ONE POINT
名古屋市南区鳴尾町に鎮座する稲荷神社の紹介です。江戸時代に干拓された「北柴田新田」の守護神として勧請創建された神社になります。境内には埋め立てされる以前、海沿いだった頃に海の安全、水難防止の為に南区の各地に祀られていたと言われる「青峰観音」が奉安されている御堂があります。
神社情報
神社名 | 稲荷神社 |
鎮座地 | 名古屋市南区鳴尾町字ハノ割ニ三五三番地(Googlemap) |
例大祭 | 十月十日 |
創 建 | 天明五年(1785年) |
御祭神 | 稲倉魂命 |
旧社格 | 村社 |
神名帳 | ー |
境内社
境内社 | 秋葉社 津島社 琴飛羅社 神明社 稲荷社 青峯観音 |
文化財
国 宝 | ー |
国指定 | ー |
県指定 | ー |
市指定 町指定 村指定 | ー |
参拝情報
御朱印 | ー |
URL | ー |
駐車場 | ー |
参拝日 | 2022年4月13日 |
御由緒
名古屋港は江戸幕府開幕後、尾張藩などによって干拓事業が推し進められていきます。この流れは昭和後期まで続き、現在の名古屋港の姿を形成していく訳ですが、名古屋市港区、南区を形成している土地の大半は江戸時代に干拓されて広がった土地になっています。
稲荷神社が鎮座する鳴尾町ハノ割がある場所は「北柴田新田」と呼ばれ、天白川を挟んだ南側に広がる「南柴田新田」と共に宝暦六年(1756年)に納屋町の柴田屋新兵衛が干拓開墾した新田になります。天明五年(1785年)に尾張藩による貢高が決定されこの新田の使用が開始されていきます。この柴田新田ですた北側で用水の取水を行い、天白川の底を通して南側へ用水を送っていたとされ、大正十四年の道路工事の際に天白川の川底から用水に使用していたであろう伏越しの檜材が発見されています。
住所のハノ割ですが八(はち)ではなくハ(は)です。地図をみると天白川の南側にはイノ割、ロノ割などの地名を見る事ができ、イロハニホヘトから割番が振られている事がわかります。
神社名鑑では稲荷神社の創建は貢高が決定された天明五年(1785年)とし、名古屋市南区役所の南区まちめぐりでは宝暦六年(1756年)であるとしています。新田ができたとはいえ、安定した稲作用の田圃として運用するには塩抜きなど時間がかかると思われ、宝暦六年から天明五年までの19年間はいわば試験運用って感じなのでしょうか。
宝暦六年の干拓事業と共に氏神として稲荷神社が創建されたのではないかとは思うのですが、天明五年貢高決定うけて柴田新田が正式に尾張藩などの帳簿に記載された事でそれまでの私設神社という扱いからその土地の産土神として認められたということなのかな?と考えています。
創建は天明五年(1785年)という。八の割の氏神として崇敬あつく、明治五年七月、村社に列格した。
愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」
御祭神
- 倉稲魂命
御朱印帳の保管に
数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。
ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?
愛知県下新十名所を巡る
2022年のメインの企画「愛知県下新十名所」ですが、今回から第六弾の遠征紹介となります。今回は名古屋城近くにある「京町薬祖神」を目指してバイクを走らせていきます。国道23号線から国道247号線に向かい、天白川を渡河して名古屋市に入ったとたんに鎮座している神社である「稲荷神社」を参拝し、今回の道中の交通安全を祈願していきます。
参拝記
片側三車線という名古屋と知多半島の伊勢湾側を結ぶ大動脈らしさ溢れる国道247号線沿いに今回参拝する稲荷神社が鎮座っしています。東海市側から北上し、東海市と名古屋市の市境となっている天白川と渡河してすぐの場所に稲荷神社の境内があります。天白川にかかる橋から境内を望むことができるので、ここに神社があると無意識に見て通り過ぎている方もおおいのではないでしょうか。駐車場が用意されていないようですので注意が必要です。神社向かい側の砂利敷きの場所に車を停めていいのかは不明・・・。
境内入口
天白川を渡河して名古屋市の看板?の手前にある一方通行となっている堤防道路へ向かう交差点の辻となる場所に稲荷神社が鎮座しています。川越えて名古屋市の看板の手前を左折です。
来るっと天白川を望むとこんな感じ。写真左手は国道247号線、右手のトラス橋は名古屋鉄道小牧線の鉄橋になります。岡崎に住んでいると名鉄でも常滑線とかは縁遠い路線で数えるほどしか常滑線は乗った事がないですね。
堤防部分がかなりかさ上げされているため、稲荷神社への境内入口は降り階段が設けられています。境内より前面道路の方が高くなってしまうのは現代の治水事業を考えると河川沿いに鎮座する神社の宿命なのかもしれませんね。
社号標
旧社格である「村社」が併記された社号標になります。
鳥居
石造の神明鳥居になります。参道のクランク部分が印象的です。
手水舎
木造銅板葺四本柱タイプの手水舎になります。比較的屋根が高い造りの手水舎になるかと思います。
社殿
切妻瓦葺妻入りの拝殿を有する尾張造の社殿になります。拝殿には支え柱が設けられています。
尾張地方でよく見る尾張造の社殿といえば開放型の拝殿なわけですが、ここ稲荷神社の拝殿は四方は腰壁が設けられシャッターで窓部分が占められている閉塞型の拝殿になっていて、更に床が低床となっているのが特徴でしょうか。
本殿は木造の塀による瑞垣で囲まれ、その瑞垣の前に狛犬ならぬ狛狐が一対鎮座しています。本殿と拝殿の間には渡がもうけられていますが祭文殿らしい建物はないみていですね。
境内社
本殿を囲む瑞垣の両脇に境内社が四社鎮座しています。ただ、社名が掲げられていない為、どの境内社がどの社になっているのかは不明です。さらに社殿から少し離れた場所に
青峰観音堂が立っています。
青峰観音とは
青峯山は三重県鳥羽市松尾町にある山名であり、この山頂近くに建つ高野山真言宗の正福寺の山号でもあります。正福寺の御本尊は十一面観音菩薩であり、古くより海の安全を祈願し水難防止として人々に崇拝されており、「青峰信仰」は三重県・愛知県・静岡県を中心に全国に広まっています。
特に、名古屋市南区にはまだ村々が海に面していたころ、舟が出入りする舟江付近や新田の堤防上などに幾つも青峰観音像が祀られていたといい、非常に崇敬厚い地域だったようです。
鎮座地を神社で確認
神社名 | 稲荷神社 |
鎮座地 | 名古屋市南区鳴尾町字ハノ割ニ三五三番地(Googlemap) |
最寄駅 | 鉄道:名古屋鉄道・常滑線「柴田駅」徒歩4分 バス:名古屋市営バス・神宮15系統「柴田バス停」徒歩4分 |
ご自宅にお札は祀られていますか?
実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、
南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。