天神山 法厳寺(豊川市八幡町) 三河新四国霊場 三十七,三十八番札所 東三新四国霊場 六十八番札所

寺院情報

寺院名 天神山 法厳寺
所在地 愛知県豊川市八幡町上宿四十三番地
御本尊 不動明王
宗 派 真言宗醍醐派
創 建 永延年間(987-999年)
札 所 三河新四国霊場 三十七、三十八番札所
東三新四国霊場 六十八番札所
御朱印
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参拝日:2019年3月20日

沿革・由緒

詳細は不詳な寺院ですが、あるHPを拝見させて頂くと、「永延年間(987-999年)に三河の大守大江定基の祈願所として開創する。」とありました。

ここに出てくる「大江定基」とはどんな人物なのか?Google先生に聞いてみると、様々なサイトがヒットします。どうやら数奇な人生を送られた方の様で、ここでは簡単な説明を・・・

大江定基が従五位下の官位を得、三河守として赴任しようとしている時、本妻の外に輝くように美しい若い女に恋をしてしまったそう。そしてその恋は本妻に発覚してしまい、本妻はこれを妬み激怒して、離縁したという。そして、定基は、この若い女を妻として赴任先の三河国へこの女を連れていったのだそう。
しかし、この三河の地で、この女は重病に罹り、定基は様々な祈祷などをして女の病気の回復を願ったが、結局女は無くなってしまう。
定基は悲しさのあまり埋葬をせず、女の遺体を掻き抱いて添い臥していた。数日の後、女の口を吸うと、ひどい死臭がする。これにはさすがに耐え難く、疎ましい気持ちが起こり、なくなく弔いをした。その後この定基は「この世はつらく苦しいものだ」と、出家し「寂照」と称し、叡山三千坊の一つ如意輪寺に住んだといいます。その後、宋に渡る許可を得て渡海し、蘇州の僧録司に任じられ真宗から紫衣と円通大師の号を賜った。その後、日本に変えることなく宋で亡くなったそうです。


無くなった女性なんですが、京から連れてきた説の他に、赤坂宿の力寿という女性という説があります。赤坂には、力寿の遺跡が何ヶ所かあります。

由緒からして、大江定基が女性の回復を祈願した時に建立されたのが今回参拝する「天神山 法厳寺」なのかもしれませんね。

三河新四国霊場を行く

三河新四国霊場巡礼も豊川市に突入です。自分が住んでいる岡崎と同じ三河国なんですが、元々こちらは穂の国と呼ばれていた東三河地域になります。この東三河地域を舞台とする様々な霊場があるのも特徴でしょうか。

豊川市には(旧)三河新四国霊場の札所はありませんでしたが、再興された現在の三河新四国霊場では、五カ寺九札所が設けられています。なかでも、”豊川稲荷”として全国的にも有名な「豊川閣 妙厳寺」が別格札所として名前を連ねている所が特記すべきところかなと思います。
法厳寺から徳宝院まで札所の番号通り歩いて13kmほどですので、十分徒歩で巡礼できる距離かなと思います。(昼食は豊川稲荷周辺で稲荷寿司ですかねえ・・・。)


豊川市に入って最初の三河新四国霊場の札所になるのが、三十七番、三十八番札所「天神山 法厳寺」になります。国府で東海道と分岐し、本坂峠を経由して三ケ日方面に向かう「姫街道」沿いにあります。豊川はこの姫街道沿いに発展した町とも言えます。現在の東海道が整備される前は、この姫街道が本道だったようですね。また、法厳寺周辺は、奈良時代に三河国の国府が置かれ、国分寺、国分尼寺、総社が建立され、地方行政の中心地だったことがわかります。

現在では法厳寺周辺も区画整理が進められていて、宅地化が急激に進行していますね。ただ、法厳寺の周辺も宅地化しており、参拝する際は地元の方の邪魔にならないように参拝してください。

参拝記

最初にも述べていますが、法厳寺の周辺は区画整理が行われており、周囲の宅地化が進んでいます。ストリートビューで見て頂くとわかりますが、丁度法厳寺が建っている場所がT字路の所になるのもあり、車での参拝の際は注意が必要です。

境内全景

住宅時の中にある寺院の為か、法厳寺の境内を囲む壁もフェンス仕立てになっていますね。そして門もアコーディオン型になっていて、これも現代寺院の建築様式の一つになるのかもしれませんね。

本堂

入母屋造瓦葺妻入りで向拝の設けられた本堂になります。本堂の周囲には濡れ縁が設けられています。本堂右側には納経所の幟が見えますが、参拝した日は扉が閉じられていて、その前に朱印が置かれていました。所謂セルフ朱印ですね。

金剛堂

本堂前には、たぶん三十八番の札所になる金剛堂が建っています。

中央には弘法大師像が安置され、その左右に色々な石仏が奉安されています。

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・

祠と札所案内石柱

境内の片隅に、石造りの祠と石仏などが祀られていて、その脇には、札所の案内石柱が建っていました。

「東三新四国 六十八番札所」と彫られた札所案内石柱になります。戦後になって復興された三河新四国霊場の札所案内の石柱ってそういわれてみれば見たことがないですね。山門や本堂の前に白地の板に「三河新四国〇〇札所」と掲げられてはいますが・・・。

東三新四国・・・久々に再会しました。蒲郡市の「巌松山 善応寺」の門前に東三新四国の札所案内石柱が据えられていましたね。この時は、「へ~こんな大師霊場もあるのか。」くらいな感覚だったのですが、あれから色々な霊場に触れる機会があり、いずれ東三河を巡る時は、積極的に東三新四国の札所を訪れる様にしていこうと思います。

御朱印

参拝を終えて

「愛知県宝飯郡誌」など調べても、残念ながら(旧)八幡村の記述の所には今回参拝した法厳寺は載っておらず、詳しい由緒は解りませんでした。しかし、別の所から「大江定基」という三河国司の名を聞き、巡礼の合間に所縁のある場所を訪れていこうと思った次第です。その時はまた紹介させて頂きます。

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所在地を地図で確認

寺院名 天神山 法厳寺
所在地 愛知県豊川市八幡町上宿四十三番地
最寄駅 名古屋鉄道 名鉄本線「国府駅」徒歩6分

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある”村の鎮守の神様”と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな”知多四国霊場”を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。

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少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。

次の目的地は?

三河新四国霊場三十七番,三十八番札所「天神山 法厳寺」を後に、三十九番,四十番札所「小林山 快泉院」を目指します。じつはこちら快泉院も東三新四国霊場の札所になります。

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