ONE POINT
尾張四観音、尾張観音霊場にその名を連ねる名古屋市守山区にある天台宗「松洞山龍泉寺」の紹介です。寺伝では伝教大師(最澄)による創建であると伝えられる古刹であり、また弘法大師(空海)も参籠し宝剣を奉納したとも伝えられています。
寺院紹介
寺院概要
寺院名 | 松洞山龍泉寺 |
所在地 | 名古屋市守山区竜泉寺一丁目九〇二番地(Googlemap) |
創 建 | 延暦年間(792-806年) |
宗 派 | 天台宗 |
御本尊 | 馬頭観音 |
霊 場
霊 場 | 尾張三十三観音 二十五番札所 名古屋四観音 |
前札所 | 霊 場 | 次札所 |
---|---|---|
龍音寺(小牧市) | 尾張三十三観音 | 宝泉寺(瀬戸市) |
文化財
国 宝 | |
国指定 | 仁王門 木造地蔵菩薩立像 |
県指定 | |
市指定 町指定 村指定 | 木造馬頭観音および熱田大明神・天照皇太神立像 |
参拝情報
御朱印 | 〇 |
URL | 〇/https://www.ryusenji.com/ |
駐車場 | 〇 |
参拝日 | 2022年4月20日 |
御由緒
宝暦五年(1755年)に記された「龍泉寺記」によると「伝教大師が熱田神宮に参篭中、龍神の御告げを受け、龍の住む多々羅池のほとりでお経を唱えると、龍が天に昇ると同時に馬頭観音が出現したので、これを本尊として祀った。」と記されていおり、伝教大師(最澄)を開基とする寺院であるとしています。
また、大正十二年発刊された東春日井郡誌では、「延暦年中(792-806年)に伝教大師熱田宮に参籠して、修法ありたるとき、即ち龍神の告によりて此地に来り。多羅々が池より出現してある閣浮檀金の馬頭観音の像を安置せんして、以て茅堂を営みあり。」と記しており、龍泉寺記に沿った内容を紹介しています。537
尾張志
江戸時代に編纂された尾張志によると、
「龍泉寺、吉根むらにありて、松洞山と号し、野田村密蔵院末寺也。延暦年中伝教大師、熱田の宮に参籠して修法ありしに、ある夜童女一人来り、大師に逢て告いへるは、是より東北にあたれる地に龍泉あり。我は其地にすむ龍女なるが、師の法恩をうけて永く無生を證せんと思ふ。願くは我ために一妙句をしめし給ひねと、語りもあえす忽然として見えすなりぬ。伝教其童女がいひしままに跡をたずねて当山に到りつ、山の東南に池ありて、池のうちより俄に波を起し龍女あらわれて大師に申やう。前の日熱田にて契り参らせし。今かしこくも尋来り賜へる謝するに言葉なし、いで我累却の苦患を教賜へと請せしかば大師即法華一寛の妙旨を授けられし、龍女よろこぶこと限なく、今より後早敷あらは必甘天を降して普く人民を救はんと契ひ終りて池に入ゐ。其池を多羅々が池という。扨池中より閻浮檀金の馬頭観音の尊像(御長三尺)湧出して傍なる椎の木の梢に飛懸り賜へり。大師茅堂を営み其像を安置せられしが幾程なく本堂を造立し(龍神威力をしめし造営すともいえり)、本尊とあがめ龍泉寺と名つく、・・・・(後略)・・・。」
と記されており、「伝教大師・・・延暦寺を造営し天台宗を開いた最澄の称号・・が現在の熱田神宮に参籠していた時に龍のお告げがあり多羅々の池の辺でお経を唱えると龍は多羅々池に消えその池から馬頭観音が出現し、これを本尊として創建されたのが龍泉寺である。」とざっくりとかいつまんでみるとこんな感じで龍泉寺の由緒が書かれています。
また、弘法大師(空海)が熱田神宮に参籠していた時に龍泉寺に熱田神宮の宝剣八本の内三本を龍泉寺に寄進したとも書かれており、龍泉寺は熱田神宮の奥之院とも呼ばれていたそうです。
戦国時代には、豊臣秀吉と徳川家康が戦った「小牧長久手の戦い」において、この龍泉寺周辺に豊臣方が砦を築き、この砦を徳川方が攻め込んだ為、豊臣方は退却の際に火を付け龍泉寺の伽藍は焼失してしまったといいます。慶長三年(1598年)に伽藍は再建されています。
明治三十九年(1906年)に龍泉寺は放火に遇い、多宝塔、仁王門、鐘楼を除く全てが灰燼に帰してしまいます。しかし、竹あとから「慶長小判百枚」が発掘された為、これを再建の基金とし更に多くの御信者の寄付があり、本堂などが再建されています。
御朱印帳の保管に
数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。
ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?
愛知県下新十名所

「」は昭和二年に昭和二年に新愛知新聞社(現:中日新聞)が読書の方達からの投票によって愛知県の新しい十名所を決定しようという企画「愛知県下新十名所」において「1610票」を集めて「第46位」になっています。
龍泉寺 | 46位/57位 | 1,610票 |
松洞山龍泉寺(名古屋市守山区竜泉寺)尾張四観音
尾張四観音、尾張観音霊場にその名を連ねる名古屋市守山区にある天台宗「松洞山龍泉寺」の紹介です。寺伝では伝教大師(最澄)による創建であると伝えられる古刹であり、また弘法大師(空海)も参籠し宝剣を奉納したとも伝えられています。
愛知県下新十名所と名古屋新十名所を巡る:第2弾ー竜泉寺・鹿乗橋・櫻田景勝・山田元大将之社ー
2022年4月20日、愛知県下新十名所選定にノミネートされた鹿乗橋と龍泉寺を巡るあいちを巡る生活遠征編の立ち寄り先をダイジェストで紹介していきます。
少彦名神社(名古屋市中区丸の内)愛知県下新十名所
名古屋市中区丸の内三丁目に鎮座する少彦名神社の紹介です。江戸時代末期の頃からこの辺りは薬問屋街として発展し「薬祖神」として勧請創建された神社になります。現在でも薬関連の方からの崇敬厚い神社になります。
愛知県下新十名所と名古屋新十名所巡り ー京町薬祖神・闇之森・榎ノ権現・久屋金刀比羅社ー
2022年4月13日はどこ行こう 令和四年(2022年)の連載企画として紹介して生きている「愛知県下新十名所巡り」も早いもので第7弾となります。今回は名古屋市中区丸の内三丁目という名古屋市の中心地にある「京町薬祖神」を中心に巡っていく事にします。何度も愛知県下新十名所の紹介記事の中で紹介していると思いますが、愛知県下といいつつ名古屋市内の名所については殆どノミネートされていません。これは愛知県下新十名所選定以前の大正十四年に「名古屋新十名所」が選定された事が影響しているのは間違いないかと思います。 地 ...
御幸山公園(名古屋市天白区御幸山)
昭和初期、明治天皇・大正天皇が演習を統監され御野立所が設けられた事から「御幸山」と呼ばれるようになった音聞山の紹介です。愛知県下新十名所投票戦でも42位に入るなど古くから風光明媚な場所としてその名が知られている場所になります。
参拝記
新交通システムの名古屋ガイドウェイバス(ゆとりーとライン)の終着駅である「小幡緑地バス停」から県道15号線を志段味方面に200mほど進むと龍泉寺の境内に向かう参道が見えてきます。信号のない交差点なので、特に志段味方面から龍泉寺に向かう際は右折となるので注意が必要です。
県道15号線から続く参道の様な市道を進んでいくと、突き当りに龍泉寺の境内が見えてきます。駐車場は向かって右手側に用意されていますので安心して車で向かう事ができます。
境内入口

龍泉寺の境内入口には中々他の寺院では見かける事が少ない「狛犬」が参道脇に一対鎮座しています。この辺りは熱田神宮の奥之院とも称されていた時代の名残なのでしょうかね。

かなり独創性のある狛犬の様な気がしますが・・。今まで紹介してきた狛犬とは違う雰囲気を自分的には感じていますが、皆さんはどうですか?
仁王門(国:重要文化財)

江戸時代の再建当初の姿を今に伝えるという八脚楼門づくりの仁王門になります。明治時代の放火によって本堂などが消失してしまわなければ龍泉寺全体が重要文化財に指定されていてもおかしくなかったのかもしれませんね。


左右の間部分に鎮座する仁王像も江戸時代作の様です。
多宝塔

元々は大日如来像が安置されていたそうですが、由緒の所でも紹介していますが小牧長久手の戦いの際に焼失、その後再建されており、現在では阿弥陀如来像が安置されているそうです。
寺院の伽藍配置では本堂向かって右手側に多宝塔などの塔を据える配置が多いそうですが、江戸時代以降、大修理を行う際に本堂向かって左手側に移設され、明治の放火の際には消失を免れた江戸時代の多宝塔の造りを今に伝えています。
岡崎周辺の多宝塔は朱塗りされていない素地むき出しの造りの物が大多数であり、こうした朱塗りの多宝塔は非常に新鮮な気分にさせてくれます。岡崎周辺の多宝塔と言えば・・・。
大樹寺の多宝塔

国の重要文化財に指定されている徳川家康の祖父「松平清康」が建立した多宝塔になります。詳しくは当サイトでの紹介記事を参照して頂くか、愛知県が開設している「愛知県庁文化財ナビ愛知」の紹介ページを参照してみてください。
愛知県庁文化財ナビ愛知「大樹寺多宝塔紹介ページ」
本堂

入母屋造瓦葺妻入りの瓦破風の向拝が設けられた本堂になります。本堂も多宝塔と同じ白壁に朱塗りの柱という彩色となっているのが特徴です。

両建物を一堂に見ると、非常にバランスの取れた彩色になっている感じがします。
東門

木々に日の光が遮られてしまいかなり暗い感じとなってしまい、細部がよくわかりませんが、門扉の無い高麗門の東門となります。東門から先は石段が伸びており、観光バスなどの駐車場へ向かう事が出来ます。この東門から石段を下りていくと・・・

天台宗の寺院なのに、真言宗開祖である弘法大師の霊場である新四国霊場が開創されていました。かなり古くからここに開創された新四国霊場の様です。こうして宗派を超えて信奉されているのも弘法大師のすごさなのかもしれませんね。
水野房次郎・篠田銀次郎 寿像

はっきりとその名が彫られている訳ではないようなのですが、この両氏の像については、コンクリート像作家としてその名を知られている「浅野祥雲」氏の作ではないかと考えられているそうです。
写真左側の銅像は「水野房次郎」氏、右側の銅像は「篠田銀次郎」氏の像になります。両氏共に名古屋市における畜産業に貢献をされた方だったようです。「名古屋牛馬畜産組合」の名を確認できたことから、この組合に関係された方だと思われます。
御嶽教



龍泉寺周辺には先に紹介していますが新四国霊場の札所が点在しているのですが、その札所に沿って少し山道を登っていくとその先に御嶽教の神社が鎮座していました。妻入り開放型の拝殿を有する社殿とその脇に数多くの石碑が建てられた御嶽教特有の施設が設けられています。ここは龍泉寺が管理しているのかは不明ですが、ここで紹介させて頂きます。
参拝を終えて

龍泉寺の境内には非常に多くの猫たちがのんびりと日向ぼっこをしていました。まったく逃げる事もない事からかなり人懐こい子たちのようです。

個人的には猫派なんで、こうした猫たちを間近で見れるとめっちゃ嬉しくなっちゃいます。
遊び予約/レジャーチケット購入サイト「asoview!(アソビュー)」
所在地を地図で確認
寺院名 | 松洞山竜泉寺 |
所在地 | 名古屋市守山区竜泉寺一丁目九〇二番地(Googlemap) |
最寄駅 | 鉄道: バス:名古屋ゆとりーとライン「小幡緑地バス停」徒歩8分 |
寺院・霊場巡りの際のバイブルに
元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。
少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。