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龍渓山 洞雲院(阿久比町卯坂) 知多新四国 十五番札所

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寺院情報

寺院名 龍渓山 洞雲院
所在地 知多郡阿久比町大字卯坂字英比六十七番地
御本尊 如意輪観世音菩薩
宗 派 曹洞宗
創 建 天暦二年(948年)
札 所 知多四国八十八ヶ所 十五番札所
尾張観音三十三ヶ所 六番札所
愛知梅花観音 三十番札所
御朱印
H P

参拝:2018年5月16日

追記:2018年11月26日

知多新四国霊場公式ホームページのご紹介


知多四国公式サイト | 愛知県知多半島にある知多四国八十八ヶ所霊場の公式サイトです。

沿革・御由緒

寺伝によれば、平安時代、天暦二年(948年)に菅原道真公の孫である菅原雅規が開基となり、天台宗の久松寺(洞雲院の前身)を創建したと言われている。
雅規の幼名は久松麿と言い、後に英比丸、英比殿とも称された。英比殿は天性朴質、極めて聡明、仁恵に厚く善政を敷いた。没後、 いつの頃からか人々はその徳を追慕し、英比殿夫妻の木像を彫刻し、厨子に奉安して英比荘の民家1戸1日の割で廻送し、供養を怠らなかった。 世に「廻り地頭信仰」と言われた。
この民俗信仰は明治維新とともに途絶え、現在、木像と厨子は、当山霊廟に安置され、学問上達信仰として祭られている。
室町時代、明應三年(1494年)、雅規の後裔、久松定益が曹洞宗の洞雲院として再建し、七堂伽藍と四つの塔頭を整備した。 開山には加木屋普済寺在室岱存大和尚を迎えた。
天文十六年(1547年)、久松俊勝のもとに徳川家康の生母於大の方が再嫁された。阿久比城 (坂部城)に在城の十五年間に三男四女の計7人の子女を出生。俊勝の子は松平姓に改められ、後に桑名城主、 松山城主をはじめ多くの大名、 旗本として世に出した。
当山の境内墓地には、英比殿をはじめ於大の方等13基の墓がある。また、 例年3月16日には於大の方が女性の幸福招来を願って始まった観音懺法会、通称「おせんぼ」が行われる

現地案内板」より


上阿久比村大字卯坂字英比ニ在リ境内壹千五拾九坪、曹洞宗、本郡加木屋村普濟寺末タリ明應二年久松定益ノ創建ナリ久松氏ハ木村城主ニシテ代々ノ菩提寺トス其歴代ノ位牌ヲ安シ又家譜一巻ヲ蔵ス

知多郡誌」より

知多新四国霊場を行く

知多新四国霊場十四番札所「円通山 興昌寺」を後に、十五番札所である「龍渓山 洞雲院」を目指します。
名鉄明和線「坂部駅」から350mほど西に進んだ場所にあるのが今回紹介する”洞雲院”になります。

円通山 興昌寺(阿久比町福住) 知多新四国霊場 十四番札所
寺院情報 寺院名 円通山 興昌寺 所在地 知多郡阿久比町大字福住字東脇十番地 御本尊 華厳釈迦牟尼仏 宗 派 曹洞宗 創 建 文亀三年(1503年) 札 所 知...

坂部駅から県道55号線を横断して、道沿いにすすむと”洞雲院”にたどり着きます。


管理人が行く知多四国霊場巡礼の旅

知多新四国霊場を行く
知多新四国との出会い 当ブログの企画の中で、歴史紀行という企画がありまして、源義朝繋がりで愛知県知多郡美浜町にある"野間大坊"周辺に伺い、記事にもさせて頂いております。 五十三番札所である"鶴林山 安養寺"に伺った時に、その出会...

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参拝記

名鉄坂部駅からほど近い場所に鎮座している事がよくわかりますね。
今回参拝する「洞雲院」から少し南に行くと、阿久比町図書館があり、城山公園として整備されています。公園の名前を見てピンッときた方がいらっしゃると思いますが、阿久比城(坂部城)の城跡になります。

阿久比城


久松氏が居城としていた城になります。
久松俊勝の時、刈谷、緒川を治めていた水野忠政の娘「於大の方」を妻に迎えます。この「於大の方」、最初は松平広忠に嫁ぎ、後の徳川家康を生んでいます。その後、松平氏が今川氏の傘下に入ることになり、「於大の方」は離縁され、刈谷城に戻っていました。その後、久松俊勝に嫁ぎ、三人の男子を設けています。
一説には、桶狭間の戦い後、大高城から撤退する松平元康がこの阿久比城に立ち寄り「於大の方」と再会したと言われています。そして、俊勝は長子・信俊に阿久比城を与え、岡崎城を奪還した松平元康の下に「於大の方」とその間に生まれた子供たちと共に向かい、上ノ郷城を巡る戦いで戦果をあげ、上ノ郷城主となっています。

境内入口

山門前は非常に広い駐車場が用意されています。
知多新四国霊場の札所になっている寺院は駐車場が整備されていて参拝しやすいですね。

山門

四柱門の山門になります。
非常に重厚な造りの山門ですね。

境内入口の造りが山門を中心に袖壁が伸びています。
まさに寺院の表玄関といった表現がぴったりな感じがします。

札所板

正面石段脇に据えられている石碑になります。
後から紹介しますが、この洞雲院は、久松氏の菩提寺となっています。そして、久松俊勝に嫁いだ於大の方の墓所もここに安置されています。

手水舎・水盤

造り的には二本柱タイプと言ってもいい造りな手水舎になります。支柱を設けることによって、二本柱タイプの不安定さを改称した手水舎ではないでしょうか。

鐘突堂

古い梵鐘も置かれている、新しい鐘突堂になります。
パッと見る限りは耐震構造になっているのかわからないのですが、表からは見えないように耐震化がされているんでしょうね。既存の鐘突堂を耐震化させようとすると、非常に大掛かりな耐震用のダンパーが付けられたりしているので、新築の場合、すっきりしていていいですね。

本堂

入母屋造平入の向拝の設けられた本堂になります。
近年造営工事で建て替えられていますが、脇に車いす用のスロープを設けることで、従来の高床式の建築様式を継承しています。

本堂には、寺号ではなく、大悲殿と書かれた扁額が掲げられています。
尾張観音霊場の札所にも選ばれている所から、この洞雲院の本尊は”如意輪観世音菩薩”が安置されています。観音菩薩が安置されている建物を”大悲殿”と呼ぶそうです。

弘法堂

本堂脇に建てられている、弘法堂と大日堂になります。

知多新四国霊場を巡礼されている方が多く、自分が参拝している時も、弘法堂で納経されている方を何名かお見掛けいたしました。

懸魚・鬼瓦

鰭付きの三花懸魚になります。
神社と異なり、寺院の本堂の屋根は非常に大きく、懸魚も中々の迫力があります。

久松氏墓所

洞雲院の裏手にある墓地の一画に、久松氏葬地があります。
久松氏の本城となる坂部城を築城し、洞雲院を再興させた久松定益から息子の定義、孫の俊勝、於大の方、曾孫の松平定綱の五名の墓地が安置されています。

今回、訪れていないのですが、本堂の裏手には、坂部城最後の城主である久松信俊とその子小金丸・吉安丸の墓地があるそうです。

1587年に死去した久松俊勝ですが、居城だった上ノ郷城の近くにある”安楽寺”に埋葬されています。於大の方がこの洞雲院を菩提寺にした時に、分骨を受けてこちらにも埋葬したのかもしれませんね。

楠林山 安楽寺(蒲郡市清田町) 久松俊勝菩提寺
寺院情報 寺院名:楠林山 安楽寺 鎮座地:蒲郡市清田町門前四番地 本 尊:阿弥陀如来 宗 派:浄土宗西山深草派 創 建:応永十五年(1408年) 札 所:三河七福神巡り 大黒天札所 H P:- 御朱印:〇 沿革・御由緒...

納経帳

次の目的地は?

十五番札所「龍渓山 洞雲院」を後に、十六番札所「鳳凰山 平泉寺」に向かいます。

鳳凰山 平泉寺(阿久比町椋岡) 知多新四国霊場 十六番札所
寺院情報 寺院名 鳳凰山 平泉寺 所在地 愛知県阿久比町大字椋岡字唐松二十九番地 御本尊 不動明王 宗 派 天台宗 創 建 天長七年(830年) 札 所 知多四...

投稿者プロフィール

成瀬晃ドクターレザーおかざき 店主
愛知県岡崎市で「かばん・くつ✚革の病院ドクターレザーおかざき」を営んでいる成瀬と申します。
史跡、神社などを巡った事をなどをつぶやきつつ、お店のブログではつぶやけないような事も書いていこうかと思っています。

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