額田郡幸田町

八百富社(愛知県額田郡幸田町) 坂崎陣屋跡鎮座

2021年1月20日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

神社紹介

神社名八百富社
鎮座地愛知県額田郡幸田町大字坂崎字御屋敷十番地
御祭神事代主命、菅原道真、素戔嗚命、応神天皇
旧社格無格社
創 建不詳
神名帳
境内社
例祭日四月十六日
御朱印
H P

参拝日:2009年6月7日
再訪日:2021年1月15日

御由緒

  元々は現在の坂崎小学校が建つ天神山に鎮座していた八百富社(祭神:事代主命)を慶長十九年(1614年)に坂崎の地を知行地として拝領した「大久保彦左衛門忠教」が「坂崎陣屋/紹介記事」を建て、その守護神とすべく陣屋の南側にある「経塚古墳」の墳丘上に遷座させ、明治維新まで大久保氏によって維持管理されてきた神社になります。
 明治維新となり江戸から大久保忠明が戻ってきて、坂崎村村長となり坂崎地区の近代化を進めていく中で、坂崎陣屋に役場を設け、更に明治五年には陣屋内に坂崎郷学校を設けています。時代が進み、坂崎尋常小学校と名称が変わり、学校の敷地が狭くなったのか、学校の移転が行われます。これが現在の幸田町立坂崎小学校の場所になります。地図を見てると、現在の坂崎小学校の敷地となる場所に鎮座していた事になる天神社、市見社(境内社の八幡社)を学校移転時に合わせて八百富社に合祀したのかもしれません。
 氏子域が広くなったこともあり、境内が手狭になり、昭和十四年現在の境内地に遷座しています。

社伝に天神山に鎮座のところ慶長十九年(1614年)大久保彦左衛門忠教陣屋の守護神としてこの地に遷し祀った。以来明治維新まで大久保家で祭祀を続けた。明治五年十月十二日据置公許となる。大正二年九月五日字天神山三十五番地の天満社(祭神:菅原道真)と字津山九番地の津島社(祭神:素戔嗚命)を合祀する。更に同七年二月十三日字天神山十九番地市見社(祭神:事代主命)と同境内内社の八幡社(祭神:応神天皇)を本社に合祀した。昭和十年四月、元辨天十四番地に鎮座のところ現在地(元大久保氏陣屋)に遷座する。昭和四十四年拝殿、社務所造営

愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より

歴史探訪

 江戸時代より現在八百富社が鎮座する場所には「大久保彦左衛門忠教」の坂崎陣屋が設けられていたと先に述べています。大久保忠教は徳川家康の関東移封に伴い、兄である大久保忠世が城主を勤める小田原藩から三千石を与えられています。小田原藩は四万五千石だったと言われているので、かなりな高禄だった事がわかりますね。しかし、大久保忠世の嫡子「大久保忠隣」が改易されると、忠教も連座で改易されてしまっています。しかし、家康の直参旗本として召し上げれ、三河国の坂崎に一千石の知行地を得て坂崎陣屋を構えてることになります。

参拝記

 ストリートビューでは八百富社の近くは田園などが広がっていますが、現在ではセブンイレブンが建ってかなり景観が変わっています。国道248号線の弁天交差点からほど近い場所に鎮座しているので、交差点を目印にしてさらにセブンイレブンの周囲を見ると簡単に八百富社を見つける事ができるかと思います。

参道

 旧道から八百富社に通じる参道が設けられていました。以前はもっとはっきりと参道だとわかったと記憶していますが、現在ではセブンイレブンのフェンスが設けれたり、その反対側も田んぼではなくなったりして、ここが参道だよねと少しあいまいな感じを受けてしまいます。

境内入口

 参道を進むと、数段の石段と社号標、石灯篭が据えられている境内入口になります。社号標前に設置されている看板の通り、坂崎陣屋の時の石垣が今も残っています。

 坂崎陣屋を撮影したという写真になります。館に伸びる道は先に紹介した参道になるようです。そして、館を囲むように竹柵が設置されていますね。この竹柵の下に石垣が設けられていたようです。

鳥居

 境内入口から少し奥目に据えられている明神鳥居になります。最近神社で見かける樹脂製の注連縄が設置されています。

手水舎・水盤

 木造瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。見るからに重心が高い造りの為、鉄製の耐震用支え柱が設置されています。

狛犬

 子乗り・玉乗りの狛犬一対になります。装飾がかなりゴテゴテしており、現代型の狛犬に通じる姿になっている感じですね。

平岩の射割石

 八百富社の境内には、平岩という姓の由来となったという射割石が置かれています。松平宗家三代「松平信光」に仕えたという「弓削氏重」が坂崎城主になった時に、「平岩の射割石」の名にちなんで平岩と改称したという事です。ちなみに、平岩氏重が城主となった坂崎城は資料やネット情報などを見ると「坂崎古城」と呼ばれている城址みたいです。

 こちらが射割石になります。用水の橋材に使う為に、細長く割られています。そういえば、以前は用水にはこんな感じで天根石又は木材を使った橋を以前はよく見た記憶があります。

地図で鎮座地を確認

神社名八百富社
鎮座地愛知県額田郡幸田町大字坂崎字御屋敷十番地
最寄駅JR東海 東海道本線「相見駅」徒歩21分

ご自宅にお札は祀られていますか?

実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
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南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。

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