国道247号線の西尾市と旧一色町の市境近くに鎮座しているのが今回紹介する常福寺になります。この常福寺なんですが、とあるものでこの辺りでは非常に有名な寺院だったります。
寺院情報
寺院名:天沢山 西光院 常福寺
鎮座地:愛知県西尾市刈宿町出口50番地
本 尊:阿弥陀如来
宗 派:浄土宗西山深草派
創 建:長徳年中(995年~998年)
H P:浄土宗西山深草派「総本山誓願寺」瑞用寺紹介ページ
札 所:三河海岸弘法 五十五番札所
札 所:吉良西国 十三番札所
札 所:西条吉良三十四観音 五番札所
札 所:(旧)三河新四国 二十七番札所
由緒
長徳年中(995~998)六孫王経基の孫、遠江守源満国公母の菩提のために建立したもの。 当時は天台宗であった。
浄土宗西山深草派「総本山誓願寺」
常福寺紹介ページより
参拝記
たぶん、勝手な推測ですが西尾市に鎮座する数多くの寺院、神社の中で一番ホームページなどで紹介されているのではないかと。
「刈宿の大仏さん」(かりやどのおおぼとけさん)
と聞けばピンッ!とくる方も多いのでは。
昭和三年の御大典記念で作られた全高約14mとかなり大きいコンクリート製の大仏様になります。
元々、この大仏様を建立した時には常福寺に山門がなく、その代わりに南東の角に漁師の安全を祈願して海の方向を向けて作られたそうです。
また、元々は山門の様に台座部分を貫通できていたという説もあったります。
しかし、戦前にはコンクリートでこういった仏像などを作成していたんですね。橋なんかもそうなんですが戦前作られたコンクリートって戦後作られたコンクリートの橋とかと比べても丈夫な気がします。実際、明治時代のコンクリート製の橋なんか普通に使われてますからね・・・。
大仏様の後方に回ると、こんな感じで台座部分が空いていて、中に観音様が。
さらに内部に階段がありまして、あがっていくと「胎内めぐり」ができるんだそう。
この辺りは、他サイトを参考にして頂いた方が詳しく説明されているので、そちらを参照していただければと思います。
メンテナンスは行われていると思いますが、コンクリート物件でよく見るような亀裂とか全くないですね。
指先に留まっている鳥を比較対象にして大きさを感じてみてください・・。
寺社標になります。裏側には由緒が彫られてます。
吉良西国十三番、海岸大師五十五番の札所板になります。なんかこのセットをこの辺りではよく見る気がします。
こちらは、三河(旧)新四国第二十七番札所の石碑になります。
三河(旧)新四国札所一覧がわかる資料ってないものですかね・・・。今開設されている三河新四国とはかなり札所が異なっているので、こうやってあちらこちらで札所に触れていると(旧)新四国も巡ってみたい気になってきますからね。
薬医門の山門になります。昭和三年以降の建設ですかね。
四本柱タイプの木造瓦葺の手水舎になります。
このタイプは神社巡りでよく見る手水舎と同じ造りですので、非常に既視感がありますね。
寄棟造の本堂になります。
この本堂には、西尾市の指定文化財になっている不動明王立像が安置されています。
本堂の扉が空いたので、中に入らせて頂き本尊と共に脇に安置されている不動明王も拝見させて頂きました。
たぶん、この像がその不動明王立像だと思います。
非常に引き込まれるお姿ですよね。
そしてこちらが、常福寺の四国八十八ヶ所の弘法様とそれぞれの寺院の分霊となる本尊様になります。
そしてこちらが、西国三十三観音の分霊になります。
全国的に見て少数派だと思われるコンクリート製の大仏様が鎮座する常福寺ですが、ここが浄土宗のお寺という事はあまり知られていない気がしますね。さらに言えば、新四国や西国観音の札所なんて尚更。
観光スポットとしての大仏様も必要かもしれませんが、参拝するお寺の事をもう少し知ってほしいなあって思う今日この頃・・・。
さて、次は願成寺に向かって、国道247号線を来た道を戻る様に北上していくのですが、途中この刈宿町の鎮守の神社にも参拝していきたいと思います。