城跡巡り 秋葉山常夜燈

成岩代官所跡、秋葉山常夜燈(半田市東郷町)

2018年12月7日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

城郭詳細

城 名:成岩代官所
所在地:愛知県半田市東郷町二丁目
築城年:慶長六年(1601年)
築城主:徳川家康
城形式:平城
遺 構:-
規 模:ー

訪問日:2018年5月23日

沿革・詳細

関ヶ原の合戦後、尾張国知多郡を直轄地とした徳川家康が慶長六年、この地を統括するために設けたのが成岩代官所になります。その後、尾張徳川家が成立するまでの間、知多郡を治めます。代官は榊原六郎左衛門が任命されています。

歴史探訪

西尾市巨海町に鎮座する八剱神社を参拝し、由緒を調べた時、その中に出てきたのが「榊原六郎左衛門」になります。徳川家康が関東移封される以前に、巨海町周辺を治めていた領主になります。領主時代、八剱神社の再建に尽力を尽くした様で、由緒にも「・・・、天正十三年(1585年)榊原六郎左衛門領主となり社殿を再建し、・・・」と書かれています。

その後関東移封でこの地を去りますが、関ヶ原合戦後、知多郡を治める成岩代官所の代官として赴任してきます。尾張徳川家が成立し知多郡も尾張藩に属することになった為、代官所は廃止されます。その後、榊原六郎左衛門がどこに行ったのか、調べていきたいと思います。

知多四国霊場を行く

二十一番札所「天竜山 常楽寺」の駐車場に向かう途中、になる祠に気があったですが、常楽寺とは国道を挟んだ反対側に位置していた為、常楽寺の参拝を終えた後、目の前のあるのですが、横断歩道が離れた交差点にしかなく、めっちゃ迂回する形で訪問してみました。

五十番、五十一番札所野間大坊での源義朝
十五番札所洞雲院での久松俊勝、於大の方
そして、ここ常楽寺での加藤六郎左衛門

三河国を中心に動いている企画「歴史探訪」とちょこちょこと繋がっているのが面白いですね。まだまだ、この先も両企画は進行していくので、どんどん繋がりが発生するかもしれませんね。  楽しみで仕方ないです。

訪問記

知多四国霊場二十一番札所「天竜山 常楽寺」と国道247号線を挟んだ東側に小さな祠が一棟建っています。常楽寺からこの祠周辺に成岩代官所が建っていたということです。

周囲は住宅地となっていて、まったく遺構は残っていません。

地図では地蔵堂となっている祠だったので、何気に中を覗いてみたら・・・

あら?地蔵様が安置されているわけではなく、常夜燈が据えられている・・・。

ってことは、この祠は、秋葉社か・・・・。

常夜燈データ

種  別 秋葉山常夜燈 建立年月 不明
設置場所 半田市東郷町二丁目地内
形  状 宮立型(宮前型) 基壇-段、土台石二段
竿部刻印 正面「秋葉山常夜燈」左面「皇大神宮」
台石刻印
火袋台石刻印

祠の中に覆われている常夜燈は初めて見ましたね。
竿部裏面に彫られているであろう建立年月が解らなかったのが残念です。

次の目的地は

次は、武豊町に鎮座する二十三番札所「御嶽山 大日寺」を目指して知多半島を南下していきます。

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