城郭詳細
城 名:形原城
鎮座地:蒲郡市形原町東古城
築城年:長享年間(1487~89年)
築城主:松平与副
城形式:丘城
遺 構:曲輪跡
規 模:
訪問日:2018年7月9日
沿革・詳細
伝説とされているのが、平安時代後期に源師光によって築城されたとされています。ここに出てくる源師光を平安後期の武士であり、新羅三郎義光の孫に当たります。経緯は不明ですが、源師光は形原を中心とする荘園の下司なりこの地に赴任します。そして統治する居館を築いたのですが、それが形原城の前身だと言われていますが、真偽のほどは不明です。
時代は下り室町時代の長享年(1487~1489年)に松平宗家三代目"松平信光"の四男である松平佐渡守与副が形原城を築城し、以降関東移封時期を除き1619年に摂津、高槻藩に移封されるまで与副を始祖とする形原松平氏の本拠城として使用されていましたが、移封後廃城となりました。
訪問記
形原城周辺は宅地開発が行われていたり、海岸沿いは埋め立て工事が行われており、当時を偲ばせる遺構は、今回紹介する一部の曲輪跡のみとなっています。現在曲輪跡には、稲荷社が鎮座しています。
元々、古城稲荷社の社号標が建っていたはずなのですが、法面の工事の為にご覧の通り現在社号標は取り外されています。
現地に掲げられた案内板になります。
さらに一段高くなった曲輪跡には稲荷社の社殿が鎮座しています。
この社殿が建っている曲輪跡が主郭跡なんでしょうかね。
城跡と神社・寺院がセットになっている所は、案外多いんだなと感じますね。
三河湾を望みます。眼下に広がるのは形原漁港になります。
「諸国古城之図」にも形原城が載っていたので紹介させて頂きます。図を見ると、主郭があった丘部分まで海が迫っていたのがわかりますね。海に飛び出した感じの城郭だったことが読み取れます。
北方面を望みます。奥に見える山の向こう側は深溝になるでしょうか。
松平信光による松平氏拡張政策により竹谷松平氏、五井松平氏、大草松平氏、形原松平氏と吉良氏の衰退と今川氏の三河進出の間を縫うように松平氏が現在の蒲郡市に勢力を拡大しています。
形原城からは三河海岸大師三番札所"利生院"を見ることができます。
城跡の一画に「お妙塚」が鎮座しています。
形原松平氏六代"家信(幼名:又七郎)"は英明だったが短期でわがままで家臣に嫌われており、それに心痛していたのが乳母の"お妙"でした。
1581年北条の間者に又七郎が暗殺されそうになった時、お妙が身をもって又七郎を助けたとされ、お妙の亡骸は形原城内ゆかりの場所に手厚く葬られたと言われます。