寺院紹介
寺院概要
寺院名 | 医王山薬師寺密蔵院 |
所在地 | 愛知県春日井市熊野町三一三三(Googlemap) |
創 建 | 天台宗 |
宗 派 | 嘉暦三年(1328年) |
御本尊 | 薬師如来 |
霊 場
霊 場 |
前札所 | 霊 場 | 次札所 |
---|---|---|
文化財
国 宝 | |
国指定 | 木造薬師如来立像 多宝塔 |
県指定 | 絹本著色兜率天曼荼羅 絹本著色天台大師像 絹本著色千手観音菩薩像 銅製仁王像 木造十一面観音像 礼盤2基 鉄釣灯籠 |
市指定 町指定 村指定 | 密蔵院建造物6棟 宮殿形厨子 絹本著色十六羅漢像 絹本著色慈妙上人坐像 絹本著色愛染明王像 絹本著色愛染明王像 絹本著色十一面観音菩薩坐像 絹本著色三千仏像 紺紙金泥金胎種子曼荼羅 木造大日如来坐像 木造本地仏坐像 木造阿弥陀如来座像 鰐口 鉄製釣燈籠 寺額 神額 華鬘 阿娑縛抄 密蔵院文書 寂蓮法師和歌 慈鎮和尚和歌 |
参拝情報
御朱印 | 〇 |
URL | 〇/http://www.mitsuzouin.org/ |
駐車場 | 〇 |
参拝日 | 2022年4月10日 |
御由緒
嘉暦三年(1328年)、慈妙上人が創建したという。最盛期には末寺七百余ヶ寺、寺中三十六坊の規模を誇る葉上流の伝法灌頂の道場として学徒は三千人を超えたというまさに尾張地方の天台宗を代表する巨刹であった。しかし戦国時代である元亀天正年中の頃より次第に荒廃していったという。しかし、三十一世珍祐が名古屋東照宮の別当である尊寿院の住職として移住した後は代僧が寺務一切を取り仕切っていたという。
明治維新の時には六坊のみが残っていたが、明治六年には無檀無住となり、更に三坊が廃寺となり、二坊を本寺に合併して一坊(常泉坊)を残すのみとなった。明治二十四年(1891年)には濃尾地震により本堂、仁王門などが倒壊した。
参拝記
前回参拝した「神明社/紹介記事」から県道213号線を北上し庄内川を渡河する吉根橋を渡り、春日井市に突入します。吉根橋の橋梁から右前に見える森が今回紹介する「医王山密蔵院」の境内になります。
山門
門前に寺号標が据えられている薬医門の山門になります。春日井市の指定文化財となっていて、門柱の所に「市指定文化財 総門」と書かれた案内板が設置されています。門柱周辺に防護柵が設けられていますが、この山門は市指定文化財となっているのが影響しているのかな?
観音堂
山門を潜った先にあるこちらも春日井市の指定文化財となっている「観音堂」になります。昨今の世間の情勢もあって外陣部分に施錠されてしまっているのは致し方ないのかもしれませんね。
多宝塔
国の重要文化財に指定されている「多宝塔」になります。現地に設置されている案内板によると建立時期は室町期であり、幾度と修理されてきたが昔の姿をとどめているとしています。
おなじ国の重要文化財に指定されている龍泉寺の多宝塔と見比べてみるのもいいかもしれませんね。
元三大師堂
こちらも春日井市の指定文化財となっている「元三大師堂」になります。
というか、元三大師とは?・・・Google先生に尋ねてみた所・・・
殆ど気にした事なかったのですが、「厄除け大師」は天台宗の寺院が中心に祀られているという事なのかな?この辺りも少し気にしながらこれから参拝していこうと思います。
灌頂の井
こちらも春日井市の指定文化財となっている「灌頂の井」になります。井戸の様にも見えますが、そもそも「灌頂の井」とは何ぞや?これまたGoogle先生に聞いてみると・・・
思うに、密蔵院にて出家をする際、剃髪と共にこの井戸の水を頭に濯いでいたから「灌頂の井」と呼ぶのだと思うのですが、説明案内などが見つからなかった為、自分の推測となってしまうのが残念な所。
山王社
たぶん密蔵院の鎮守社になるだろうと思う山王社になります。こちらの社も春日井市の指定文化財となっています。こちらの山王社の由緒は不詳です。
宝蔵
こちらも春日井市の指定文化財となっている宝蔵です。宝蔵と言えば耐火建築ということで漆喰造になっていますが、こちら宝蔵院の宝蔵も耐火建築になっているっぽいですね。
庫裏と本堂(元客殿)
境内の一番北側に庫裏と元々は客殿だったという本殿があります。本殿は薬医門が設けられた塀で囲まれており、この一角はこれまでの開放的な境内の雰囲気とは異なる空気を感じる事が出来ます。
参拝を終えて
本堂の向拝に据えらえた鈴なんですが、非常に独特な様式ですね。
遊び予約/レジャーチケット購入サイト「asoview!(アソビュー)」
所在地を地図で確認
寺院名 | 医王山薬師寺密蔵院 |
所在地 | 愛知県春日井市熊野町三一三三(Googlemap) |
最寄駅 | 鉄道:JR東海:中央線「神領駅」徒歩25分 バス:かすがいシティバス「熊野町バス停」徒歩15分 |