城跡巡り

九之坪城址(愛知県北名古屋市九之坪)

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

ONE POINT

桶狭間の戦いで軍功一等とされたという「簗田政綱」の居城であると伝えらえる北名古屋市にある九之坪城の紹介です。現在九之坪城の遺構は全く残っていませんが、周囲には簗田政綱ゆかりの神社仏閣があるなど簗田氏の拠点だった場所になります。

城郭紹介

城郭情報

城郭名九之坪城
所在地愛知県北名古屋市九之坪西屋敷七十番地
築城主簗田政綱か?
築城年不詳
城形状平磁路
規 模不明
廃城年不明
遺 構

文化財

国 宝
国指定
県指定
市指定
町指定
村指定

見学情報

御城印
駐車場
訪問日2022年3月9日

御城印の保管に

 御朱印ブームの柳の下のどじょうではないですが、ある時まさに彗星の如く登場した感のある「御城印」。各神社や寺院で押印してきた御朱印と異なり、各地方自治体が観光PRも兼ねて発行している事もあり、御城印を用意する城址の数がまさに「うなぎ上り」の如く増加しています。
 御朱印帳に記入していただく御朱印と異なり、御城印は基本書置きの物になり、またそのサイズも統一されているわけではないようです。そんな御城印を管理される場合、ポケット型の御城印帳が非常に役に立ちます。御城印を集められる方は是非用意してほしい一冊です。

 

沿革

 永禄三年(1560年)の桶狭間の戦いにおいて軍功第一等とされた「簗田政綱」が居していた城と伝えられる。
 元々、簗田氏は尾張国守護斯波氏の家臣であったが、時期は不明ながら尾張国内で急速に勢力を伸ばし始めた「織田信長」に臣従する事になったようで、その後、清州城の東にあたる九之坪周辺を与えられその居城として九之坪城を築城したと考えられている様です。

織田家と斯波家

 斯波氏は応仁の乱以降、各地に持っていた守護職を失い、尾張国のみを残すだけとなっていました。斯波義統の頃になるとさらに勢力を衰退させてしまい、遂には尾張国守護代である織田大和守家の傀儡となってしまいます。そんな中、家臣筋である「織田弾正忠家」の織田信長が急速に勢力を伸ばしていく中、織田大和守家の「織田信友」は斯波義統を殺害するという主殺しを行い、天文二十四年(1555m年)に信長により討ち取られます。

 斯波義統の子「義銀」は織田信長を頼りに逃亡し、信長の庇護により尾張守護を継ぐが、その後信長追放を企てた為、逆に信長より国外追放となり、守護大名としての斯波氏は滅亡します。

 こうした織田家と斯波家の関係の中で簗田政綱を始めとする斯波家臣は織田信長に臣従していく事になったのだと思われます。

 桶狭間の戦いの褒章として沓掛城と三千貫文の領地を与えられた簗田政綱ですが、沓掛城に殆ど入城していなかったという説もあり、基本的元の所領である九之坪に居を構えていた様です。しかし、いつ九之坪城が廃城となったのかは不明となっています。

主な清州城主

  • 簗田政綱

 政綱の子で別喜右近とも呼ばれた「簗田広正」も九之坪城主だったとも言われています。ただ、政綱の名が「広正」だったとも、実は同一人物だったとも色々な説があり、その人物像は正直謎となっています。政綱と広正が親子であれば、織田信長が健在の時に代替わりして九之坪城も広正が継いでいるはずだと思います。

簗田政綱ゆかりの地巡り

 令和4年(2022年)3月9日(水)、豊明市と北名古屋市に点在している桶狭間の戦いで軍功一位とされた「簗田政綱」の所縁の地を巡る遠征に出かけました。桶狭間の戦い以降はしっかりとした史料が残っていなかったりしてある意味「謎の武将」の感がある簗田政綱の数少ない?足跡を辿っていきたいと思います。

北名古屋市

2022/4/23

高畑神明社(愛知県北名古屋市九之坪)

 北名古屋市九之坪地区に鎮座している「高畑神明社」の紹介です。元和三年(1617年)に勧請されたと伝えらえる神社なのですが、どういった経緯で勧請されたのかは不明となっています。

北名古屋市

2022/4/22

月峰山松元院(愛知県北名古屋市九之坪)

 北名古屋市九之坪にある曹洞宗の寺院である「月峰山松元院」の紹介です。戦国時代の連歌師「紹巴」がこの寺院にて宿泊したと富士見道記に記しています。

北名古屋市

2022/4/22

花厳山観昌寺(愛知県北名古屋市九之坪)

愛知県北名古屋市九之坪の曹洞宗の寺院である「花厳山観昌寺」の紹介です。開山が平田寺四世中山元甫であるなど平田寺との関係が強かった寺院であり、平田寺末寺になっていました。現在では大相撲七月場所(名古屋場所)の際に式秀部屋が宿舎としています。

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2022/4/21

補陀山瑞雲寺(愛知県北名古屋市九之坪)

北名古屋市九之坪に建つ曹洞宗の補陀山瑞雲寺の紹介です。以前は平田寺の末寺だったとか。この瑞雲寺に九之坪城主であり桶狭間の戦いで軍功をあげた簗田出羽守の位牌が安置されています。

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2022/4/19

大雲山平田寺(愛知県北名古屋市九之坪)

北名古屋市九之坪にある曹洞宗の大雲山平田寺の紹介です。平田城主だった平田氏により創建された寺院であることから寺号も平田寺にしたとか。雨乞いの龍神で知られており、さらに豊臣秀吉の位牌がある事でも知られています。

訪問記

北名古屋市高齢者活動センターと北名古屋市健康ドームが建つ辺りに九之坪城があったと伝えられています。歴史の流れの中この辺りは農地開発された後、農地が埋められ徐々に都市化されつつある場所となっており、その遺構は全く残っていません。

 その為、九之坪城を示す碑が建てられていますが、駐車場がないので車を停める際は交通の邪魔にならない場所に駐車する必要があります。

 現在、九之坪城跡を示すものは、現地に据えられいる「九之坪城址」と刻まれた石碑とその隣の由緒板のみになります。
 この石碑が置かれている場所は、北名古屋市の施設である高齢者活動センターの駐車場一角になります。

この高齢者活動センターの隣には・・・

 戦国時代には簗田氏の拠点だった九之坪城周辺は、現在では北名古屋市の健康保険施設の拠点となっている様です。

地図で所在地を確認

城郭名九之坪城
所在地愛知県北名古屋市九之坪西城屋敷七十番地
最寄駅電車:
バス:北名古屋市コミュニティーバス「健康センターバス停」徒歩1分

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