神社紹介
神社名 | 神明社 |
鎮座地 | 西尾市八ヶ尻町古新田畑一一八番地 |
御祭神 | 天照大御神 |
旧社格 | 村社 |
創 建 | 不詳 |
神名帳 | - |
境内社 | 八幡社、社口社、御鍬神社、津島社 |
例祭日 | 十一月二日 |
御朱印 | - |
H P | - |
参拝日:2019年1月18日
御由緒
社伝に、往古はこの地方は浜辺で、八ツ頭大蛇流れ着き、頭が漂着した所を八ツ面という。その尻尾の着いたところから八ヶ尻と呼ぶ。大蛇の祟りを恐れ荒神を祀る。伊勢の御師来りて改めて伊勢神宮を勧請すと。明治五年十月十二日、村社に列す。
愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より
伝説におれば往古この地方海面なりしとき、八つ頭の大蛇寸断せられて漂着す。其頭の漂着せし所を八ツ面と称し、其尾の漂着せし地を八ヶ尻と云う。八ヶ尻荒神はこの大蛇を祀りたるものにしてこの地の守護神なりしが、後更に天照大御神を奉賛して神明社と称す。明治五年十月村社に列す。例祭は十月四日。
「愛知県幡豆郡福地村誌」より
由緒から想像するに、この八ツ面から八ヶ尻にかけては、有志以来、幾度となく矢作川の氾濫によって甚大な被害が発生していたんだと思います。この暴れ狂う川を大蛇に見立てて、治水の祈りを行っていたんだと思うのです。そして、江戸時代に入り矢作新川が掘削によりつくられるまでは何かあると洪水だったんでしょう。
先日紹介した「瑠璃山 香秀寺」の記事の中でも紹介していますが、香秀寺の北側には八ツ頭大蛇(ヤマタノオロチ)の尻尾部分を祀っているとう祠が鎮座しています。元々からその場所に祠があったのか、元々は八ヶ尻神社の祭神として祀られていたが、天照大御神を勧請した際に、現在祠のある場所に遷座することになったのかは由緒書きなどにも載っていない為不明ですが、ここ八ヶ尻町の伝説も後世に大切に伝えていきたいですね。
神明社鎮座地
地図を見て頂くと、神明社は八ヶ尻町の南部に位置する場所に鎮座しているのがわかりますね。
参拝記
県道312号線「荻原巨海線」から少し南に進んだ場所に鎮座しているのが神明社になります。参拝者用の駐車場が特に用意されていない様ですので、幟立石の間に車を駐車する感じになるかと思います。
境内入口
東入りの境内に南向きの社殿配置となっています。
道路に面している距離がかなりあるようで、かなりの範囲で瑞垣が設けられています。
ここの神明社の境内入口は非常に幅広に設けられいます。
石灯籠を一対に据えてその中心に石鳥居が建っています。
社号標
旧社格も彫られた社号標になります。
その脇には、昭和四十九年に行われた御遷宮記念の石碑が建てらえています。どういった規模の造営工事が行われたのかは不明ですが、こうして石碑がのこっているくらいですので、かなり大規模な造営工事が行われたんでしょうね。
手水舎・水盤
木造瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。
下部に貫は設けられていないのですが、そんなに軒高も高くなく安定感がある様に感じる手水舎かなと思います。ただでさえ不安定な造なので、簡素な造りが一番だと思うんですけどね。
狛犬
大正十四年生まれの狛犬一対になります。
なんとなく、大正十四年生まれの割には表面の風化が進んでいる様に見えるのですが。
社殿
切妻瓦葺平入の拝殿になります。
小型拝殿標準型ともいうべき建築様式になっています。地震倒壊防止の鋼鉄製の支え柱が設けられていますね。神社の拝殿は壁が例祭などの時には開放できるようになっている為、筋交いを設けにくい建物になっていて、どうしても近年の耐震補強を行うと鋼鉄製の支え柱が設けられてしまう傾向にありますね。
本殿は一間社流造の本殿が建っています。この感じから、この神明社は祭場が露天形式になっているようですね。
参拝を終えて
境内の片隅に置かれていた、焼き物の何か・・・。
雨どいからの水をためておく瓶なのかなとは思うのですのですが。ただ、雨水受だったらこんな所に放置せずに雨どいと接続すればいいわけで、使用目的不明ですね。
ご自宅にお札は祀られていますか?
実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、
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南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。