城跡巡り

井田城(愛知県岡崎市井田町)左衛門尉酒井家居城

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新企画「愛知県下新十名所」

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城郭情報

城名井田城
所在地愛知県岡崎市井田町字城山
築城年不明
築城主酒井氏忠か?
城形式平城
遺構なし
規模不明
備考現在、城山公園

訪問日:2019年7月10日

沿革・詳細

 井田城は、築城年は不明ながら、親氏の代から仕えていた酒井広親の嫡子「酒井氏忠」が築城し、代々左衛門尉酒井氏の居城となっていたと伝えれています。松平氏三代松平信光の時代に、井田野周辺(現在の大樹寺辺り)は後の安祥松平氏初代となる松平親忠が領し、更にその南に位置する場所に酒井氏が所領を得て、居城となる井田城を築城したという流れになるかと思います。
 その後は酒井氏忠が始祖となる左衛門尉酒井氏の居城になりますが、いつ頃廃城となったのか不明になっています。

 徳川四天王筆頭にその名があげられる「酒井忠次」は大永七年(1527年)に井田城内で出生したと伝えられています。

歴史探訪

 当サイトでは酒井氏発祥の地の伝承が残る刈谷市西境町、東境町と西尾市吉良町酒井を紹介しています。今回は、二系統あるという酒井氏の家系でも酒井忠次を輩出した左衛門尉酒井氏の居城「井田城」の紹介となります。

 井田の地を受領してい事から、左衛門尉酒井氏は基本的に松平宗家となる岩津松平氏の譜代家臣であったとするのが妥当かと思います。松平氏三代松平信光が死去し、家督は嫡子となる松平親長が継いだと思われますが、親長は幕府に対応する為に基本的に京に滞在していた様で、松平氏は一族の合議制で運営されていたと考えられます。しかし、明応二年(1493年)十月二日に碧海郡上野城の「阿部孫次郎」と、加茂郡の挙母城「中條出羽守」・寺部城「鈴木日向守」・伊保城「三宅加賀守」・八草城「那須宗左衛門」が軍勢三千騎を率い、岩津城と相対する様に松平領の井田野に布陣します。この時、安祥城を居城とする松平親忠が松平領の各地にいる松平一族や譜代家臣の軍勢を集め、井田野に布陣する敵軍の南方から突撃し、岩津城の城兵と挟撃する事により敵兵を打ち破ったという第二次井田野合戦が勃発します。この時、左衛門尉酒井氏の酒井氏忠も親忠率いる軍勢に名を連ねています。
 この井田野合戦で大いに武功を挙げた松平親忠は、不在がちな松平親長に変わり松平一族を束ねていく惣領の名代という立場になったとされ、この頃に酒井氏も安祥松平氏の家老という立場になっていき、安城譜代としても酒井一族はその名を記される様になっていきます。

 時は流れ、松平氏惣領として松平元康が今川氏の人質から脱却し岡崎城主として帰還すると酒井忠次は側近として仕え、山中城代を経て吉う田城主に任ぜられるとそれまでの所領であった井田の地がどうなったのかはわかりませんが、仮に酒井忠次の所領が続いてたとしても井田城はもうほとんど使われる事はなかったんじゃないでしょうか。

 井田城と城がついていますが、当然想像するような城郭ではなく、一重堀に囲まれた単濠単郭式の城館であったと思われます。

訪問記

 井田野合戦の古戦場とも伝えられている「長親山西光寺/紹介記事」から南西に300m程の場所に今回紹介する井田城跡とされる城山公園があります。周囲は区画整理、宅地化が進み、当時の風景を想像する事は難しいかなと思いますが、城山公園の西側には柿田川が流れ、川の麓から城山公園を望むと、高台となっている事がわかります。

 城山公園として整備されている井田城跡ですが、公園の北側半分は城山稲荷と晴明白龍大神が鎮座し、南側半分は児童公園の様に整備されています。この稲荷社ですが、いつ頃の図なのかはわかりませんが、井田城址を描いている絵図に稲荷社が記載されているので、もしかしたら井田城守護神として祀られていた稲荷社である可能性もあるかなと思っています。

 晴明白龍大神の縁起には、井田城址が「三河武士発祥の地」と書かれています。酒井氏は最古参の譜代として松平氏に仕えてきた一族ですが、それをもって三河武士発祥の地としていいものなのかな?まあ、三河武士は広義でいえば徳川家康の家臣団と言えるのかなと思いますが狭義的に考えると徳川家康が今川氏から独立を果たす桶狭間の戦いまでに仕えた家臣団だと言えるのかなと思います。

 晴明白龍大神の社の横に井田城趾と彫られた碑が据えらえています。裏には井田城の縁起が彫られています。

 松平氏の本城「岩津城」に対して侵攻してくる敵軍を何度も迎え撃つことになった「井田野合戦」ですが、井田野は井田城のすぐ北側一帯であったとされています。こういった戦いの時、居館はどういう対応をしていたんでしょうね・・・。

地図で所在地を確認

城郭名井田城
所在地愛知県岡崎市井田町城山地内
最寄駅愛知環状鉄道 「北岡崎駅」徒歩13分

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