寺院情報
寺院名 | 猿投山 大悲殿 東昌寺 |
所在地 | 豊田市猿投町大城四番地 |
御本尊 | 釈迦牟尼仏 |
宗 派 | 曹洞宗 |
創 建 | 昭和六年 |
札 所 | 三河新四国霊場 十七番、十八番札所 (旧)三河新四国霊場 奥の院 三河西国観音 三十三番札所 |
御朱印 | 〇 |
H P | - |
参拝日:2019年5月8日
沿革・由緒
猿投山大悲殿東昌寺は昭和六年開創の比較的新しい寺院になります。
しかし、この東昌寺が建つ場所一帯は猿投山と呼ばれる場所であり、三河三の宮の「猿投神社」の境内地のすぐわきに建っています。古くからある神社にはその昔、別当寺、神護寺、神宮寺などが存在していたという事は、当ブログでも何度でも紹介していますが、猿投神社にも神宮寺があり、神宮寺の観音堂が今でも現存していて、この観音堂が三河新四国十八番札所である大師堂(東昌寺)になっています。
この神宮寺を白鳳寺と号し、真言宗の寺院であり、現存する仏像などから遅くとも平安時代後期にはこの地に成立していた考えられています。白鳳寺は猿投神社の祭祀も司り「猿投大明神」などと呼ばれ、三河国神名帳には正一位猿投大明神となっており、非常に信仰を集めて、勢力もあったことが伺われます。それを示すかのように、永享六年(1434年)には、坊舎は十六坊を有していたといいます。東円坊、宝蔵坊、東善坊、等覚坊、桂月坊、門隣坊、清浄坊、覚意坊、恵定坊、幸林坊、東林坊、浄光坊、光明坊、蓮華坊、花蔵坊、妙覚坊、常泉坊、安居坊。
豊臣秀吉、徳川家康からも崇敬されていたようで、七七六石の寺領、朱印を与えられています。
しかし、明治維新による神仏分離令によって、白鳳寺を始めとするすべての宿坊は破却、仏教色を一掃することによって猿投神社は存続され、後に県社に指定されていきます。この時、猿投神社の境内としていた場所にから外れたところにあったのが前述の観音堂となり、唯一「猿投大明神」の時代を今に伝える建築物となっています。
どういった経緯でこの場所に曹洞宗の東昌寺が開創されたのかはわかないのですが、観音堂も管理している所から、白鳳寺の流れを汲む寺院なのかもしれませんね。
三河新四国霊場を行く
三河新四国霊場十五番、十六番札所「金重山広昌院」を後に、猿投神社の奥にある十七番、十八番「猿投山東昌寺」に向かいます。今では猿投グリーンロードがあるので、そんなに遠回りすることなく巡拝できるのがありがたいですね。有料道路といっても、バイクだと使用区間の料金が100円なのも助かります。
ちなみに、この東昌寺なんですが、案内看板などには、猿投山大悲殿東昌寺とあります。もしくは猿投山大悲殿だけの時も。この大悲殿とは何なのか?。仏教用語で大悲とは「観音様」を指す様で、観音様の御殿=観音堂という事だそうです。
参拝記
猿投神社の正面入り口の前で猿投山・東海自然歩道(猿投神社の東宮・西宮に行けます。)の駐車場に向かう道への道が猿投神社を境内に沿う形で設けられています。この道沿いに、今回紹介する三河新四国霊場十七番、十八番札所(猿投山大悲殿東昌寺)があります。
上記写真を見て頂くと何となくわかるかと思いますが、猿投神社の前を通る道路は、トラックなどの交通量が多いので徒歩で巡拝されている方は、気を付けてください。
寺号標
東海自然歩道の駐車場の向かい側に東昌寺への入口があります。その入り口に、山号と大悲殿と彫られた寺号標が据えられています。自分が参拝した時も、東海自然歩道の駐車場は満車状態で、何台か無理やり止めている様な状態だったのですが、東昌寺に巡拝の際は境内などに車が止める事ができそうです。
十八番札所「大師堂」
寺号標から東昌寺にむかって歩き始めると、すぐに「猿投神社山中観音堂」と彫られた石柱が見えてきます。
その脇に据えられて説明板には
「この観音堂は平安時代に猿投神社に鬼門除けの寺として創建された御堂です。神社境外であった故か、明治維新の廃仏毀釈で取り壊されず現在に至っています。
本尊は千手観音で平安時代中期の作と言われています。建物は室町時代末期の建造と言われ、豊田市内では最古の建物と言われています。」
と書かれています。由緒でも述べた、神宮寺である白鳳寺の遺構になりますね。
弘法堂水盤
自然石をくり抜いた形の水盤になると思います。おいてある場所から間違いないとは思うのですが・・・。
観音堂時代は、劣化を抑えるために鞘堂に納められています。
鞘堂の造りからみても、宝形造瓦葺の観音堂何だと思います。三方に庇が設けられ、濡れ縁と同じ高さに床面が設けられています。う~ん説明しにくい。
正面扉脇の柱には、「三河新四国十八番札所」と書かれた案内板が掲げられていました。
この大師堂の中には、白鳳寺の本尊だった阿弥陀如来像など数体の仏像がこちらに移されて奉安されているとか。
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・
図面が掲げられていたのですが、この大師堂(観音堂)に掲げられている所を見ると、白鳳寺の本堂の立面図かなあと思うのですが、どうなんでしょうね。
三十三観音堂
大師堂(観音堂)を後にして東昌寺の参道を進んでいくと、右手に西国観音写しの三十三観音堂があります。
こちらの観音堂は、西尾市などでよく見た一列に並べられた様式ではなく、三段に並べられていますね。
本堂
寄棟造瓦葺平入の向拝が設けられた本堂になります。玄関と一体化ている為、本堂部分は建物の左側にオフセットしたような形になっていますね。また、本堂として使われている部分のみ濡れ縁が設けられています。
本尊むかって左手に奉安されている大師像になります。
なんだか、ここ東昌寺には、数多くの仏像が安置されているようで、大師像より鴨居の上にも仏像が安置されています。
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・
鴨居の上の仏像はここだけかな?って思っていたら、
この仏像たちは、どういった経緯で奉納された仏像なんでしょうか。
御朱印
参拝を終えて
参拝する前は、猿投神社の近くにあるので、もしかしたらなんらか関係があるのかな?ってくらいの認識だったのですが、調べていく内に、関係どころじゃなく神仏習合によって一体化していた猿投大明神の遺構だとわかりました。その昔、というか江戸時代までの神仏習合時代の猿投大明神はどんな感じだったのかなあ。
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所在地を地図で確認
寺院名 | 猿投山 東昌寺 |
所在地 | 豊田市猿投町大城4 |
最寄駅 | とよたおいでんバス藤岡・豊田線「猿投神社前」徒歩8分 |
寺院・霊場巡りの際のバイブルに
元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。
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少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。
次の目的地は?
三河新四国霊場十七番、十八番札所「猿投山 東昌寺」を後にして、次は十九番、二十番札所「水月山 雲龍寺」を目指します。豊田市の四郷駅、猿投駅からほど近い場所にある寺院になります。