秋葉山常夜燈 西尾市

白山神社(西尾市吉良町乙川)

2019年2月19日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

神社紹介

神社名 白山神社
鎮座地 愛知県西尾市乙川西大山四番地
御祭神 菊理比咩神、伊邪那美神、誉田別尊、天児屋根命、建速須佐之男命、伊佐波登美命、玉桂屋根命
旧社格 指定村社
創 建 暦応年間(1338-41年)
神名帳
境内社 神明社
例祭日 四月第一日曜日
御朱印
H P

参拝日:2018年10月16日

御由緒

暦應年間(1338-41年)足利尊氏乙川に新田を造成し白山妙理大権現を祀る。寛永年間(1624-43年)の三河石高帳にも記録あり。万治二年(1659年)、吉良吉冬社殿再建の棟札を社蔵する。明治五年十月十二日村社に列し、同四十二年九月一日、神饌幣帛料供進指定を受ける。大正十三年十月二十三日、境内社の八幡社、御鍬社、春日社、津島社の四社を本社に合祀した。

「愛知県神社名鑑」より

愛知県神社名鑑では、足利尊氏が白山大権現を勧請して創建したように書かれていますが、「医王山 正法寺」の由緒では、足利尊氏が再興した際に住職として呼び寄せた「玉林坊」が寺の鎮守として白山大権現を勧請したとされています。
では、幡豆郡吉田村誌では白山神社の由緒についてどのように書かれているのか・・・

本社の起源を奮記の存するなきも、奮神職家の口傳を聞くに、貞観の頃創立せしものの如し。正法寺及小山田の奮家小山家の記録に依りて索ねるに、神亀元年甲子行基菩薩諸国行脚の際、三河鳳来寺に駐鍚し尊像二体を彫刻し同寺に安置せり。暦應の頃足利尊氏乙川に新田を築き、鳳来寺の現住玉林坊を延て正法寺を開基せしむ。玉林坊薬師の一體及阿弥陀如来十一面観世音菩薩を安置し白山妙大権現を鎮守神として祀りしこと事實なるが如し。然れども玉林坊白山大権現を鎮守社とせしは、該家の傳ふるが如く該地に鎮祭せしものを鎮守ととせしか、開基と共に祀りしかは知り難し。以来星霜を歴て大字乙川の産土神となりしならん。
同社の蔵むる棟札に万治二年吉良若狭守吉冬社殿再建、神主岡田郷左衛門とあり。既に当時は正法寺と関係を絶ちししと知るべし。以上は唯伝説を総合して記せるものにて、事実の真相を確むること難し。面して明治五年十月村社に列せられ、明治四十一年神饌幣帛料供進社に指定される。

「幡豆郡吉田村誌」より

吉田村誌では、白山大権現が正法寺の再興の際に勧請されたのか、それ以前からこの地に祀られていたのかは不明だとされていますね。尊氏が正法寺を再建しなければ、白山神社ももしかしたらこの地に無かったのかも知れないと思うと、足利尊氏所縁の神社といえなくもないですね。

白山神社鎮座地 地図

地図を見ていると、正法寺によりも正法寺古墳により近い場所に白山神社が鎮座している事がわかりますね。

参拝記

「医王山 正法寺」が南入りの境内に対し、立地の条件から、白山神社は東入りの境内、東向きの社殿配置となっています。その為、参道からは乙川地区から小山田地区を見渡すことができます。(写真を撮っていればよかったのですが、すっかり失念していました。)

ストリートビューを見て頂くとわかりますが、白山神社の参道入口前には秋葉山常夜燈が据えらえています。造り的に移設された常夜燈ではないと思うので、乙川地区の南側を見守る常夜燈なんだろうと思います。こちらの常夜燈とも合わせて紹介していきます。

参道入口

白山神社の境内に通じる参道は、東側から境内に伸びています。参道入口脇には、乙川地区の公民館がありますので、参拝の際はこちらに車を停める形になると思います。

社号標、鳥居、幟立石が据えられた参道入口になります。

社号標

大正九年十月建立の旧社格が彫られた社号標になります。

鳥居

扁額が取り付けられた明神鳥居になります。建立年月は調べ忘れてしまいました。

鳥居を潜ると、真っ直ぐ社殿に向かって参道が伸びているのがわかりますね。石段がこれだけ設けられているということは、参道入口から社殿まで高低差があるわけなんですが、それでもこれだけ真っ直ぐ参道が伸びていると見ていても気持ちがいいです。

参道

参道を進んでいくと、徐々に鎮守の森の中に入っていく感じが個人的には神域に近づく感じを感じられるので好きなんですよね。都市開発が進んで鎮守の森が亡くなってしまう神社があるのは仕方ない面もあると思うのですが、森に囲まれた神社を残していってほしいなと切に願っています。

なんといっても、"鎮守の森"なんですからね。

手水舎・水盤

木造アルミ板(板金)二本柱タイプの手水舎になります。
屋根が非常に簡素にできている為、瓦葺と比べると安定感はありますね。土台部分に目を移すと、円柱型の塚の上で柱がアンカー止めされています。基礎がしっかりしている点も安定して見える要因なのかな。

祓所

四方角に榊が植えられた祓所になります。
この様式の祓所は、四方に立てる忌竹の代わりを榊がなしていて、修祓を行う際は、注連縄を張って四手を垂らしているんだと思うのですが・・・。

小山田地区の八幡社で見かけた四方角に杉が植えられている祓所があったのですが、この白山神社の祓所もここまで木々を育て上げるのに非常に根気のいる作業だと思います。
こうした、人工といえば人工なんですが、自然の力を利用した施設ってすごいですね。

狛犬

大正九年一月生まれの狛犬一対になります。均整の取れたプロポーションだと思います。

社殿

拝殿の様式は入母屋造瓦葺平入になり、高覧が設けられた廻縁を有しています。

今まで紹介してきた建築様式の中で、四間×三間のこの白山神社の拝殿の特徴を類似している拝殿の神社が非常に多い気がします。この拝殿の建築様式が全国的なものなのか、この地方独特のものなのかはわからないのですが、当サイトでは、中規模拝殿標準様式と呼んでいこうと思います。(もし、この拝殿の建築様式がこの地方独特だったとしたら「三河式拝殿」とでも呼びましょうかね。)

懸魚、鬼瓦

鰭が設けられた蕪懸魚になります。六葉の形が非常に凹凸がはっきりしていて独特の形になっていますね。

秋葉山常夜燈

常夜燈データ

種  別 秋葉山常夜燈 建立年月 享和二年
設置場所 愛知県西尾市吉良町乙川西大山地内
形  状 宮立型(宮前型) 基壇-段、土台石1段
竿部刻印 正面「秋葉正一位大権現」
左面「村中安全」右面「享和二年建立」
台石刻印
火袋台石刻印

前述していますが、白山神社の参道入口に相対するような感じで建っている常夜燈になります。造り的には、常夜燈、社を瑞垣で囲んでいて、秋葉神社と地図では表示されていますね。

町の辻々で見かける御堂や祠の中で、秋葉神社の祠にかんしては、基壇を設けて一段高くなっている様式が多いような気がします。秋葉山常夜燈の成り立ちが解らないので想像なんですが、初めは、ここ白山神社前の常夜燈の様に、基壇を設け玉垣を巡らせ、その中に祠と灯篭を据えたのが始まりで、徐々に簡素化されてよく見かえる常夜燈の様式に替わっていたのかな?と思うのですがどうなでしょうね。

常夜燈には、神仏習合時代の"秋葉正一位大権現"と彫られています。

参拝を終えて

足利尊氏所縁の三社三箇寺には名前を連ねてはいませんが、正法寺との関係の中で足利尊氏の存在が白山神社が現在の姿になった切っ掛けになったのは間違いない所かなと思います。

足利尊氏所縁の史跡がまだまだ三河には数多くありそうですので、探して巡っていきたいと思います。

ご自宅にお札は祀られていますか?

実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、

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南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。

神社誌作成プロジェクト

-秋葉山常夜燈, 西尾市