名古屋市熱田区

波限神社(名古屋市熱田区一番)

2024年5月3日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

ONE POINT

名古屋市熱田区一番に鎮座する「波限神社(なぎさじんじゃ)」の紹介です。社伝では加藤清正が勧請創建した神社であると伝えられている一方明治元年に創建されたという情報もあり、由来が謎めいている神社になります。

神社情報

神社名波限神社(ナギサジンジャ)
鎮座地名古屋市熱田区一番二丁目四十五番地八(Googlemap
例大祭十月十八日
創 建慶長十五年(1610年)?
明治元年(1868年)?
御祭神鵜茅葺不合命
旧社格村社
神名帳

境内社

境内社熱田社
秋葉社
稲荷社

文化財

国 宝
国指定
県指定
市指定
町指定
村指定

参拝情報

御朱印
URL
駐車場
参拝日2022/4/27

御由緒

 波限神社の社名は何と読むのか?
 神社情報の所にフリガナを載せているのでクイズにもなっていないのですが、”なぎさじんじゃ”と読みます。どう見ても”なぎさ”とは読めない訳ですが、この社名は御祭神に由来しているんだとか。波限神社の御祭神は初代神武天皇の父である「鵜茅葺不合命」になります。古事記では「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命」という名で記載されています。読み方は「あまつひこ ひこ なぎさたけ うがやふきあえず の みこと」です。「波限建=なぎさたけ」という名前から波限神社の社名が付けられたそうです。

 愛知県神社庁が発刊している「愛知県神社名鑑」によると、波限神社の創建は「名古屋城の築城時となる慶長十五年(1610年)に加藤清正が築城の大石を運ぶに先立ち日向国に鎮座する鵜戸神宮より御分霊を受け時の堀川口の千年町船方の小島に社を建立した。」と書かれています。波限神社が鎮座する船片という地は江戸時代になり干拓された新田とよばれる地域であり、名古屋城の築城を行っていた頃はまだ遠浅の海が広がる干潟の様な場所だったと思われます。そんな場所の小島にわざわざ日向国から勧請し社を建立するだろうか・・・。あ、ちなみに堀川は慶長十五年(1610年)から掘削が始めれた人工の運河の様な川でして、福島正則によって掘削されたとされこの辺りは以前紹介した当サイトの記事を参考にしてみてください。

 堀川掘削とほぼ同時期に社が建立されたとなると、堀川掘削の安全祈願と船で石垣用の大石を運ぶ交通安全祈願を目的として社を建立したのかもしれません。が、なぜに鵜茅葺不合命を勧請したのかという謎は残る訳ですが。

 さらに波限神社の由緒を複雑にしているのは、大正期に発刊された「名古屋市史」によると波限神社の創建は「明治元年」であると記されています。これはこの地に鵜茅葺不合命を勧請し社と建てたのが明治元年だったのか、この地のどこかの屋敷神として祀られていた波限神社をこの地の鎮守社として祀ったのが明治元年だったのか・・・これまた謎が残ります。さらには、波限神社は戦中には愛知時計の敷地内に鎮座していたという話もあり、さらに空襲で社が焼失してしまい社伝がなくなってしまったことも歴史の謎が残ってしまった原因になっていると思われます。

社伝に、慶長十五年(1610年)名古屋城築造に際し、加藤清正築城の大石を運ぶに先立ち鵜戸神宮より御分霊を受け時の堀川口の千年町船方の小島に鎮座。祈願して無事運搬するを得てあつく崇敬したと伝う。明治五年八月村社に列格し、昭和初年愛知時計株式会社の拡張により止むなく現在の一番五丁目二十九番地に遷る。昭和二十年六月の空襲により社殿拝殿烏有に帰す。同二十五年仮殿を造営する。同五十六年八月十五日波限神社と改称し、造営した。

愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」

御祭神

  • 鵜茅葺不合命

御朱印帳の保管に

 数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。

 ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?

参拝記

 波限神社とは市道を挟んで反対側(南側)の工場の建物が建っていますが、こちらが由緒の所でも名前がでていた愛知時計工業の熱田工場になります。この熱田工場とすこし東側に進んだ所にある愛知時計本社工場で戦時中に戦闘機や攻撃機などが製造されており、戦争末期には空襲の標的にされ、この辺りは焼け野原になってしまったんだとか。

境内入口

 波限神社の境内入口には社号標、神明鳥居が据えられています。鳥居の脇には・・・

 「まむし神様」と彫られた石碑が据えられています。あつた史跡とも彫られているので何やら蝮に関連する伝承がのこっているのでしょうか?まあ、神田=田圃という自分の勝手なイメージからすれば、そら蝮も沢山生息していただろう事は想像に難くない訳ですが・・・。

手水舎

 支柱が設けられたコンクリート造二本柱タイプの手水舎になります。棟瓦だけは本物の瓦が使用されているのが特徴かな?

社伝

 尾張造の社殿といえば妻入開放型の拝殿を有している所が大半なのですが、ここ波限神社の拝殿は切妻造平入の開放型拝殿となっています。さらに基壇が床替わりになっている土間敷き様式となっている点も特徴的ですね。

境内社

境内社の熱田社・秋葉社合殿と稲荷社になります。

切り出された石材

 境内の片隅にたぶん名古屋城築城の際に切り出されたであろう石材が転がっていました。この石はどこで切り出されたのでしょうね。


遊び予約/レジャーチケット購入サイト「asoview!(アソビュー)」


鎮座地を神社で確認

神社名波限神社
鎮座地名古屋市熱田区一番二丁目四十五番地八(Googlemap)
最寄駅電車:名古屋市営地下鉄 名港線「六番町駅」徒歩22分
バス:名古屋市営バス 「船方バス停」徒歩5分

ご自宅にお札は祀られていますか?

実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、

リアルさ違いますよ・鳥居付神棚(ITSUKU・イツク)総檜 お札立て お札入れ 朱印帳立て 送料無料【smtb-td】【RCP】

南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。

-名古屋市熱田区
-,