神明社・小川天神社合殿(愛知県安城市小川町)

神社紹介

神社名神明社・小川天神社合殿
鎮座地愛知県安城市小川町志茂一番地
御祭神天照大御神、小川天神
旧社格郷社
創 建孝徳天皇御代(645-50年)
神名帳三河国神名帳 従五位上 小川天神
境内社稲荷社、貴船社、天満社、御鍬社
例祭日十月十日
御朱印
H P

参拝日:2020年6月15日

御由緒

 安城市小川町の元となる「小川郷」という郷名の由来は、この地に第二十六代継体天皇の御子である「莵王」の後継である「小川真人」が居住した為、その姓から「小川郷」と称するようになったと言われています。

 「日本書紀」によると、「継体天皇」と「広媛」の間に生まれたのが「兎皇子」(莵王という名は「新撰姓氏録抄」の中に見る事ができます。)であり、酒人公の祖と言われています。兎皇子の子孫は酒人氏と称し、近江国上坂郷を本貫としていたそうです。そして、近江国高島郡小川を領した事から小川姓を名乗ったとされます。(「新撰姓氏録抄」には大和国酒人真人、右京酒人小川真人の名があるそうです。)

 上記の様に、継体天皇の御子「莵王」の子孫である「小川真人」ゆかりとする「小川」の地名の場所は滋賀県、または長野県などに存在するとされます。その為、由緒にある様にこの地に小川真人が住み着いたという伝承の真偽はどうなんでしょうか。ただ、姫小川町に伝わる「綾姫伝説」により、孝徳天皇の御子「綾姫」がこの地に流れ着き住み着いたされ、この地に綾姫が住み着いたという事は都に伝えられていたとも言われています。このため、都より姫小川後に何らかの影響があったとも考えられ、この中で小川後に疫病が蔓延するとその疫病治癒の祈祷をする為に天皇家の祖神である「天照大御神」が勧請されたのではないでしょうか。この時に都より天照大御神の御魂と共にこの地に訪れたのが小川氏長、または小川龍威だったのではないかと想像しています。
 そして、この地に神社を創建する時に、天照大御神と共に小川氏の祖神である「莵王」を小川天神と称して祀ったのではないでしょうか。小川氏はこの時、国司の様な立場としてこの地に下り、この地に留まり治めていったのではないのかなと思うのですが。

 岡崎市島坂町に鎮座する「酒人神社」の祭神は酒人親王、倉稲魂命が祀られています。主祭神となる「酒人親王」は境内に設置されている岡崎市教育委員会による案内板によると「百済から日本へ渡り、酒造などの技術を伝えた阿知使主の子孫である。酒人親王は、当地で清酒の醸造に成功したため、当地を美酒発祥の地とされている。」と記されています。しかし、他説によると、主祭神は「彦坐命」ではないかとも言われ、彦坐命は酒人造の祖神であり、継体天皇の皇子・菟皇子を酒人公の祖としているとも言われています。
 愛知県神社名鑑によると、「貞観年中(859-78年)に酒人親王三河に下り酒を醸して、朝廷に年々清酒を献進して朝廷の大御酒所となった。」とあります。

 小川に住んでいた酒人「小川氏」の末裔が同じ碧海郡の島坂の地で朝廷に献上した酒(清酒)を醸造したのではないでしょうか。清酒はその後神事では御神酒として欠かすことができない神饌の一つとなっていて、そのことから清酒が造られた場所に神社が建立され、清酒を作った酒人「小川氏」を祭神として祀ったのではないかと当サイトでは考えています。

 三河国神名帳に「従五位上小川天神坐碧海郡」と記載されている古社なのですが、明治五年、村社に列格する際の社名は「神明社」となっていた様です。しかし、明治九年になり、由緒から古来より「小川天神社」の社名だったことは明らかである事から愛知県より神明社と小川天神社を併称すべしとの通達があり、現在の社名である「神明社・小川天神社合殿」と改称したといいます。

 社伝に、この地小川郷と称して第二十六代継体天皇の御子莵王の後裔、小川真人が居住せられしにより郷名となる。第三十六代孝徳天皇の大化年中(645-50年)小川郷に悪疫流行し百姓多く患うをもって小川氏長、その氏人小川龍威の占事により、天照大御神と祖の莵王を祀る。莵王は三河国内神名帳の従五位上の小川天神是なり。
 明治五年十月十四日、村社に列格し、同十七年四月二十五日、郷社に昇格する。同四十三年十一月一日、字山中の無格社八幡社を合祀(昭和二十二年ごがつ十九日、山中八幡社還御す。)、大正十一年春、北加美の稲荷社を境内に遷す。同十二年、拝殿、神門、回廊を改築す。太平洋戦争までは氏子崇敬者は十六字に及んだが昭和二十三年十月十六日代参が中止された。同五十九年郷社昇格百周年祭を執行。末社貴船社の改築、神楽殿の修復等を行う。

愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より

歴史探訪

 由緒の中の神社名鑑の紹介の中でも触れていますが、「碧海郡桜井町字小川」の時代から非常に大きな地域であり十六もの集落が氏子となっていた小川町を代表する神社といっても過言ではないかと思う神社が今回参拝する「神明社・小川天神社合殿」となります。
 神社の紹介で「合殿」と言えば、ほぼ同じ規模?の神社が合併した際、それぞれの神社の祭神を一つの本殿に祀っている場合、その本殿を「合殿」を称している事はありますが、創建以来祀ってきた祭神二柱が共に主祭神としてふさわしいとして合殿を称するようになった神社は非常に少ないのではと思います。

 堀内貝塚から桜井古墳群、城跡、寺院、神社など碧海郡桜井町をあちこち巡っております。安城を訪れた際に観光などに役に立てれば幸いです。

参拝記

 矢作川に架かる「小川橋」を西に進み、「桜井小学校北交差点」を左折すると今回参拝する「神明社・小川天神社合殿」の鎮守の森が左手に見えてきます。とても広い境内を有する神社ですが、参拝者駐車場は明確な形で用意されている訳ではなく、南側の境内入口部分に駐車できる場所があるのでこちらに駐車する形になるかと思います。

境内入口

 南入りの境内の正面入り口になります。
 石橋、一の鳥居、二の鳥居、社殿がまっすぐ一直線に結ばれているのが見てわかりますね。境内を瑞垣で囲むようになる前は、境内の周囲は水路などで囲んでいました。そしてこの水路を渡るために石橋(太鼓橋)が設けられてようです。俗世界と神域とを切り離す為に水路を設け、唯一人間界から神域に入る通路として設けられたのが石橋(太鼓橋)という事です。

社号標

 「郷社 神明社小川天神社」と彫られた社号標になります。かなり立派な社号標です。

一の鳥居

 建立年月は調べ忘れてしまいましたが、神明鳥居の一の鳥居になります。

二の鳥居

 こちらも建立年月は調べ忘れてしまった、二の鳥居になります。写真を見ても気付いて頂けるかとおもいますが、一の鳥居に比べてかなり小ぶりな大きさとなっています。

伊勢神宮遥拝所

 参道脇に置かれた「伊勢神宮遥拝所」になります。この遥拝所として設置されている碑を通じて神宮を拝礼するというものですので、基本向きは関係ないはずなのですが、多くの神社などに据えられている遥拝所は拝礼する神社に向けて据えられている所が多い様な気がします。
 ここ小川天神社の遥拝所は西向きに据えられています。

祓戸

 基壇の上に瑞垣が設けられ、その内側には榊が植えられた祓戸になります。

手水舎

木造瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。各柱に鉄製の支え柱が設けられています。

狛犬

 生年月は調べ忘れてしまった狛犬一対になります。全体のシルエットから大正時代から昭和初期の生まれの様な気がします。(他サイト様の情報によると大正十二年生まれのようですね。)

神楽殿

 社殿までに建っている神楽殿になります。

社殿

 切妻瓦葺平入の拝殿なんですが、神門の様にもみえる造りになっています。中央がそのまま通り抜ける事ができる様に見える為、「割拝殿」という造りの拝殿なのかなという気がします。ただ透戸の先にも拝殿の様な建物があったりているので、拝殿部分はかなり凝った構造になっているようです。

地図で鎮座地を確認

神社名神明社・小川天神社合殿
鎮座地愛知県安城市小川町志茂一番地
最寄駅あんくるバス2号桜井線「小川バス停」徒歩8分

ご自宅にお札は祀られていますか?

実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である”天照大御神”とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、

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南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。

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