ONE POINT
愛知県碧南市に建つ浄土真宗本願寺派の松光山応仁寺の紹介です。「西端の応仁寺」とも呼ばれている寺院で、室町時代に京を追われた「蓮如上人」がこの地で布教の為に開いた道場が応仁寺の創建とも呼ばれている蓮如上人所縁の寺院になります。
寺院紹介
寺院概要
寺院名 | 松光山応仁寺 |
所在地 | 愛知県碧南市油渕町一番地六 |
創 建 | 応仁二年(1468年) |
宗 派 | 浄土真宗本願寺派 |
御本尊 | 阿弥陀如来 |
霊 場
霊 場 | ー |
文化財
国 宝 | ー |
国指定 | ー |
県指定 | ー |
市指定 町指定 村指定 | 絹本着色蓮如上人寿像、墨署六時名号二点、正信偈文 |
参拝情報
御朱印 | ー |
URL | http://www.katch.ne.jp/~oninji/ |
駐車場 | ○ |
参拝日 | 2022年2月18日 |
愛知県下新十名所 | 11位 / 得票数 668,885票 |
御由緒
浄土真宗本願寺派第八代門主である「蓮如」は寛正六年(1464年)には延暦寺の門徒により本願寺が破却(焼き討ち)にあい京を脱出するなど文政二年(1467年)に和議が結ばれるまで京に戻る事が出来なかったという。応仁元年(1467年)に勃発した応仁の乱の戦乱を逃れる為、蓮如上人は再び京を脱出し、その後浄土真宗本願寺派の一大拠点となる北陸や東海地方への立ち寄り布教活動を行っています。
応仁二年(1468年)、蓮如上人は弟子である上宮寺住職「如光」の招きに応じて三河の地を訪れています。そして一説では如光の生まれ故郷とされる西端に蓮如上人の為に道場を建立しています。この道場が現在の応仁寺になります。
如光とは
応仁寺の門前には、如光上人を祀る「如光堂」が建てられています。

岡崎市上佐々木町に建つ真宗大谷派の太子山上宮寺の三十代住職。上宮寺は元々は浄土真宗高田派の寺院だったが、如光は蓮如に弟子入りし本願寺派に改宗すると、後に三河三ヶ寺と呼ばれる三河地方の本願寺派の中心的寺院となっていきます。
如光は蓮如上人の弟子でありながら教団の金銭面にも多大な貢献をしていた人物であったようで、蓮如上人からの信頼も非常に厚く、蓮如・如光二尊連坐像を上宮寺に贈っています。(蓮如上人と門弟との連坐像は、如光との物以外書かれていません。)
そんな蓮如上人から熱い信頼関係を築いていた如光ですが、その生い立ちは謎に包まれています。「応永二十四年(1417年)、西端油ヶ淵より龍の化児が出現し、三十代如光上人となった。」と上宮寺では伝承されています。
如光上人化生時の像 如光上人縁起
西端村に在り。傳に曰く寛正二年山門の衆徒大谷の梵城を火く。蓮如逃れて三井寺に匿れ、次いで三州に入り、この地に隠居す。四年秋去て再び三井寺の別坊近松に赴く。数年の後京師応仁の乱あり。蓮如之を避けて重ねて本村に寄寓す。杉浦三郎左衛門光房と伝えるもの蓮如のために就て一寺を建つ。応仁寺即ち是なり。蓮如上人の遺蹟として其の名遠近に高し。明治五年公布に基づき廃寺となる。
碧海郡誌より
御朱印帳の保管に
数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。
ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を補完されてみたらいかがですか?
愛知県下新十名所

「松光山応仁寺」は昭和二年に昭和二年に新愛知新聞社(現:中日新聞)が読書の方達からの投票によって愛知県の新しい十名所を決定しようという企画「愛知県下新十名所」において「668,885票」を集めて「第11位」になっています。
松光山応仁寺 | 11位/57位 | 668,885票 |
江比間海岸(愛知県田原市江比間町)愛知県十名所
昭和二年に実施された愛知県下十名所の決定する投票戦にノミネートされ13位に選出された江比間海岸の紹介です。13位に入った事で「愛知十勝地」に選定されています。
瀬戸荻ノ御殿(愛知県瀬戸市萩殿町)愛知県新十名所
昭和二年に行われた愛知県下新十名所を決める投票戦において322票を集めた「瀬戸萩ノ御殿」の紹介になります。明治時代に全国的に注目を集めたという禿山復旧工事の記念碑というべき場所になります。
応夢山定光寺(愛知県瀬戸市定光寺町)徳川義直霊廟 愛知県十名所
愛知県瀬戸市にある臨済宗妙心寺派の寺院である「応夢山定光寺」の紹介になります。初代尾張藩主「徳川義直」の霊廟がある事から江戸時代には尾張藩の庇護が厚かった寺院になります。
品野岩屋の滝(愛知県瀬戸市岩屋町)愛知県十名所
愛知高原国定公園を形成する岩屋堂公園の中にある愛知十名所候補となった「品野岩屋の滝」の紹介です。奈良時代の名僧行基ゆかりの岩が組み合わさってできた薬師堂がその名の由来となったという岩屋堂公園は紅葉でも有名なスポットになります。
大龍山雲興寺(愛知県瀬戸市白坂町)愛知県十名所
愛知県瀬戸に鎮座する曹洞宗の寺院である大龍山雲興寺の紹介です。盗難除の御利益がある「性空山神」が非常に有名な寺院になります。愛知県新十名所の投票で50万以上の票数をあつめて15位になり愛知十勝地に選定された寺院でもあります。
参拝記
碧南市と安城市の市境にある「油ヶ淵」の湖畔に設けられた「油ヶ渕遊園地」と応仁寺の駐車場が共用化されていたりして、まるで組み込まれたかのように感じてしまいます。駐車場は公園と共用化されているので、花しょうぶのシーズンを外せば問題なく駐車できるかとおもいます。
境内入口

先に紹介した如光堂と市道を挟んだ反対側に「蓮如上人の滞在した庵趾」を示す石柱が据えられた応仁寺の参道入口?があります。ここ応仁寺は真宗大谷派の寺院ですが古くより無住の寺院で地元の檀家の方々が守ってきた寺院というこという事もあって、現在では公園と一体化した寺院となっています。

参道を進んでいくと、「油ヶ淵花しょうぶ園ご案内」の看板があって、思いっきり応仁寺が公園に組み込まれている事が見てとれます。境内の一部を公園として提供している寺院は多いかと思いますが、公園の中に境内全体が組み込まれてしまっている寺院はあまりないのでは?
寺号標

応仁寺の寺号標は、表面に「浄土真宗 松光山応仁寺」と彫られ、側面には、応仁寺の由緒などが彫られています。向かって左側面は寺院情報が・・・

むかって右側面には由緒がぎっしりと彫りこまれています。裏面は建立年月ですね。
手水舎

木造瓦葺四本脚タイプの手水舎になります。
本堂

浄土真宗の本堂によく見られる造りの本堂かと思います。入母屋造瓦葺平入に向拝と三方に高覧のある濡れ縁が設けられています。

この濡れ縁の感じとか、浄土真宗の寺院で非常によく見かける造りじゃないでしょうか。
黒とぼけさん

境内の一角に全国的にも非常に珍しい仏様を安置した御堂がたっています。中には江戸時代後期に造られた即身仏の様なやせ仏様が安置されています。
参拝を終えて

蓮如は越前を中心として北陸地方に一大拠点とも言うべき勢力をこの頃には築いていたようで、蓮如がこの地に滞在している事を聞いた越前国・加賀国の門徒衆がこの地を訪れ御堂の周辺に堀を掘ったその跡なんだとか。
親鸞が存在していた頃、三河国発生した和田門徒と呼ばれる浄土真宗の門徒集団がいた事は、当サイトでも何度か紹介してきています。この門徒集団が時代が下っていく中で高田派や本願寺派に変わっていく訳ですが、この和田門徒はじつは越前国に進出しており、現在でもこの和田門徒の流れは「真宗三門徒派」となって生き続いています。
真宗の中でも違う系統の門徒衆なのはわかるんですが、三河から越前に進出した真宗門徒衆と蓮如を助ける為に越前国から三河国にやってきた本願寺派の門徒衆・・・。なんとくなく歴史の繋がりを感じませんか?
雑誌・マンガに加えて旅行雑誌の定番"るるぶ"も月額500円(税抜)で読み放題!
やはり、旅先の情報はネット検索もいいですが、るるぶなどの旅行ガイド雑誌が一番ではないかなと思います。ネット情報はどうしてもディープになりがちで、いざ旅行に行こうと思っても、俯瞰的な情報が不足しがちな気がします。 やっぱり、"るるぶ"を見ながら、旅の予定表を作っていくのも、旅行の醍醐味ですよね。
所在地を地図で確認
寺院名 | 松光山応仁寺 |
所在地 | 愛知県碧南市油渕町一番地六 |
最寄駅 | 鉄道: バス:くるくるバス「油ヶ淵遊園地バス停」徒歩1分 |
寺院・霊場巡りの際のバイブルに
元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。
少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。