神社情報
神社名:三宮神社
鎮座地:岡崎市福桶町字菰原百三十四番地
御祭神:応神天皇、金山彦命(境内御由緒書では大物主命)、豊受姫命
旧社格:神饌幣帛料供進指定村社
創 建:文化五年(1808年)
境内社:秋葉社
参拝日:2016年12月22日
御由緒
金明社と八幡社が昭和三十六年十二月六日合併し三宮神社を称す。
八幡社御由緒
福桶町字上土作三十八番地に鎮座、神饌幣帛料供進指定村社
嘉慶年中(1387)三河地方の戦乱続き、村民平和を祈り、遠江国天竜川畔の池田郡八幡宮の御分霊を迎え祀る。更に、慶長九年(1604)八月十八日村人本田太兵衛が東国から帰途池田郷の八幡宮の神託をうけ社殿を修復し歓請された。霊験あらたかで、日清、日露の戦役に12人出征し全員無事帰還した。
金明社御由緒
福桶町字菰原四十九番地に鎮座、神饌幣帛料供進指定村社
文化五年(1808)年八月の創建、明治四十四年一月十六日、福桶町字菰原七番地 無格社神明社を合併した。同年一月十四日、金刀比羅社を金明社に改称する。
愛知県神社庁 発刊
「愛知県神社名鑑」より
鎮座地 岡崎市福桶町字菰原百三十四番地
祭 神 応神天皇:八幡社
あ 大物主命:金比羅社
あ 豊受姫命:神明社
あ 迦具土命:秋葉社
この福桶は開拓の時、地中より桶が出た吉兆の郷である。氏神様は昭和三十六年十月金明社と八幡宮の合併により三宮神社と称す。
金明社の金刀比羅社は文化五年(1808年)歓請と伝え、神明社は寛永九年(1632)西尾熊味の久麻久神社より霊夢有りて遷座する。明治四十四年金刀比羅社に合祀する。
八幡社は、嘉慶年中(1388)に遠州国池田郷の八幡宮の御分霊を迎え祀る。更に、慶長年間(1600)村人本田太兵衛が東国の帰途、八幡宮の神託を受け勧請する。明治四十三年橋目八幡宮を合祀、日露戦役には霊験灼か。
社殿は合併時に旧社殿を移築、改築は父祖の積年の願望であった。今回県営圃場整備事業により八幡社の旧社地を換地、約九百坪の社地を造成。平成九年七月地鎮祭。平成十一年上棟式、遷座祭を古式で斎行。同年十一月二十一日竣工奉祝祭を厳修、稚児社参五百四十余名。餅投げ、夜花火で盛大に奉祝する。
ここに、氏子の熱意奉賛により、社殿を再建し境内を整備し神社を一新、世紀の大事業の慶事を記し、愈々神徳の高揚に勤め、国家の弥栄と氏子崇敬者の繁栄を記念する。
平成十一年十一月吉日
境内三宮神社造営記念板より
参拝記
御由緒を見ると、平成の世になって境内地を新たに造営し遷座している為、比較的新しい神社という事になりますね。
三宮神社の社名の元となった三宮とは、八幡宮、金明社、神明社の3社を指しているそうです。このことは、新しい社号標に彫られています。
三宮神社の前に福桶バス停があります。名鉄東部バスが運行している岡崎・西尾線になります。
参道入口から境内を望みます。
社号標の側面に、八幡社、金比羅社、神明社 合祀並二社名改称と彫られてますね。
手水舎・水盤
境内ではなく、参道にある手水舎になります。こういった配置はこの辺りでは珍しいですね。
ん?
リアルなんだか、ファニー何だか判別にこまる龍頭が。モヒカンですか?
鳥居越しに社殿を望みます。少々斜めの写真になってしまい、申し訳ないです。
開放的な境内となっていて、社殿裏手には田園風景が広がっています。
神馬
ここの神社には新馬像が奉納されていました。なかなか優しい顔つきの馬姿ですね。
合祀前の八幡社、金明社(金比羅社)の社号標等
合祀前の神明社の社号標は存在しなかったですが、金明社へ改称まえの金比羅神社の社号標は残っていました。集落で神社を三社維持するのは大変だったと思います。時代の流れでこうやって合祀されていくのは仕方ない事だと思います。ただ、明治政府の行った神社統合政策はやりすぎだったと思います。神社の合祀なんかは、地元の氏子の方々で判断するのが大切だと感じる今日のこの頃。
狛犬
昭和七年生まれの狛犬一対。金明社、八幡社どちらに奉納されていた狛犬達なんですかね。
社殿
拝殿です。瓦葺き、寄棟、平入、三間幅、この辺りの標準的仕様です。ただ、平成になって建築された為なのか、かなり天井が高くなっています。その為、かなり縦長の社殿イメージになっています。
境内社
遙拝所
境内社裏にある遙拝所になります。方向的には伊勢神宮方面を向いている感じですね。
懸魚・鬼瓦
鰭付きの蕪懸魚になります。鰭部分のデザインが独特ですね。
[amazonjs asin="4103455039" locale="JP" title="神々が見える神社100選"]
日本全国の神社を感じる事ができると思いますよ。