神々の伝承

瀬織津姫命

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

瀬織津姫命とは

古事記にも日本書紀にも登場しておらず、大祓詞(おおはらえことば)にのみ登場している詳細不祥な神になります。

大祓詞とは?


神道の祭祀に使われる祝詞の一つであり、中臣祓詞と呼ばれる。
中臣氏が穢れを祓う為に、奏上されていた祝詞である為、中臣祓詞と称される所以である。
成立は天智・天武天皇から文武天皇の御代の頃とされていますが、神道の中で奏上されるようになったのは鎌倉初期の頃と言われています。「中臣祓訓解」(なかとみのはらえくんげ)が撰され、神仏習合的な注釈が試みられるようになり、同時に「中臣祓」を唱することが盛んになったそうです。

中臣氏とは?


大化の改新の時に、中大兄皇子(後の天智天皇)と共に蘇我本家を滅ぼした中臣鎌足が死期を目前に迫った時、天智天皇より藤原朝臣の与えられ藤原姓を称するようになった。藤原氏が太政官を、中臣氏が神祇官を領掌する体制にするために、鎌足の息子"不比等"の直系以外は中臣姓に戻されたそうです。

大祓詞の中では、祓いを行う四神が記述されています。

1.瀬織津比命(せおりつひめ)
2.速開都比命(はやあきつひめ)
3.気吹戸主(いぶきどぬし)
4.速佐須良比命(はやさすらひめ)

この中で、速開都比売以外は古事記、日本書紀に登場してこない為、どの神が当てはまるのか諸説あります。

諸説の中で、瀬織津姫は天照大神と関係があり、天照大神の荒御魂とされることもある。「西宮」の地名由来の大社である廣田神社は、天照大神荒御魂を主祭神としているが、戦前の由緒書きには、「祭神の天照大神荒魂は瀬織津姫であると」明確に記されていたそうです。

荒御魂とは?


神の荒々しい側面、荒ぶる魂の事を言います。これに対し、穏やかな魂を和魂と呼びます。

 大祓詞での瀬織津姫命

高山乃末短山乃末與里 佐久那太理爾 落多岐都 速川乃瀬爾坐須 瀬織津比賣登云布神 大海原爾 持出傳奈牟 此久持出往奈婆 荒潮乃潮乃八百道乃 八潮道乃潮乃八百會爾坐須 速開都比賣登云布神 持加加呑美氐牟 此久加加呑美氐婆 氣吹戸爾坐須 氣吹戸主登云布神 根國底國爾 氣吹放知氐牟 此久氣吹放知氐婆 根國底國爾坐須 速佐須良比賣登云布神 持佐須良比失比氐牟 此久佐須良比失比氐婆 罪登云布罪波在良自登 祓給比清給布事乎 天都神國都神八百萬神等共爾 聞食世登 白須

大祓詞は宣命書きと呼ばれる手法にて書かれています。この宣命書きは現在でも祝詞を作成する際に用いられています。戦前まで教えられていた文語体に通じる書き方になっていて、戦後の口語体に慣れ親しんでしまった現代人には非常に読みづらい文章になってしまっていますね。

ここで、瀬織津姫命は

速川乃瀬爾坐須 瀬織津比賣登云布神 大海原爾 持出傳奈牟」

という文章の中で描かれています。

現代語訳としては、「渓流の瀬にいらっしゃる「瀬織津姫命」が大海原に流してくれるだろう。」という意味になりますね。

全体の意味としては、穢れを瀬織津姫命が大海原に流してくれるだろう、そして速開都比命がガブガブの飲んでくれるだろう。そして飲んでくれた穢れは伊吹戸主が地の国、底の国に吹き払ってくれるだろう。そして吹き払ってくれた穢れは速佐須良比命がどこかに持ち去ってくれるだろう。

という意味になります。穢れを払ってくれるという事から祓戸四神と呼ばれています。

御神徳

上記の大祓詞の情景から、「祓いの神」「水の神」「川の神」「海の神」と言われてます。

また、天照大御神の荒御魂と同一視されている諸説では、天照大御神は八百万の神々の中で最高至貴とされる大御神であり、生活の基である衣食住を整えられた国民生活の祖神と考えられます。その荒御魂ですから、勝運、開運、厄災消除、立身出世、罪障祓滅などに特に御神徳があると考えてもいいのかもしれませんね。

瀬織津姫命を祀る神社

・天照大御神の荒御魂として瀬織津姫命を祀る神社

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