先日紹介した、西尾市下永良地区の常夜燈と同じ場所にある"松平好景討死の地"の碑なんですが、あれとは別の場所に石碑が建っており、こちらが討ち死にの場所と推定されている場所のようですね。
よくよく見ると、常夜燈の所に建っている碑には"入口"と書かれていて、今回紹介する碑への道標の様です。この地は、下永良陣屋が建っていたそうで、その陣屋跡にもなっています。
石碑の隣にステンレス製の碑があるのがわかると思います。2018年6月現在ではこの日に書かれていた文字がすべて消えてしまい何が書かれていたのか読むことができないのですが、聞くところによると、このステンレス板には"下永良陣屋跡"と書かれていたそうです。
旗本の諏訪氏が下永良を中心として5,000石の領地管理として陣屋を構えていたということで、現在では民家が建っていますが、跡地には石垣が残っているんだとか。
ストリートビューで現地を確認しています。
中央に見える石垣が下永良陣屋の遺構だと言われています。
この石垣に接着するように設けられているのが、今回紹介する石碑になります。
この石碑には、松平好景が善明堤の戦いで深溝城から出陣し、吉良氏軍勢を追討しながら兵を進めたが吉良軍の奇襲にあいこの地まで逃げてきたが最後は打ち取られたというった内容が彫られています。
なかなかの長文で読むのは大変ですよ。