知多半島の御城印めぐりを巡ってきた。

知多半島の御城印めぐりとは?

 知多半島で「御城印」を取り扱っている四ヶ所の城跡を巡る企画になります。四ヶ城とも戦国時代、知多半島の覇権を競っていた時期に築城された城にて構成されているのが特徴になります。

○水野氏ゆかりの城

 ・緒川城址:知多郡東浦町大字緒川字古城

○久松氏ゆかりの城

 ・坂部城址:知多郡阿久比町大字卯坂字栗之木谷32

○佐治氏ゆかりの城

 ・大野城:常滑市金山字城山地内(駐車場:有)

○織田有楽斎ゆかりの城

 ・大草城:知多市大草字東屋敷110-1(駐車場:有)

 この四ヶ城になります。ただ、この城址に行っても現地で御城印が販売されている訳ではなく、各市町の観光協会を訪ねる必要があります。

・緒川城址:東浦町観光協会/知多郡東浦町大字石浜字岐路28-2
・坂部城址:久比町観光協会/知多郡阿久比町大字卯坂字殿越50
・大野城址:常滑市観光プラザ/常滑市鯉江本町5-168-24
・大草城址:知多市観光協会/知多市岡田字段戸坊5

御城印は各城共通で1枚300円となっています。

令和に改元される前後から突然「御城印」という言葉を耳にするようになって、「御朱印ブームにあやかってこんなのが出たのか。」なんて思っていたのですが、御城印は行政が思いっきり参画していることもあって、急速に取り扱っている城址が増加して、令和三年には600城を超えているんだとか。

 正直言って、行政がまったく関与していない御城印は存在しないのではないか?なんて疑問に思うほど、各市町村の観光協会のゴリ押し具合がすばらしいと感じています。

城址を巡ってきた

 第四波だか第五波だかよくわかりませんが、新型コロナウィルスの感染者数が何度目かの増加傾向となってきました。こうなってくると、いつ再び愛知県に緊急事態宣言が発令されるかわかったもんじゃないので、さくっと巡ろうと思ったのですが、そういえば当サイトでは「知多半島全部盛り」なんていう企画で知多半島巡っているのでいつかはこの辺りの城址も当然巡って行く予定だったのですが、コロナ&酷暑で意図せずに中断してしまっているので、今回は御城印に特化して7月28日の晴天ですがめっちゃ暑い中、知多半島を巡ってきました。

緒川城

 小川城は既に当サイトで紹介させて頂いている水野氏ゆかりの城になります。城址周囲の道路は非常に狭い為、車で巡る際は東浦町役場の駐車場を利用してそこから徒歩にて向かってください。自分みたいにバイクで巡っていても、さてどこに停めようかなと思うくらい周囲の道は狭いです。

坂部城址

 徳川家康の母「於大の方」の再婚相手である「久松俊勝」の居城だった坂部城址になります。ここはまだ当サイトでは取り上げていなかったので、近いうちに紹介記事をアップしていこうと思います。

 坂部城址は阿久比町立図書館のすぐ隣になります。最初坂部城に行くのに図書館の駐車場借りればいいのかなと思っていたのですが、どうも坂部城址は坂部城址三十三観音の霊場となっている私有地になっているようで、図書館の駐車場は使えないみたいですので、車で巡る際は駐車する場所を探す必要がありますね。

大草城

 ここ大草城も当サイトで既に紹介させて頂いている城址になります。大野を納めていた佐治一族の継いだ佐治一成がまだ幼少という事もあり、信長の弟である「織田有楽斎」が佐治一成の後見人という立場で大草城では利水などが不十分だとして新たに築城した城郭であると頂いたパンフレットには書かれていました。その後起きた本能寺の変、小牧長久手の戦いなどを経て、大草城は未完成のまま織田有楽斎は知多郡を離れてしまった為、そのまま廃城となっていまったとか。

 当サイトで書いた紹介記事だと、織田有楽斎が大野の地は、本能寺の変、小牧長久手の戦い以降、尾張国を納めていた織田信雄から与えられ、大草城を築城し始めるが、完成する前に織田信雄が改易されると、織田有楽斎は秀吉の直参家臣となり摂津国に移った為、未完のまま廃城となったと書いています。

 どこまで正しいかわかりませんが、Wikipediaを見ても、大野城と大草城で書かれている内容が分かれていて、どっちが正しいと断言できませんね。この辺りはもう少し調べる必要がありそうです。

大野城

 大野の地を納めていた佐治一族の居城になります。浅井長政とお市の方の間に生まれた「お江」が最初に嫁いだのがこの大野城主だった「佐治一成」になります。佐治一族は血統的には織田家の準一族といった存在だったようで、信長も織田一族として接していた様です。

 しかし、本能寺の変の後、小牧長久手の戦いで家康に協力的な行動を取った事から改易され大野城はそのまま廃城となった。または、佐治氏が去った後この地を与えられたのが織田有楽斎で、利水に不備があるとして大草城を築城し始めた。

 大野城と大草城、佐治一成と織田有楽斎の関係によって大きく歴史が変わってきてしまいそうなので、一度図書館などに出向いて知多郡の郷土史も含めて調べてみようと思います。

まとめ

 知多半島にはまだまだ城址が存在しています。戦国時代だけを切り取っても、水野氏が統一するまで知多半島は群雄割拠していた訳ですから、東海市、半田市、武豊町、美浜町、南知多町の観光協会がそれぞれ御城印を用意するのは時間の問題なんじゃないかと。そうなると「ぐるっと知多半島一周御城印巡り」なんて企画が始まるかもしれませんね。

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