名古屋市昭和区

須佐之男命神社(名古屋市昭和区広路町)

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

ONE POINT

名古屋市昭和区の八事山の広路に鎮座する須佐之男神社になります。元々は現在の名古屋市東区にあった水筒先に鎮座していたが、後に現在の地に遷座された神社になります。

神社情報

神社名須佐之男神社
鎮座地名古屋市昭和区広路町石坂七十番地三(Googlemap
例大祭十月十七日
創 建安永二年(1773年)
御祭神須佐之男命
旧社格指定村社
神名帳

境内社

境内社金刀比羅社(御祭神:大物主神)
秋葉社(御祭神:火之加具土命)
山神社(御祭神:大山祇神)

文化財

国 宝
国指定
県指定
市指定
町指定
村指定

参拝情報

御朱印
URL
駐車場
参拝日2022年4月6日

御由緒

 江戸時代中期の安永二年(1773年)に水筒先に屋敷を構えた尾張藩士「西村某」が津島神社の分霊を屋敷内に勧請祭祀したのが創建であると伝えています。名古屋藩主九代「徳川宗睦」が城下に疫病除けの天王社(津島神社)と火伏の秋葉社を祭る事を推奨した事も要因ではなかろうか。

水筒先とは?

 名古屋城の東側は武家屋敷が立ち並ぶ地域となっていた場所になっていたようです。城下町の東端近くには尾張徳川藩の霊廟が置かれた建中寺があり、その南側に水筒先があった様です。建中寺の堀から取った水を流す樋が南北に引かれていた道筋にある町だったとか(Wikipedia参照)

現在の水稲先は?

 「水筒先」という地名は明治期には名古屋市に編入後は「名古屋市東区水筒先町」となるが、昭和五十六年(1981年)に筒井二丁目、葵二丁目、代官町にそれぞれ編入されて地名としては消滅してしまっています。が、交差点名やバス停などに町名の名残が残されています。

 明治維新となり、天王社は神仏分離となり御祭神を牛頭天王から須佐之男命に代えられた。天王社を奉斎した西村氏はいつまでその場所に住んでいたのかは不明・・・(もしかしたら今もその子孫の方がお住いになっているのかも?)ですが、どういった経緯があったのかはわかりませんが、明治三十四年一月二十三日に官許を得たうえで、明治三十五年三月十日に現在の境内地に遷座しています。

社伝に安永二年(1773年)正月吉日、水筒先に居住した尾張藩士西村某が尾張津島神社の分霊を迎え地内に祀っていた。その後愛知郡御器所村大字広路字石坂の村民、同地に産土神の無いのを嘆き、明治三十四年一月二十三日官許を得て明治三十五年三月十日、石坂の山林中(今の社地)に遷し迎えて奉斎した。昭和十九年八月一日、村社に列格する。昭和十九年十一月十四日付官許を得て、須佐之男社を須佐之男神社と改む。昭和十九年十一月十五日指定社となる。

愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」

御祭神

  • 須佐之男命

御朱印帳の保管に

 数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。

 ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?

参拝記

 「八事山興正寺/紹介記事」の南側に須佐之男神社は鎮座しています。土地計画の中で前面道路の付け替えが行われた時、神社の境内が盲地となってしまった為、興正寺が土地を寄進してくれたおかげで現在の境内地となった歴史があるようです。現在八事と呼ばれる場所でかなり広い境内地を有していた興正寺だったおかげとも言えます。

境内入口

 旧社格である「村社」が合わせて彫られた須佐之男神社の社号標と幟立てポールが据えられた境内入口になります。

 社殿に向かう参道の途中に少し小ぶりな神明鳥居が据えられています。笠木部分は眺めな姿が特徴ですね。

手水舎

 木造銅板葺四本柱タイプの手水舎です。柱の形状と屋根の造りを見ると寺院の山門などで見る「薬医門」と同じ形状となっているのが特徴ですね。

狛犬

 生年月を調べ忘れてしまいましたが、子乗り玉乗りの狛犬一対になります。全体の造形から戦後生まれだと思います。

社殿

 切妻造瓦葺妻入りの開放型で耐震性の為の支え柱が設けられている拝殿を有する社殿になります。拝殿から祭文殿に向けて渡が設けられているのが特徴でしょうか。

 祭文殿の先に、中央に須佐之男神社の本殿、向かって右側に金刀比羅社、向かって左側に秋葉社が鎮座しています。

蝋燭立

 拝殿前に尾張地方の神社でよく見かける神社構造物の一つ「蝋燭立(台)」が据えられています。現在の物は石の質感からかなり新しい物の様です。

境内社

 祭文殿の部分で紹介した写真に見切れていますが、最近勧請創建された恵比寿社・九頭龍社・弁財天の相殿となっている境内社になります。

 社殿むかって左手に鎮座している山神社になります。

鎮座地を神社で確認

神社名須佐之男神社
鎮座地名古屋市昭和区広路町石坂七十番地三(Googlemap
最寄駅鉄道:名古屋市営地下鉄 名城線・鶴舞線「八事駅」徒歩7分
バス:

ご自宅にお札は祀られていますか?

実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、

南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。

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