知多四国八十八ヶ所 知多郡阿久比町

龍渓山 洞雲院(阿久比町卯坂) 知多新四国 十五番札所

2018年10月16日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

ONE POINT

 知多郡阿久比町にある曹洞宗の龍渓山洞雲院の紹介です。洞雲院は徳川家康の母「於大の方」が松平広忠と離縁された後に再婚した「久松俊勝」の坂部城のすぐ北側にあり、久松氏の菩提寺になり、現在も久松氏の霊廟があります。

寺院紹介

寺院概要

寺院名龍渓山洞雲院
所在地知多郡阿久比町大字卯坂字英比六十七番地
創 建天暦二年(948年)
宗 派曹洞宗
御本尊如意輪観世音菩薩

霊 場

霊 場知多四国霊場 十五番札所
尾張観音霊場 六番札所
愛知梅花観音 三十番札所
知多六観音霊場 五番札所
御母公霊場  六番札所
前札所霊 場次札所
円通山興昌寺知多四国霊場鳳凰山平泉寺
海雲山普門寺尾張観音霊場大慈山岩屋寺
梨渓山心月斎梅花観音霊場円通山興昌寺
宝壷山天澤院知多六観音勢海山薬師寺
法行山玉洞院御母公霊場大円山最勝寺

文化財

国 宝
国指定
県指定
市指定
町指定
村指定
如意輪観音坐像 藤原時代
久松氏墓所
賦山何連歌 桃山時代
血書阿弥陀経など於大の方ゆかりの遺物

参拝情報

御朱印
URL
駐車場
参拝日2018年5月16日
2018年11月26日

御由緒

 寺伝によると、菅原道真の孫にあたる「菅原雅規」が天暦二年(948年)に天台宗の久松寺を創建したと伝えられる。

菅原雅規とは?

生誕:延暦十九年(919年) ー 死没:天元二年(979年)
菅原道真の嫡子「菅原高視」の子。幼名は久松麿または英比殿。「尊卑分脈」では文章博士、左少弁、山城守を務めたと記されています。

 阿久比では、菅原雅規のいう名ではなく、幼名であるとする「英比殿(麿)」の名前が様々な社寺の由緒に登場しています。この辺りは別の機会に紹介していこうと思います。

 平安時代に「英比殿」の名前で当地されていた阿久比に南北朝時代になると英比殿の末裔であるとする「菅原定範」が尾張国知多郡目代として下向してきます。北朝方の武士として活躍した菅原定範は筑紫国に置いて南朝方との戦で戦死してしまいますが、その子菅原道定は父の功績により知多郡阿古屋乃庄に七千貫の領地を拝領し、この地が祖先である英比殿が治めていた場所であることから、英比殿の幼名「久松麿」の名にちなんで家名を「久松」に改めたと伝えられている。

 洞雲院の近くに「坂部城」を築城した久松定益によって明應三年(1494年)に伽藍が整備され、開山を普済寺在室岱存大和尚として曹洞宗に改宗し中興開山し、洞雲寺を菩提寺としています。

寺伝によれば、平安時代、天暦二年(948年)に菅原道真公の孫である菅原雅規が開基となり、天台宗の久松寺(洞雲院の前身)を創建したと言われている。
雅規の幼名は久松麿と言い、後に英比丸、英比殿とも称された。英比殿は天性朴質、極めて聡明、仁恵に厚く善政を敷いた。没後、 いつの頃からか人々はその徳を追慕し、英比殿夫妻の木像を彫刻し、厨子に奉安して英比荘の民家1戸1日の割で廻送し、供養を怠らなかった。 世に「廻り地頭信仰」と言われた。
この民俗信仰は明治維新とともに途絶え、現在、木像と厨子は、当山霊廟に安置され、学問上達信仰として祭られている。
室町時代、明應三年(1494年)、雅規の後裔、久松定益が曹洞宗の洞雲院として再建し、七堂伽藍と四つの塔頭を整備した。 開山には加木屋普済寺在室岱存大和尚を迎えた。
天文十六年(1547年)、久松俊勝のもとに徳川家康の生母於大の方が再嫁された。阿久比城 (坂部城)に在城の十五年間に三男四女の計7人の子女を出生。俊勝の子は松平姓に改められ、後に桑名城主、 松山城主をはじめ多くの大名、 旗本として世に出した。
当山の境内墓地には、英比殿をはじめ於大の方等13基の墓がある。また、 例年3月16日には於大の方が女性の幸福招来を願って始まった観音懺法会、通称「おせんぼ」が行われる

現地案内板

上阿久比村大字卯坂字英比ニ在リ境内壹千五拾九坪、曹洞宗、本郡加木屋村普濟寺末タリ明應二年久松定益ノ創建ナリ久松氏ハ木村城主ニシテ代々ノ菩提寺トス其歴代ノ位牌ヲ安シ又家譜一巻ヲ蔵ス

知多郡誌

参拝記

 名古屋鉄道河和線「坂部駅」から西に進むと、知多半島の中央を南北に走る県道55号線に突き当たります。この県道を渡りさらに西に進むと今回参拝する「洞雲院」の境内にたどり着くことが出来ます。

 駅名にもなっていますが、洞雲院が建っている辺りは「坂部」と呼ばれる地域で、戦国時代には「久松氏」が治めていた場所になり、その居城だった「坂部城(阿久比城)」が洞雲院の南側に築かれていました。現在坂部城址は阿久比町の図書館などが建っています。

坂部城(阿久比城)

 久松氏が居城としていた城になります。
 久松俊勝の時、刈谷、緒川を治めていた水野忠政の娘「於大の方」を妻に迎えます。この「於大の方」、最初は松平広忠に嫁ぎ、後の徳川家康を生んでいます。その後、松平氏が今川氏の傘下に入ることになり、「於大の方」は離縁され、刈谷城に戻っていました。その後、久松俊勝に嫁ぎ、三人の男子を設けています。
一 説には、桶狭間の戦い後、大高城から撤退する松平元康がこの阿久比城に立ち寄り「於大の方」と再会したと言われています。そして、俊勝は長子・信俊に阿久比城を与え、岡崎城を奪還した松平元康の下に「於大の方」とその間に生まれた子供たちと共に向かい、上ノ郷城を巡る戦いで戦果をあげ、上ノ郷城主となっています。

 坂部城の御城印が阿久比町にて用意されています。詳しくは、Google先生に尋ねて頂くか、当サイトの下記ページをご覧ください。

境内入口

山門前は非常に広い駐車場が用意されています。
知多新四国霊場の札所になっている寺院は駐車場が整備されていて参拝しやすいですね。

山門

四柱門の山門になります。
非常に重厚な造りの山門ですね。

境内入口の造りが山門を中心に袖壁が伸びています。
まさに寺院の表玄関といった表現がぴったりな感じがします。

札所板

正面石段脇に据えられている石碑になります。
後から紹介しますが、この洞雲院は、久松氏の菩提寺となっています。そして、久松俊勝に嫁いだ於大の方の墓所もここに安置されています。

手水舎・水盤

造り的には二本柱タイプと言ってもいい造りな手水舎になります。支柱を設けることによって、二本柱タイプの不安定さを改称した手水舎ではないでしょうか。

鐘突堂

古い梵鐘も置かれている、新しい鐘突堂になります。
パッと見る限りは耐震構造になっているのかわからないのですが、表からは見えないように耐震化がされているんでしょうね。既存の鐘突堂を耐震化させようとすると、非常に大掛かりな耐震用のダンパーが付けられたりしているので、新築の場合、すっきりしていていいですね。

本堂

 入母屋造平入の向拝と高覧のある濡れ縁が設けられた本堂になります。
 近年造営工事で建て替えられていますが、脇に車いす用のスロープを設けることで、従来の高床式の建築様式を継承しています。

 本堂には、寺号ではなく、大悲殿と書かれた扁額が掲げられています。
 尾張観音霊場の札所にも選ばれている所から、この洞雲院の本尊は"如意輪観世音菩薩"が安置されています。観音菩薩が安置されている建物を"大悲殿"と呼ぶそうです。

弘法堂

本堂脇に建てられている、弘法堂と大日堂になります。

 「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・。

懸魚・鬼瓦

鰭付きの三花懸魚になります。
神社と異なり、寺院の本堂の屋根は非常に大きく、懸魚も中々の迫力があります。

久松氏墓所

洞雲院の裏手にある墓地の一画に、久松氏葬地があります。
久松氏の本城となる坂部城を築城し、洞雲院を再興させた久松定益から息子の定義、孫の俊勝、於大の方、曾孫の松平定綱の五名の墓地が安置されています。

今回、訪れていないのですが、本堂の裏手には、坂部城最後の城主である久松信俊とその子小金丸・吉安丸の墓地があるそうです。

1587年に死去した久松俊勝ですが、居城だった上ノ郷城の近くにある"安楽寺”に埋葬されています。於大の方がこの洞雲院を菩提寺にした時に、分骨を受けてこちらにも埋葬したのかもしれませんね。

御朱印

参拝を終えて

雑誌・マンガに加えて旅行雑誌の定番"るるぶ"も月額500円(税抜)で読み放題!

やはり、旅先の情報はネット検索もいいですが、るるぶなどの旅行ガイド雑誌が一番ではないかなと思います。ネット情報はどうしてもディープになりがちで、いざ旅行に行こうと思っても、俯瞰的な情報が不足しがちな気がします。 やっぱり、"るるぶ"を見ながら、旅の予定表を作っていくのも、旅行の醍醐味ですよね。

所在地を地図で確認

寺院名 龍渓山洞雲院
所在地 知多郡阿久比町大字卯坂字英比六十七番地
最寄駅鉄道:名古屋鉄道河和線「坂部駅」徒歩7分
バス:

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。

少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。

次の目的地は?

十五番札所「龍渓山 洞雲院」を後に、十六番札所「鳳凰山平泉寺」に向かいます。

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