春日井市

医王山密蔵院(春日井市熊野町)

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

ONE POINT

江戸時代には名古屋城三の丸に鎮座した東照宮の別当を務めた天長山尊寿院を兼務するなど尾張藩の強い庇護を受けた寺院になります。

寺院紹介

寺院概要

寺院名医王山薬師寺密蔵院
所在地愛知県春日井市熊野町三一三三(Googlemap
創 建天台宗
宗 派嘉暦三年(1328年)
御本尊薬師如来

霊 場

霊 場
前札所霊 場次札所

文化財

国 宝
国指定木造薬師如来立像
多宝塔
県指定絹本著色兜率天曼荼羅
絹本著色天台大師像
絹本著色千手観音菩薩像
銅製仁王像
木造十一面観音像
礼盤2基
鉄釣灯籠
市指定
町指定
村指定
密蔵院建造物6棟
宮殿形厨子
絹本著色十六羅漢像
絹本著色慈妙上人坐像
絹本著色愛染明王像
絹本著色愛染明王像
絹本著色十一面観音菩薩坐像
絹本著色三千仏像
紺紙金泥金胎種子曼荼羅
木造大日如来坐像
木造本地仏坐像
木造阿弥陀如来座像
鰐口
鉄製釣燈籠
寺額
神額
華鬘
阿娑縛抄
密蔵院文書
寂蓮法師和歌
慈鎮和尚和歌

参拝情報

御朱印
URL〇/http://www.mitsuzouin.org/
駐車場
参拝日2022年4月10日

御由緒

 嘉暦三年(1328年)、慈妙上人が創建したという。最盛期には末寺七百余ヶ寺、寺中三十六坊の規模を誇る葉上流の伝法灌頂の道場として学徒は三千人を超えたというまさに尾張地方の天台宗を代表する巨刹であった。しかし戦国時代である元亀天正年中の頃より次第に荒廃していったという。しかし、三十一世珍祐が名古屋東照宮の別当である尊寿院の住職として移住した後は代僧が寺務一切を取り仕切っていたという。

 明治維新の時には六坊のみが残っていたが、明治六年には無檀無住となり、更に三坊が廃寺となり、二坊を本寺に合併して一坊(常泉坊)を残すのみとなった。明治二十四年(1891年)には濃尾地震により本堂、仁王門などが倒壊した。

名古屋東照宮別当「尊寿院」

 徳川家康の三回忌の翌年に神君家康公の霊廟となる東照宮が名古屋城三の丸に建立された。この東照宮の別当として南光坊天海を開基、密蔵院三十一世珍祐を開山として創建されたのが天長山尊寿院神宮寺である。

 以降、尊寿院の住職は密蔵院の住職を兼務するなど両寺は深い関係が続いていく事になります。

尾張名所図会

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 江戸時代末期に執筆され江戸時代から明治時代に刊行された尾張国の地誌「尾張名所図会」の春日井郡編に密蔵院が挿絵付で紹介されています。
 現在国の重要文化財に指定されている多宝塔が境内中央に描かれています。

POINT

 名古屋市を中心に神社仏閣を巡っていると、その由緒などで「医王山密蔵院」の寺名を聞くことがありました。尾張を中心に天台宗の中核寺院ともいえる存在だった様で、鎌倉時代から江戸時代にかけて影響を受けた神社仏閣が非常に多かったという事なのでしょう。また、神社で寺名を聞くことがあるのは神仏習合の現れとも言えますね。

 そういえば、当サイトで以前紹介している「荒子観音」も密蔵院の末寺だったですね。

御朱印帳の保管に

 数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。

 ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?

参拝記

 前回参拝した「神明社/紹介記事」から県道213号線を北上し庄内川を渡河する吉根橋を渡り、春日井市に突入します。吉根橋の橋梁から右前に見える森が今回紹介する「医王山密蔵院」の境内になります。

山門

 門前に寺号標が据えられている薬医門の山門になります。春日井市の指定文化財となっていて、門柱の所に「市指定文化財 総門」と書かれた案内板が設置されています。門柱周辺に防護柵が設けられていますが、この山門は市指定文化財となっているのが影響しているのかな?

観音堂

 山門を潜った先にあるこちらも春日井市の指定文化財となっている「観音堂」になります。昨今の世間の情勢もあって外陣部分に施錠されてしまっているのは致し方ないのかもしれませんね。

多宝塔

 国の重要文化財に指定されている「多宝塔」になります。現地に設置されている案内板によると建立時期は室町期であり、幾度と修理されてきたが昔の姿をとどめているとしています。

 おなじ国の重要文化財に指定されている龍泉寺の多宝塔と見比べてみるのもいいかもしれませんね。

元三大師堂

 こちらも春日井市の指定文化財となっている「元三大師堂」になります。

 というか、元三大師とは?・・・Google先生に尋ねてみた所・・・

元三大師とは?

平安時代の天台宗の僧侶「良源(りょうげん)」(九一二~九八五)の尊称。
元三大師は「がんざんだいし」と読む。

第十八代天台座主であり、比叡山延暦寺の中興の祖とされ、江戸時代の頃より「厄除け大師」としての信仰を集める。また、おみくじの創始者としてもその名を知られています。

元月三日(一月三日)に入滅されたことから元三大師の尊称が広く親しまれているそうです。

 殆ど気にした事なかったのですが、「厄除け大師」は天台宗の寺院が中心に祀られているという事なのかな?この辺りも少し気にしながらこれから参拝していこうと思います。

灌頂の井

 こちらも春日井市の指定文化財となっている「灌頂の井」になります。井戸の様にも見えますが、そもそも「灌頂の井」とは何ぞや?これまたGoogle先生に聞いてみると・・・

灌頂とは?

インドの王が即位の際に水を頭にそそいで祝意を表していた事が起源とされ、密教においては頭頂に水を灌いで諸仏や曼荼羅と縁を結び、正しくは種々の戒律や資格を授けて正統な継承者とするための儀式の事をいうそうです。

 思うに、密蔵院にて出家をする際、剃髪と共にこの井戸の水を頭に濯いでいたから「灌頂の井」と呼ぶのだと思うのですが、説明案内などが見つからなかった為、自分の推測となってしまうのが残念な所。

山王社

 たぶん密蔵院の鎮守社になるだろうと思う山王社になります。こちらの社も春日井市の指定文化財となっています。こちらの山王社の由緒は不詳です。

宝蔵

 こちらも春日井市の指定文化財となっている宝蔵です。宝蔵と言えば耐火建築ということで漆喰造になっていますが、こちら宝蔵院の宝蔵も耐火建築になっているっぽいですね。

庫裏と本堂(元客殿)

 境内の一番北側に庫裏と元々は客殿だったという本殿があります。本殿は薬医門が設けられた塀で囲まれており、この一角はこれまでの開放的な境内の雰囲気とは異なる空気を感じる事が出来ます。

参拝を終えて

 本堂の向拝に据えらえた鈴なんですが、非常に独特な様式ですね。


遊び予約/レジャーチケット購入サイト「asoview!(アソビュー)」


所在地を地図で確認

寺院名医王山薬師寺密蔵院
所在地愛知県春日井市熊野町三一三三(Googlemap
最寄駅鉄道:JR東海:中央線「神領駅」徒歩25分
バス:かすがいシティバス「熊野町バス停」徒歩15分

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

 元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。

少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。

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