歴史紀行

コロナ禍の中、旅行記を妄想してみる。-第1弾-

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

 2020年、世界中の国々にて猛威を振るっている新型コロナウィルス(COVIT-19)なんですが、ここ日本国でも不要不急の外出を自粛する旨を中心とした緊急事態宣言が発令されていますね。
 当サイトでも、神社参拝、霊場巡拝など参拝者が少しでもいらっしゃる様な所には極力近づかない様にする為、3月の中旬頃から「参拝自粛」を行っております。サイト更新は、当面の間はまだまだ記事にしていない参拝先の神社、仏閣などがありますので、順次記事にしていく事で対応できるのですが、残念ながらそれも限りがある訳です。

 そこで、コロナ禍が"ある程度"治まり、外出許可が出た時に三密を気にしながら巡る行程と、コロナって何?とCOVIT-19を制圧した時に、もう三密も気にせずに巡る事ができる行程なんかを妄想していこうかなと思います。

妄想旅行記第一弾

 今年(2020年)は、南知多三十三観音霊場が開創90周年の記念宝印&記念バッジが授与されるようです。バッジについては限定何個なのかは不明なので、今廻っても頂けるのかは不明ですね。

 記念宝印だけでなく、バッジ授与は惹かれますね。1月から授与が始まっているようですので、もしかしたらもうなくなっているかも?先の話ですが、10年後の開創100周年はすごい盛り上がる周年記念になるといいですね。当サイトでも微力ながら・・・10年後まで続いていれば・・・情報を発信していきたいと思います。

河和口駅ー河和駅間を巡る

 さて、妄想旅行記第一弾はこの南知多三十三観音を中心にお届けしていきたいと思います。まずは、一番札所となる「慈雲山影現寺(時志観音)/紹介記事」を参拝・納経する為に、名古屋鉄道河和線「河和口駅」を下車し、海沿いを走る国道247号線沿いを南に向かって歩いていく事にします。

 こちらの影現寺は、「知多四国霊場番外札所」「四国直伝弘法三十六番札所」「知多西国観音八番札所」「南知多観音一番札所」「南知多七福神/福禄寿」と、知多半島を舞台とする霊場の札所を多数兼ねています。さらに言えば、挙げさせて頂いた霊場すべてに納経帳が用意されているので、知多半島の霊場を巡っている方にとって、一番参拝・納経する機会が多い寺院になるかと思います。

河和散策

 「影現寺」を後にして、国道247号線を南下し、美浜町河和に入ります。名古屋鉄道河和線の最終駅となる行き止まり構造の「河和駅」が街の中心になっていますね。個人的に河和を訪れた時是非ともと立ち寄りたい場所は、「河和城跡」と河和城主だった河和水野家の菩提寺にとなる「全忠寺」になります。全忠寺は南知多三十三観音霊場三番札所になっています。

 「河和城」をGoogle先生で検索すると、城郭紹介サイトが複数HITしてくるので、城郭巡りをされている方々にしてみれば、押さえておくべき城跡なのかな。

 渥美半島から知多半島に進出し河和城を築城した戸田氏。緒川城から知多半島を南下し知多半島を統一せんと勢力を伸ばす水野家と最初は対立しますが後に水野家の傘下に入る事になります。河和戸田家と水野家は婚姻関係となり、後に河和水野家と称するようになります。この河和戸田家、河和水野家の菩提寺となるのが、「全忠寺」になります。

 さらに河和には四国直伝弘法の札所も三カ所ありますので、やはり古くからの城下町という事で寺院が多いのでしょうね。

河和散策ルート

河和口駅(START) → 影現寺 → 十二神社 → 弥勒寺(知多四国26番/南知多観音2番) → 旧跡さん → 称名寺(南知多観音4番) → 河和城 → 甘露寺(四国直伝37番) → 慶樹院(四国直伝38番) → 全忠寺(南知多観音3番/四国直伝39番) → 天神社 → 河和駅(GOAL) 大体6kmほど

 現実問題として、岡崎から河和口駅に向かう場合、名鉄を利用すると東岡崎駅→神宮前駅→河和口駅→河和駅と、めっちゃ遠回りになるので、片道の所用時間が車を使った場合の倍近く必要になるので、電車でいくのは現実的ではないんですよね・・・。因みにJRを使うと、岡崎駅→大府駅→半田駅→知多半田駅→河和口駅→河和駅となり、距離的には名鉄オンリーより短くなりますが、半田でJRから名鉄に徒歩で駅を移動して乗り換える必要が出てくるので、これまた現実的ではないような気がします。

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