世紀近く一向宗が国を支配していました。)にも派兵するほどだったと言います。

 蓮如が三河国を訪れ布教を行っていた頃、岩津城を拠点としていた「松平信光」が安祥城を奪取し、本格的に三河南部に進出を始めています。安祥城主となった信光三男「松平親忠」は安祥松平家初代となります。親忠は三河で勢力を伸ばしつつある浄土真宗本願寺派を無視する事は出来ず、石川政康の嫡子「石川親康」を自らの配下とすることで本願寺派大旦那である石川家を松平家に組み込むことに成功しています。以降、石川家は安祥松平家の家老格として歴代当主に仕えています。

 本願寺派三河教団は一家衆寺院「本宗寺」の下で地方大坊主である「上宮寺」、「勝髪寺」、「本證寺」の「本願寺派三河三ヶ寺」に長瀬願照寺青野慈光寺中之郷浄妙寺平坂無量寿寺の四ヶ寺を加えた「本願寺派三河七ヶ寺」と十六世紀中頃には称される様になったと言います。本宗寺が建立され凡そ一世紀が経過し、真宗本願寺派が根付き、徐々に末寺を有する寺院が増えてきている事が見て取れます。

 永禄三年(1560年)に桶狭間の合戦によって今川義元が討ち取られると、松平元康は岡崎に帰還し、今川家から独立を果し岡崎城主となります。元康は「東条城/紹介記事」吉良家を滅ぼし、東三河に進出し鵜殿長照が守る「上ノ郷城/紹介記事」を攻め落としています。そして元康が家康と改称した永禄六年、本證寺または本宮寺に松平家が立ち入った事(不入権の侵害)への反発として一揆が勃発します。
 この三河一向一揆と呼ばれる一揆は松平家康(徳川家康)にとっても三方ヶ原の戦いと共に窮地に陥った戦いと言われています。前述の様に、浄土真宗の力を無視する事が出来ない為、大檀那であった石川家を家臣としてある意味浄土真宗を取り入れてきた歴史からわかる通り、家康の家臣団の中にかなりの数の一向宗門徒がいました。これが家康の家臣団における分裂を招くことになり、有力な家臣ですら一向宗側に与する事になっていきます。

 ある種本願寺派三河教団を率いていた石川家も分裂する事になります。家康の側近として仕えていた「石川数正」は浄土宗に改宗してまで家康側に立ち、一向宗と敵対することになります。数正の父親「康正」は一向宗側に与し、親子で対立する道を進んでいます。

 永禄七年二月、家康と一揆側が上和田浄珠院にて和議が成立します。その後、本宗寺には家康軍が寺内に入り本宗寺は陥落、一揆は解体されます。その後、家康は浄土真宗門徒に宗旨変えを要求するが請けいられなかった為、本宗寺と三河三ヶ寺を破却し、さらに領内においては真宗本願寺派を禁宗としてしまいます。三河国外に退去した本宗寺は現在の松坂の地に移設しています。この松坂の本宗寺は現在でも存続しています。

土呂山本宗寺 三重県松阪市射和町266

三河一向一揆から二十年ほど経過した天正十一年(1583年)宗門再興の赦免状が発せられ、ようやく三河国内に本願寺派の寺院の再興が許可され、本宗寺は最初に復興を許されました。そのご移転を何度か行い、現在は美合町に「土呂殿本宗寺」として再興しています。

 本宗寺が解体破却された後、境内跡には土呂復興の責任者となった「石川数正」が土呂城を築き入城しています。数正は寺内町の区割りを大きく変え、現在の福岡町の元となる区割りに変更したと言われています。

歴史探訪

 岡崎市の歴史の中でもかなり重要な寺院の一つとなるのが「鷲塚山本宗寺」になります。全国に一向一揆を起こし加賀を占拠し、織田信長と長年対立を繰り返してきた浄土真宗本願寺派の三河以東における一大拠点となっていました。一向一揆の規模を考えると、凡そ1年弱で和議にこぎつけ、その後一向宗を解体させた「徳川家康」は才覚があふれた武将だったのか、運が良かったのかはよく解りませんが、岡崎城下より繁栄していたとも言われる土呂本宗寺を解体できたのはその後の領土運営を考えても非常に大きな一歩だったと思われます。

訪問記

 由緒でも書いていますが、本宗寺の境内は三河一向一揆の際、破却された後、土呂城に転用された後に、土呂八幡宮の境内へと移り変わっています。その為、本宗寺を感じるような遺構は一切残っていません。

 ただ、現在では御坊山と切り離されたように存在している御堂山と呼ばれる場所には、蓮如上人の遺骨を分骨され埋葬していると割れている塚が残っています。

御堂山

 土呂城の紹介記事で詳しく説明しようとおもっているのですが、土呂城の本丸部分があったと言われているのが御堂山と呼ばれる上記の写真の小高い山の様になっている場所になります。現在土呂八幡宮が鎮座している場所は土呂城の二の丸があった場所と言われていますね。

 土呂城を取り上げられているホームページを見ると、本丸とされる御堂山と二の丸とされる御坊山が離れている為、中々土呂城の姿が想像できていないように思われます。

 明治時代から大正時代新しい道路を開通させる為に、人力で5m近くも標高がある高台部分を削り通してしまう訳ですからすごいことだなと思います。

明治後期に作成された地図になります。〇で囲んだ部分が御堂山と御坊山の場所になります。見てわかる様に、現在の福岡町からJR岡崎駅方面に走る「岡崎碧南線」がまだか通っていないことがわかりますね。

本宗寺、土呂城は、まさに境内、城域部分がせり出した地形となっていて、西南北は凡そ5m以上の標高差のある天然の擁壁の様になっていたのでしょう。東入りの境内または城域となっていて、一番奥に当たる西側に本堂や本丸が置かれたと考えられます。

 そんな今では独立したような小山となっている御堂山の山頂?部分にはかつては御堂山教会と呼ばれる浄土真宗の説教所が建っていましたが、廃寺?となり現在では、観音堂っぽい建物と蓮如上人の遺骨が埋められているという五輪塔が残っているのみとなっています。

 こちらの五輪塔が蓮如上人の遺骨が分骨され埋葬されたという場所になります。浄土真宗大谷派、西本願寺派の寺院が非常に多い岡崎にあって、ある意味聖地と呼んでもおかしくない場所だと思うのですが、すこし放置気味な点が残念な所ですね。

 五輪塔のすぐ脇に植えられた松の根によって少し傾き始めている五輪塔です。大きくなると倒壊してしまいそうなのですが・・・。

 四月に行われるはずだった「蓮如祭」に向けて周囲の草刈りが行われた様な感じです。令和二年はコロナ禍の為、蓮如祭は中止となってしまったのですが、この蓮如祭に遭わせて土呂にある真宗本願寺派だった寺院では法要が行われている様です。

 しかし、本宗寺は徹底的に破却され、その後に土呂城の本丸になっているはずなのですが、この地に蓮如上人の墓は残されていたんですかね。

地図で所在地を確認

寺院名鷲塚山本宗寺(廃寺)
所在地愛知県岡崎市福岡町御堂山地内
最寄駅名鉄バス「福岡町バス停」徒歩5分
名鉄東部バス「福岡郵便局前バス停」徒歩2分
この記事が気に入ったら
いいね!しよう
最新情報をお届けします。
岡崎市
シェアする
成瀬晃をフォローする
あいちを巡る生活って

コメント

タイトルとURLをコピーしました