ONE POINT
名古屋市昭和区汐見町に鎮座する須佐之男神社の紹介です。元々は名古屋市東区の車道町に鎮座していたが、明治二十三年に現在の境内地に遷座されています。
神社情報
神社名 | 須佐之男神社 |
鎮座地 | 名古屋市昭和区汐見町一一四番地(Googlemap) |
例大祭 | 十月十七日 |
創 建 | 天明元年(1781年) |
御祭神 | 建速須佐之男命 神漏岐命 神漏美命 |
旧社格 | 無格社 |
神名帳 | ー |
境内社
境内社 | 詳細不祥境内社二社あり |
文化財
国 宝 | ー |
国指定 | ー |
県指定 | ー |
市指定 町指定 村指定 | ー |
参拝情報
御朱印 | ー |
URL | ー |
駐車場 | ー |
参拝日 | 2022年4月6日 |
御由緒
社伝では創建は天明九年(1781年)、尾張徳川藩九代「徳川宗睦」が創建したと伝わるという。
ここ須佐之男命もそんな徳川宗睦の推奨に沿って創建された天王社なんじゃないかと思われます。元々は「車道」という場所に鎮座していたが明治三十二年に現在の境内地に遷座しています。
「車道」とはどこなのか?
Google先生に「名古屋市 車道」で検索すると「名古屋市東区車道町」がHITします。車道=車道町だとしたら、尾張徳川家の菩提寺である「建中寺」の東側・・現在の東海中学校・東海高校がある辺りから黒門公園がある辺りに元々鎮座していたんだろうと思います。となると、建中寺の建つ周辺は尾張藩の家臣の屋敷が立ち並ぶ場所であり、元々は尾張藩士の屋敷に勧請された天王社が、明治時代になり屋敷神からその地区の産土神となっていき、何らか(これが何かが全くわかりませんが・・・)の要因によって現在の境内地に遷座したのでしょう。
- 天明元年(1781年):創建
- 天明年中(1781-89年):松平定信が服部半蔵を代参として天下泰平を祈願
- 安政三年(1856年):尾張藩十四代徳川慶勝は家老「志水忠賢」を代参として幣帛を奉納
- 明治元年:社名を天王社から須佐之男神社に改称
- 明治九年:据置公許
- 明治二十三年:車道より汐見町に遷座
安政三年に天王社に藩主の代参した「志水忠賢」は「大高城/紹介記事」に屋敷を構えていた石高一万石の尾張藩家老になります。(三の丸にも屋敷があったそうです。)。第二代名古屋市長となった志水忠平は忠賢の嫡子になります。
社伝に天明元辛丑年(1781年)5月、尾張九代藩主宗睦が創建という。安政三丙辰年(1856年)十四代藩主慶勝は家老志水忠賢を代参者として奉幣を盛大につとめた。天明年中には白河城主松平定信は服部半蔵を代参者として天下泰平を祈願した。明治廃藩後は祭祀を庶民に移し天王社を須佐之男社と改め、明治九年十一月共祭公許となり明治三十二年四月、車道より汐見町の社地に遷座し産土神として崇敬する
愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」
御祭神
- 建速須佐之男命
- 神漏岐命
- 神漏美命
ポイント
汐見町に鎮座する須佐之男神社の御祭神に「神漏岐命(かむろぎのみこと)、神漏美命(かむろみのみこと)」が祀られている所が特徴になるかと思います。この両神について、古事記などに登場しておらず詳細不祥となっています。神名を読む限り、「神から漏れた」→「高天原から分かれた(降臨した)神である」と読むことができるかと思います。古事記や日本書紀では、高天原から別天津神の命を受た「伊邪那岐・伊邪那美」が国産み、神産みを通じて日本列島を作り上げた(降臨した)と記述されている事から、「神漏岐命、神漏美命」は「伊邪那岐・伊邪那美」の別称であるとする説が主流となっています。
御朱印帳の保管に
数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。
ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?
参拝記
昭和美術館と南山寿荘から南に二路地分進んだ先に今回参拝する須佐之男神社が鎮座しています。須佐之男神社の周辺道路は一方通行となっている細い市道となっており、さらに神社には駐車場が用意されていないので参拝される際は車をコインパーキングなどに停めてから向かう必要があるので注意してください。
境内入口
須佐之男神社の境内は石造の瑞垣に囲まれており、南側に社号標と神明鳥居が据えられた境内入口が設けられています。
手水舎
木造銅板葺二本柱タイプの手水舎になります。今まで紹介してきた二本タイプの手水舎の中では比較的大型になる立派な手水舎です。
社殿
余地がなかったので上下が見切れてしまいましたが、切妻銅板葺妻入の四方にガラス戸が填められた拝殿を有する社殿になります。小型な尾張造の社殿の特徴を色濃く反映した造りになっているのが特徴です。
拝殿の裏手にまわると、基壇上に本殿が鎮座しています。このような拝殿ー基壇「本殿」という造りが小型な尾張造社殿の特徴と言えるかもしれません。
蝋燭台
ほかの神社では拝殿前に据えられることが多い蝋燭台がここ須佐之男神社では本殿脇に据えられていました。皇紀二千六百年記念に造られた蝋燭台になります。
境内社
本殿脇に、詳細不明の境内社が二社鎮座しています。非常に真新しい雰囲気の御社になります。まだ据えられて1年経ってないかなと思います。
鎮座地を神社で確認
神社名 | 須佐之男神社 |
鎮座地 | 名古屋市昭和区汐見町一一四番地(Googlemap) |
最寄駅 | 鉄道:名古屋市営地下鉄・鶴舞線「いりなか駅」徒歩12分 バス:名古屋市営バス・栄十二系統「上山町バス停」徒歩2分 |
ご自宅にお札は祀られていますか?
実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、
南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。