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素戔嗚神社(愛知県安城市寺領町)

2020年6月8日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

神社紹介

神社名素戔嗚神社
鎮座地愛知県安城市寺領町久後五十一番地
御祭神素戔嗚尊
旧社格村社
創 建用明天皇御代(585年)
神名帳
境内社秋葉社、社口社、稲荷社
例祭日十月十日
御朱印
H P

参拝日:2020年5月25日

御由緒

 奈良時代にこの地に建立された「寺領廃寺/紹介記事」の金堂が建っていたと推定される場所に鎮座しているのが今回紹介する「素戔嗚神社」になります。

 愛知県神社庁が発刊している「愛知県神社名鑑」によると、「用明天皇の御代(585年)建立の長松寺の山門の守護神として鎮座する。」と書かれています。あくまでも社伝であることを考慮しても、いくら何でも585年に寺院建立はないのかなと。

 古代史によく出てくる話で、神道支持派の物部守屋と仏教支持派の蘇我馬子、聖徳太子が武力衝突した「丁未の変(ていびのへん)」が起こったのが用明天皇二年(587年)になります。この戦いで廃仏派だった物部守屋一党を排除した蘇我馬子は一説では588年に日本で初めての伽藍配置を持つ寺院「飛鳥寺」の建設を始めます。(飛鳥寺の落成は推古天皇四年(596年)になります。)

 また、推古天皇による「仏教興隆の詔」が発令されたのが推古天皇二年の西暦594年になります。この時にようやく大和朝廷として仏教を崇敬していく事になります。

 「勝手に碧海郡桜井町誌/紹介記事」で色々参考にさせて頂いている資料に「碧海郡桜井村史」という昭和十八年に発刊された資料があるのですが、こちらでも用明天皇の御代に創建されるとあるが「微証の見るべきものなく」と書かれていて、確証させる資料が無い事が書かれています。その後、牛頭天王社として再建されたが明治時代になり「素戔嗚神社」と改称したとあります。

 社伝に用明天皇の頃(585年)建立の長松寺の山門の守護神として鎮座する。応永六年(1399年)兵火により寺院は焼失したが、神慮により難を逃れその後は産土神として悪役除けに崇敬あつく安永三年(1774年)六月と文化九年(1812年)八月に社殿を改築する。寛政八年(1796年)六月、鳥居を建立、明治五年十月十四日、村社に列格する。昭和二十年一月十三日、三河地震により倒れたが同二十七年三月復旧再建した。昭和三十二年十月、拝殿を再建、同五十二年十一月、神宮の古材を拝領し、本殿を再建手水舎を新設した。

愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より

歴史探訪

 「寺領廃寺/紹介記事」を長松寺と称していたのかどうかは資料が出てこないので不明ですが、以前紹介した「法栄山松韻寺/紹介記事」と共に、寺領廃寺にその祖を辿る事が出来ると由緒にでてくる神社になります。

 発掘調査の出土品から寺領廃寺は白鳳時代から奈良時代に建立された寺院と想定され、岡崎市北野の「北野廃寺」、安城市別郷の「別郷廃寺」と並び矢作川右岸に創建された古代寺院の一つと目されています。

 古代寺院と言えば、奈良時代、聖武天皇によって推進された国分寺、国分尼寺の創建が思い浮かびますが、三河国の国分寺、国分尼寺は当時三河国府がおかれていた現在の豊川市に創建されています。三河国の中心が矢作川流域から国府に移っていったという事なんですかね。

 今回参拝する「素戔嗚神社」は寺領廃寺の山門の守護神として勧請されたと書かれていますが、詳細は不詳であり、江戸時代の頃に寺領の集落の鎮守神として勧請鎮座したのが由緒なのではないかと思われます。

 桜井町の色々な史跡を巡っていく中、一覧みたいな記事を書こうかなと思って勝手に「桜井町誌」を作成してみました。「綾姫伝説」についてもまとめていく予定ですので、是非ご覧ください。

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参拝記

 前回訪問した「寺領廃寺」の金堂が建っていた辺りに鎮座している神社がここ「素戔嗚神社」になります。寺領廃寺の講堂址で建っている場所には「観音堂」が建っていますが、この観音堂の南側に素戔嗚神社が鎮座しています。

境内入口

 東入りの「素戔嗚神社」の境内入口になります。
 寺領神社の安城教育委員会による説明板では、社殿前から鳥居あたりに金堂があったようです。しかし、それらを示すような物は境内には見ありません。

社号標

 「素戔嗚神社」とだけ洞られた社号標です。

鳥居

 扁額のない明神鳥居になります。
 社号標、鳥居ともに建立年月を記録し忘れてしまいました・・・。

手水舎

 木造瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。手水舎に対して水盤は少し小さめかな?

社殿

 切妻造瓦葺平入の拝殿になります。
 本殿部分は最初覆殿かなと思っていたのですが、調べてみると、切妻造の本殿なんだとか。この本殿が神宮の古材を拝領して建築した部分ですね。

境内社

 境内社は、秋葉社と社口社、稲荷社の合殿が鎮座しています。
 観音堂の前に据えられていた秋葉山常夜燈と境内社の秋葉社はなんらか関係があるのかな?

椎の木

 素戔嗚神社の脇には、椎の木の大木があります。鉄製の支えが必要なくらい広がる様に幹が伸びているかなり迫力のある木です。

地図で所在地を確認

神社名素戔嗚神社
鎮座地愛知県安城市寺領町久後五十一番地
最寄駅あんくるバス2号桜井線「寺領バス停」徒歩4分

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