西尾市

神明社[大戸神明社](西尾市一色町治明)

2018年2月18日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

神社情報

神社名:神明社
鎮座地:西尾市一色町治明西側二十三番地
御祭神:天照大御神、豊宇気昆売神
旧社格:神饌幣帛料供進指定村社
創 建:万治二年(1659年)九月十五日
境内社:秋葉社、海幸宮
例大祭:四月二十日
御朱印:ー
H P:ー

参拝日:208年1月18日

御由緒

社記に、この地は海面だった。三矢喜之助、万治元年(1658)新田の開拓に励むこと二年美田となる。時の代官平野半左エ門、土地の検分の際、鎮守の神を祭る許可を求め、境内除地をも認められ万治二年九月十五日に許可となる。この日を例祭日と定めた。明治五年十月十二日、村社に列格する。大正二年二月二十八日、字北の神明社と字北屋敷の神明社を本社に合祀した。昭和十七年十月二十三日、神饌幣帛料供進指定をうけた。

愛知県神社庁 発刊
「愛知県神社名鑑」より 


藤原清一(伊東太郎左衛門尉)後に三矢喜太郎に改め寛永元年(1624)大戸村(本北)開発致し、氏神守護神として八幡宮を勧請なし伊東家先祖の御縁にて大塔宮を祭祀致し村名も大塔村とし後に大戸村となる。
大戸村(古亥新田)の土地は元海面なるを大戸村郷士三矢喜之介なる人、萬治元年(1658)新田設立に着手、同二年新田成るに及び、己の守神を以て新田の鎮守の神となせり。其の後農耕に又は海に幸を求めて苦節幾世代を経て天保四年(1833)遂に旧社殿を建立せり。
明治五年村社に列せらる、同二十三年濃尾大地震で大被害を受け大改修を行へり。
大正元年一月二十五日北浜村神明社及び秋葉神社、同二年一月二十八日。北須村神明社及び秋葉神社を合併せり。
昭和の御代を迎え十七年指定村社に列せらる。十九年東南海地震続く二十年の三河大地震に遭い大被害を受けたるも氏子の武運長久祈願の據処として辛うじて旧姿を存続せり。
戦後はあの惨めな時代に農漁業を主体に逸早く起き直りしも神社造営を手掛ける暇もなく、二十八年の十三号、三十年の伊勢湾台風により倒壊寸前となり応急修理も限界に達せる頃より信仰心の厚氏子の間から神社再建の機運が高まり遂に昭和五十五年近郷に稀なる新社殿を完成御遷宮を迎えたり。
大戸村後に栄生村となり明治三十九年五月一色町に合併せり。

境内「神明社の由緒沿革」より

参拝記

西尾市と旧一色町の市町境に当たる北浜川の河口に近い場所に鎮座するのがこの神明社になります。この辺りは大戸村と称していた時期があり、大戸神明社と称しているようです。

神社前に設置してある掲示板にも、大戸神明社と書かれています。


北浜川の河口堰から平坂入江方向を望みます。
写真を撮影しているのは、西尾市中根町になり、対岸が西尾市一色町治明になります。

そんなに大きな川ではないのですが、かなりな迫力の河口堰です。

地図で、神明社の位置を確認してみてください。

神社自体は集落の中にあり、細い路地を入っていた所にあります。

こんな感じの路地を抜けた先に、大戸神明社が見えてきます。

やはり海に近いからなのか、境内には松が多く植えられています。

ストリートビューで神社周辺の雰囲気を感じてください。

境内入口

境内入口から社伝方面を望みます。
鳥居からまっすぐ参道が社殿に向かって伸びています。

社号標

建立年月を調べ忘れました・・・。旧社格が彫られていない社号標です。

鳥居

これまた建立年月を調べ忘れてしまった神明鳥居がお出迎え。

祓所

鳥居を潜ってすぐ右手に設置されている祓所です。
灯篭まで設置されているこのタイプの祓処は始めてです。

手水舎・水盤

鉄製の四柱に屋根部分は銅葺の木造というハイブリッド型の手水舎になります。
水盤は自然石をくり抜いた形になっています。

狛犬

大正十二年生まれ、吽形は玉乗りの狛犬一対です。

社殿

改めて、正面から社殿を望みます。
入母屋造、瓦葺、平入、高覧を設けた廻縁のあるコンクリート造りの拝殿になっています。
昭和40年から50年代に作られたコンクリート造りの社殿は、昔からのこの辺りに多い拝殿の建築様式を踏襲していて、高床式になっていて、更に屋根部分は木造とハイブリット形式という造りの所が多いような気がします。

本殿部分を望みます。拝殿、幣殿、本殿が一体となった社殿になっています。
資料では、流造の本殿が鎮座していたそうですが、この社殿の屋根を見る限り、覆殿ではなく、神明造の本殿に遷宮したんだと思います。

拝殿には彫刻も掲げられているのですが、鳥よけの金網がしっかりと貼られていて、少々見にくくなっています。

境内社

社殿向かって右手に鎮座する秋葉社と海幸宮。
海幸宮は聞いたことのない社名ですが、海上安全、大漁祈願を祈って伊雑宮を祀っているそうです。

懸魚・鬼瓦

鰭のない猪の目懸魚になります。
この部分を見る限り、コンクリート造りの社殿とは思えませんね。

平和之礎

社殿向かって左手には、戦没者慰霊の碑が建立されています。

参拝を終えて

境内に植えられている松の数が非常に多く、海沿いの神社の雰囲気を堪能させて頂きました。
境内社などを見ても、海にかかわりの深い神社なんだなと実感します。

近隣の神社


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地図で所在地を確認

”西尾市一色町治明西側二十三番地”

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