神社情報
神社名 | 八剱社 |
鎮座地 | 名古屋市熱田区一番二丁目二十七番九号(Googlemap) |
例大祭 | 十月十日 |
創 建 | 文化十四年(1813年) |
御祭神 | 日本武尊 |
旧社格 | 村社 |
神名帳 | ー |
境内社
境内社 | 秋葉社 知立神社 天王社 |
文化財
国 宝 | |
国指定 | |
県指定 | |
市指定 町指定 村指定 |
参拝情報
御朱印 | ー |
URL | ー |
駐車場 | ー |
参拝日 | 2022年4月27日 |
御由緒
尾張藩は立藩当初より伊勢湾干拓を推奨していたようで、地図を見ると江戸時代末期には当初と比べるとかなり沖合まで干拓が進み新田開発が進んだことが見てとれます。特に熱田新田と呼ばれる干拓地は正保三年(1646年)に藩祖,徳川義直が国奉行に命じて計画させ,慶安二年(1649年)に完成し、干拓面積はおよそ四万㎢にもおよびます。こうした広大な干拓地を管理する為蕃割とよばれる区割が行われ、一番から三十三番まで細かく区割管理が行われています。
今回紹介している八劔社は、この熱田新田の一番に鎮座する神社になります。干拓完成が慶安二年(1649年)で、八劔社の創建が文化十四年(1813年)ですから干拓→入植がはじまって160年以上経過して産土神を勧請した事になります。新田開発と産土神は開発前から干拓の無事完成を祈願する為に勧請し、そのままその干拓地の産土神となっていくというイメージが勝手にあったのですが、ここ熱田新田一番では江戸時代後半になるまで産土神を勧請していなかった様ですね。これには熱田新田は三十三番まで区割されていたと先に説明しましたが、この三十三という数字が関係しているのかもしれません。この熱田新田の三十三番までどうやら西国三十三観音霊場の御分霊がそれぞれ安置されていたといいます。ここ熱田新田一番には西国三十三観音の一番札所「那智山青岸渡寺」の写し観音像が安置されていた様です。現在でも熱田新田に安置された三十三ヶ所は何ヶ所かは一ヶ所にまとめられていたりしていますが現存しています。この一番札所がこの地域の方達の心の拠り所になっていたのでしょうね。
創建は文化十四年(1813年)八月と伝えられる。昔から一番町の氏神として崇敬あつく明治五年村社に列格する。昭和三十四年九月二十六日伊勢湾台風により社殿に損害を受け同三十六年復興、長い間の風雨災害による破損も多く本殿、拝殿、渡殿、他末社、鳥居、手洗社等全面的に大改修又は増築を平成三年二月着手、同年十月に完成。現在の神社です。
境内由緒書
御祭神
- 日本武尊
参拝記
前回紹介した「波限神社/紹介記事」から住宅街の路地を北上し、一番町公園の北側に鎮座する「八劔社」に向かいます。国道一号線から少し南の路地に入った場所になるのですが、結構静かな住宅地の真ん中に鎮座している印象です。
境内入口
八劔社の境内入口になります。幟立石を改良した幟ポール、旧社格が彫られた社号標、木造神明鳥居が据えられています。瑞垣に代わる植樹と相まって緑あふれる境内となっています。
社号標の脇には由緒板が設置されていました。神社巡りをしているとこうした由緒などが掲示されていると非常に助かります。
狛犬
阿吽の大きさがバラバラになってしまいましたが、たぶん昭和期生れと思われる狛犬一対になります。
手水舎
支柱で補強された銅板葺木造二本柱タイプの手水舎になります。こうした隙間が無い密接した支柱があるだけでも視覚的安心感は非常に高くなると実感させてくれる手水舎です。
二の鳥居
石造神明造の二の鳥居になります。
社殿
入母屋造瓦葺妻入りの開放型の拝殿を有する尾張造の社殿になります。四方の柱には支柱がそれぞれ設けられており耐震性を高めているのが見て取れます。
境内社
境内社となる秋葉社と知立神社になります。尾張地区で知立神社の社名を聞くのは珍しいかなと思うのですが。
遊び予約/レジャーチケット購入サイト「asoview!(アソビュー)」
鎮座地を神社で確認
神社名 | 八劔社 |
鎮座地 | 名古屋市熱田区一番二丁目二十七番九号(Googlemap) |
最寄駅 | 電車:名古屋市帝地下鉄「六番町駅」徒歩11分 バス:名古屋市営バス「二番町バス停」徒歩5分 |