豊田市

蛇口成瀬神社(愛知県豊田市富岡町)

2021年4月15日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

神社紹介

神社名蛇口成瀬神社
鎮座地愛知県豊田市富岡町道東五番地
御祭神天児屋根命、大山祇命
旧社格村社
創 建不詳
神名帳
境内社御鍬神社、秋葉神社
例祭日十月十六日
御朱印
H P

参拝日:2018年6月27日

御由緒

 以前紹介している「御所山普光寺/紹介記事」や「飯盛山香積寺/紹介記事」などの由緒の中でも登場してきますが、元弘元年(1331年)、後醍醐天皇第三皇子「平勝皇子」と関白「二条良基」が今日の戦乱から逃れる為、足助重範を頼って京の都より足助庄に逃れてきます。(当サイトでは平勝皇子と二条良基が足助を訪れたのは後醍醐天皇の鎌倉幕府討幕への助力を求める為であると考えています。)

 足助庄に滞在中、二条良基は臼木ヶ峯に滞在していたと伝えられています。(平勝皇子が滞在していた場所はよく解らないのですが、足助氏屋敷に滞在していたのではないでしょうか。)そして足助重範の娘「滝野」が二条良基の侍女として仕えたとされます。

 二条良基と滝野の間に子が授かり、生まれた男の子は「三吉丸」を名付けられます。時系列から考えると、三吉丸が生まれる前に平勝皇子と二条良基は京の都に帰ったと考えられ、滝野は父「足助重範」より屋敷を与えられて三吉丸を産んだのでしょう。この屋敷がもしかしたら二条良基が滞在していた臼木ヶ峯の屋敷なのかもしれませんね。

 三吉丸は足助庄成瀬郷に屋敷を与えられたと伝えられ、元服の際、その成瀬郷を本貫としている事から「成瀬」を称し「成瀬基久」と改名しています。基久は尾張徳川藩家老で犬山城主であった「成瀬氏」の祖となります。

 いつ頃この地に成瀬神社が建立されたのかは不明ですが、足助庄成瀬郷の地に成瀬氏祖「成瀬基久」その父「二条良基」、母「滝野」を祀る「成瀬大明神」として社が建立されたそうです。

成瀬神社の主祭神が「天児屋根命」である理由は?
 「天児屋根命」は中臣氏、藤原氏の始祖とされ、春日大社の御祭神の一柱になります。
 そして、成瀬基久の父「二条良基」は鎌倉時代に公家の格式頂点に立つ五摂家の一家になります。この五摂家は藤原氏嫡流である近衛家・鷹司家・九条家・二条家・一条家で構成されていて、大納言・右大臣・左大臣を経て摂政・関白、太政大臣に昇任する事ができたと言います。
 二条良基の血を引く成瀬基久もいうなれば藤原氏の末裔と言い換える事ができ、藤原氏の始祖であるとする天児屋根命を主祭神としているのではないでしょうか。

 成瀬一族は、松平親氏、泰親の代には松平家に仕えていたとも言われています。松平氏の西三河南部への進出に、成瀬氏も従っていて、「木戸城/紹介記事」(城跡に鎮座する神社が天児屋根命を主祭神とする「春日神社/紹介記事」になります。)の城主や三河新四国霊場二十九番、三十番札所である「金寶山安心院/紹介記事」の大檀那として成瀬氏の名前を見る事ができます。江戸幕府開幕後は尾張徳川藩の宿老として犬山城主となっています。平成になっても国宝に指定されている犬山城は成瀬氏の個人所有の城であることは非常に有名ですね。

成瀬神社
御祭神
一、天児屋根命
一、二条関白良基公 二条家五代
一、滝ノ方 重範娘
一、基久公 犬山成瀬祖
例祭
 十月十三日、良基公忌
 九月十九日、本祭
由緒
 創建年は不詳。南北朝時代
 香積寺縁起書には基久公幼名三吉丸神霊を崇神成瀬大明神と称し奉る。林間村氏神是也。
 尚良基公、滝ノ方、基久公は香積寺開基。
 産湯の井戸、祭神墓所、現存す。
 伊勢神宮御古材拝受本殿再建御遷座昭和五十五年九月十九日。
 伊勢神宮二条大宮司御夫妻様奉迎御造営奉祝祭昭和五十五年十一月九日。

蛇口神社
御祭神
一、大山祇命
由緒
 創建は不詳。深折村氏神。

旧林間村 成瀬神社 氏子八戸
旧深折村 蛇口神社 氏子二戸
行政改革により林間村と深折村合併。大字林間に以後大正二年蛇口神社を成瀬神社に合祀。蛇口成瀬神社と改称する。

成瀬神社境内「由緒書」より

 大正二年二月七日、字柳ヶ洞鎮座の蛇口神社(村社)を合祀し、社号を蛇口成瀬神社と改めた。由緒は明らかではない。この林間の里(旧住所は東加茂郡足助町大字林間)は成瀬氏発祥の地で、成瀬氏の祖を祀る成瀬大明神があった。昭和五十年五月五日、全国の成瀬会を結成し、敬神崇祖と親睦をはかる。同五十五年十月十九日、本殿の覆殿を修復した。

愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より

参拝記

 国道153号線足助バイパスが開通する前までは国道と成瀬神社が鎮座する道束の集落へ向かう道の交差点の所に成瀬神社の社号標が据えられていた記憶があるのですが、バイパス工事の際、この交差点周辺も新しい道路に付け替えられた為、社号標は移設されているようです。

 国道から道束の集落へと通じる道に入って道なりに少し進むと、先ほど説明した国道との交差点に建っていたはずの社号標が見えてきました。道路拡張で少し入った場所に移された様です。

 この社号標からさらに少し進んでいくと突き当りに成瀬神社の境内が見えてきます。

社号標

 旧社格である「村社」が合わせて彫られた蛇口成瀬神社の社号標になります。石の表面に苔?が生えていますね。

鳥居

 建立年月を調べ忘れてしまいましたが明神鳥居になります。鳥居をくぐると石段の参道が続き登った先に本殿と鞘堂があります。

本殿

 成瀬神社の社殿には拝殿は設けられておらず、鞘堂の中に本殿と境内社である御鍬神社と秋葉神社の社が鎮座しています。そういえば鞘堂の中の本殿を直接参拝する形の神社って愛知ではあまり出会った記憶がないですね。

地図で鎮座地を確認

神社名成瀬神社
鎮座地愛知県豊田市富岡町道東五番地
最寄駅おいでんバス「富岡バス停」徒歩16分

ご自宅にお札は祀られていますか?

実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、

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南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。

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