古墳名 | 獅子塚古墳 |
所在地 | 愛知県安城市東町獅子塚地内 |
形状 | 前方後方墳 又は 善行後円墳 |
規模 | 55m± 現状26m×28m |
指定・種別 | 昭和40年 安城市指定史跡 |
訪問日 2019年9月26日
獅子塚古墳訪問記
碧海台地の東端を沿うように「鹿乗川」が流れています。桜井町の街中からこの「鹿乗川」を超えると、「沖積地」とも呼ばれる矢作川が上流から運んできた土砂によって作らられた平地部分には田園風景が広がり、その先に矢作川の堤防を遠くに臨むことができます。今回訪問する「獅子塚古墳」は碧海台地の端に設けられた古墳になっていて、沖積地からも見上げる様に見る事ができる様につくられているようです。
「鹿乗川」の西側から獅子塚古墳を望んだストリートビューになります。橋と道路と堤防でちょっとわかりにくいですが、かなり碧海台地部分は沖積地とは標高が違う所を見る事ができます。
元々は南南西に前方部分を振った前方後円墳または前方後方墳と思われる古墳になります。明治時代までは前方部分が残っていたそうなのですが、鹿乗川の治水工事と墳丘部に鎮座している秋葉神社の参道を設ける工事により削り取られてしまい、後円部又は後方部のみが残されているようです。
桜井町の色々な史跡を巡っていく中、一覧みたいな記事を書こうかなと思って勝手に「桜井町誌」を作成してみました。正直な所、まだ巡っていない場所のが多く、何時完成するのかはまったくもって未定ですが、一度みてやってくださいませ。
獅子塚古墳の沿革
安城市役所の史跡紹介によると、「獅子塚古墳」の名称の由来は「獅子のうずくまった形」をしている、あるいは獅子面を埋納したためとも言われているようです。別の説によると『姫塚古墳に葬られた姫君の乳母「いし」が葬られた「いし塚」から来ている』と言われています。
時期は不明ですが、獅子塚古墳の墳丘部に「秋葉神社」が鎮座しています。この秋葉神社なんですが、桜井神社の由緒によると大正三年に「字獅子塚の秋葉神社を本社合祀した。」とあります。一時は獅子塚古墳の墳丘部からも秋葉神社が遷座合祀されたようですが、戦後再びこの地に勧請されたのだろうと思われますので、桜井神社の境外社という位置づけなのかな?と思うのですがどうですかね。
桜井古墳群の古墳一覧
1:塚越古墳(前方後円墳または前方後方墳)、2:東川古墳、3:三ッ塚1号墳、4:三ッ塚2号墳、5:三ッ塚3号墳、6:愛染古墳、7:印内北分1号墳、8:印内北分2号墳、9:二子古墳(前方後方墳)、10:比蘇山古墳(前方後円墳または前方後方墳)、11:山伏塚古墳(前方後円墳)、12:碧海山古墳、13:堀内古墳(前方後円墳)、14:もも塚古墳、15:獅子塚古墳(前方後円墳か)、16:姫塚古墳、17:崖古墳、18:姫小川古墳(前方後円墳、国の史跡)、19:王塚古墳、20:加美古墳、21:八ツ塚古墳。
秋葉神社
神社紹介
神社名 | 秋葉神社 |
鎮座地 | 愛知県安城市東町獅子塚地内 |
御祭神 | 火之加具土命 |
旧社格 | 無格社 |
創 建 | 不詳 |
神名帳 | ー |
境内社 | ー |
例祭日 | ー |
御朱印 | ー |
H P | ー |
参拝日:2019年9月26日
由緒・沿革
前述しましたが、桜井神社の由緒にある大正三年に「字獅子塚の秋葉神社を本社合祀した。」と書かれている秋葉社になると思われます。戦前に政府の施策により神社の合併が推し進められていましたが、戦後合併前の状態に戻すかのように社殿を再興し合祀先となった神社から分祀をうけ再興する神社があります。もしかしたら、ここ秋葉神社もそういった神社なのかもしれませんね。
参拝記
明神鳥居からまっすぐに獅子塚古墳の墳丘上に鎮座する秋葉社の社殿に向かい参道と石段が伸びています。南南西にむいた古墳だったということですが、秋葉社は南入り南向きの境内となっているので、前方部分を斜めに参道が走っている事がわかります。
石段を登っていくと、コンクリート造りの流造風の祠が鎮座しています。この建物は覆殿(鞘堂)であり中に本殿が鎮座していると思われます。
墳丘は高さ5mくらいあります。なんだか色々な木々が雑多に生えているので、古墳と言われてなければ小山としか思えない外観かなと思います。
地図で所在地を確認
神社名 | 秋葉神社 |
鎮座地 | 愛知県安城市東町獅子塚二番地 |
最寄駅 | 名古屋鉄道西尾線「桜井駅」徒歩13分 |