ONE POINT
名古屋市天白区植田にある曹洞宗の寺院「福田山全久寺」の紹介です。文明三年(1471年)に遠江国からこの地に移住した横地秀綱が菩提寺として建立した寺院になり、歴代の横地氏の位牌が祀られています。
寺院紹介
寺院概要
寺院名 | 福田山全久寺 |
所在地 | 愛知県名古屋市天白区植田一丁目三一一番地(Googlemap) |
創 建 | 文明三年(1471年) |
宗 派 | 曹洞宗 |
御本尊 | 釈迦三尊仏(釈迦牟尼仏・文殊菩薩・普賢菩薩) |
霊 場
霊 場 | 城東西国観音 十七番札所 尾張四国霊場 七十四番札所 |
前札所 | 霊 場 | 次札所 |
---|---|---|
十六番:慈雲山善昌寺 | 城東西国観音 | 十八番:霊鷲山長母寺 |
七十三番:祥雲山秀伝寺 | 尾張四国霊場 | 七十五番:島田山地蔵寺 |
文化財
国 宝 | ー |
国指定 | ー |
県指定 | ー |
市指定 町指定 村指定 | ー |
参拝情報
御朱印 | ○ |
URL | ー |
駐車場 | ○ |
参拝日 | 2022年4月6日 |
御由緒
文明三年(1471年)、足利義政の命により遠江国城飼郡横地を本拠とする横地一族である横地秀綱がこの地に移住した時に、菩提寺として全久寺を建立したと伝えられる。
ただ、境内に据えられている「福田山史禄」によると、永享二年(1430年)頃、横地秀綱が菩提寺として建立したと記していますが「植田八幡宮/紹介記事」の記事の中でも「横地秀綱は元々遠江東部の横地城を本城とする御供衆であり、足利義政の命により文明三年(1471年)に遠江国から尾張国植田の地に移住した。」と紹介していますので、当サイトでは文明三年(1471年)の創建としていこうと思います。
植田の地に移住した横地秀綱はこの地に館を構え、一族の菩提寺として全久寺、この地の氏神、守護神として八幡社をそれぞれ建立していったのでしょう。曹洞宗の全久寺を建立した事から遠江国の横地城を本拠とする横地一族も曹洞宗に帰依していたのではないでしょうか。
元々全久寺は飯田街道(県道56号線)の南側にあったというが、天白川の水害から逃れる為に享保十九年(1734年)に現在地に移されたという。
都市開発が進んでしまい、江戸時代の植田の様子を窺う事が出来なくなってしまっていますが、実は植田周辺は昭和四十年辺りまでは土地開発が殆ど行われておらず、田園が広がる郊外の農村といった雰囲気の場所でした。

昭和二十二年に撮影された植田周辺の航空写真になります。東西に走る緑色の線が「飯田街道」になり、飯田街道から参道が伸びて植田八幡宮が写真中央に鎮座し、その北側に全久寺があります。もともと飯田街道の南側に全久寺があったとしていますが、天白川と植田川にはさまれたこの場所では水害が絶えなかったのは想像に難くない訳で、水害を避けて高台に移転するのは全国の神社仏閣でもよく聞く話ですね。
植田八幡宮の南東側に明らかに田園とは違う地勢の場所があります。ここが江戸時代を通じて武士から郷士となった植田氏が構えた居宅跡だといいます。それ以前は「植田城」とも呼ばれていた場所になるのかな。
- 文明三年(1471年):創建
- 開基:横地秀綱
- 享保十九年(1734年):現在地に移設
御朱印帳の保管に
数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。
ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?
参拝記
植田八幡宮の東門から北に歩いていくと、右手奥に非常に特徴的な建物が見えます。この建物が全久寺の本堂になるのですが、水害を避ける為とはいえ境内に向かうにはかなりの急坂・階段を上っていく事になります。
境内入口

山号と寺号が彫られた石柱門が据えられた全久寺の境内入口になります。正面にはそびえ立つような擁壁の壁があります。この擁壁は昭和四十九年に本殿を建て替える造営工事が行われた時に境内全体をかさ上げする為に擁壁を設けたのかなと思われます。
山門?手水舎

非常に個性的な屋根の造りとなっている手水舎になります。手水舎から石畳の参道を覆う様に設けられた山門の様な屋根が非常に目を引きますね。
本堂

先に非常に印象的な建物が見えるとお伝えしましたが、こちらが全久寺の本堂になります。神社は新しい社殿も今までの社殿に準じた造りで再建される事が大半だと思うのですが、対して寺院の本堂はたまに前衛的な本堂として再建される事がありますね。昭和四十九年再建なので、こうした前衛的な様式の本堂としては先駆け的なのではないでしょうか。

昭和四十八年に「中部建築賞」を受賞しています。竣功した四十九年以前に受賞した所を見ると建築業界からはかなり注目された造営工事だったんでしょうね。

本堂の出入り口の扉は非常に厚い物が用いているのですが、築50年に近づいてきているとはいえメンテナンスがしっかりされているようで非常にスムーズに開閉できます。
観音堂

本殿の脇には宝形屋根の観音堂があります。
こちらの観音堂は江戸時代に廃寺となってしまった「永谷山山野寺」の御本尊である十一面観世音菩薩を移して祀っているそうです。この観音像は秘仏とされ、伝承では奈良時代に行基によって刻まれたと伝えられています。

こちらに安置されている十一面観世音菩薩像は城東西国観音霊場の十七番札所の札所本尊となっています。
参拝を終えて
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所在地を地図で確認
寺院名 | 福田山全久寺 |
所在地 | 愛知県名古屋市天白区植田一丁目三一一番地(Googlemap) |
最寄駅 | 鉄道:名古屋市営地下鉄・鶴舞線「植田駅」徒歩4分 バス:名古屋市営バス・植田12系統「植田西バス停」徒歩6分 |
寺院・霊場巡りの際のバイブルに
元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。
少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。