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上野山 利生院(蒲郡市形原町東上野) 三河海岸大師三番、三河新四国五十七、五十八番札所

2018年7月9日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

寺院情報

寺院名 上野山 利生院
所在地 愛知県蒲郡市形原町東上野七番地
御本尊 阿弥陀如来
宗 派 浄土宗西山深草派
創 建 天正十七年(1589年)
札 所 三河海岸大師 三番札所
三河新四国 五十七、五十八番札所
三河観音三十三ヶ所 十六番札所
三河西国三十三ヶ所 十二番札所
御朱印
H P

参拝日:2018年6月13日
再訪:2019年5月22日

三河新四国霊場札所一覧

沿革・由緒

この寺の本堂の傍らの御堂にある聖観音菩薩は行基上人の作と言われています。
天正十七年、形原城主"松平家信"、徳川家康の関東移封に伴い、上総五井にお国替えとなります。その際、形原城中守護の観音像を天正十七年に現在の地に一宇を建立し安置させ、智厳法印の開基により開山しました。

ここに出てくる「松平家信」は形原松平氏の六代目当主となる人物になります。

形原松平氏とは?


十八松平と呼ばれる松平家から分家した松平一族になります。松平宗家三代目「松平信光」の四男「松平与副」が形原を領した事から、「形原松平家」と呼ばれています。その後、徳川家康の関東移封の際、上総国五井を領する。ここ五井は形原の地形によく似ていた事もあり、当時徳川水軍の一翼を担っていたと言われています。その後転封を繰り返し、最後は丹波亀山藩で明治維新を迎えています。

利生院からほど近い場所に、形原松平氏の初代「与副」から五代目「家忠」までの菩提寺となる「法林山光忠寺」があります。※光忠寺は(旧)三河新四国4番札所になっています。

形原松平家の居城だった「形原城址」の訪問記も併せて読んでみてください。

三河新四国霊場を行く

三河海岸大師2番三河新四国55,56番札所の「行基山實相院」から名古屋鉄道蒲郡線の踏切を渡り、蒲郡南保育園の前を通過して住宅地の中を進んでいくと三河海岸大師3番三河新四国57,58番札所の「上野山利生院」が見えてきます。

正直、非常にわかりにくい場所にあります。さらに只でさえわかりにくい所に加えて高低差もあり、車で参拝される方は、特に注意が必要です。

駐車場は用意されているので、安心して参拝することができます。

参拝記

県道321号線沿いには利生院の札所案内看板が建てられています。が!ここの看板通りに右折して路地を入っていくと確かに利生院の参道入口が目の前に見えてくるのですが、そこから利生院までは石段の参道が続いています。それでいて周囲には参拝者用の駐車場が見当たらないのです・・・。ここから利生院までは地図を用意して向かう事になるかと思います。

参道入口

石灯籠が参道の両脇に建っている参道入口になります。
現在建っている場所は、海岸線から非常に近い場所になるのですが、海沿いから真っ直ぐ利生院の境内に向かって石段の参道が伸びていて、一段高い丘部分になる場所に利生院があります。

寺号標

「三河西国十二番、三河海岸大師三番霊場上野山利生院」と彫られた寺号標になります。
2019年現在は弘法大師霊場を中心に回っているので観音霊場の札所については基本素通りさせて頂いておりますが、いずれ三河観音霊場三河西国観音霊場を巡る時には再び訪れる事になりますね。

境内全景

参道の石段を登ってくと、境内が見えてきます。
境内全体に芝生が植えられているのですが、よく見ると石柱門の山門の外側にも芝生が植えられていますね。
よく見ると、山門手前には石段があったのですが、スロープ化されています。これは他では中々みないですが、バリアフリーとなっていて素晴らしいと思います。

道標 形ノ原道

利生院の山門脇には道標が置かれています。
東海道の国府、赤坂附近から分岐して蒲郡(西郡)を抜け深溝方面から山中を抜け平坂方面に抜けていく「平坂街道」に対し、竹谷から分岐し海沿いを通って幡豆方面に抜けていく街道になります。

この道標自体は移動してここに据えられているようで、元々は最初に紹介した参道入口の近くにあったようです。参道前を横切る様に走っている旧道が形ノ原道になるようです。(現在では一方通行になっています。)

手水舎

瓦葺木造四本柱タイプの手水舎です。見てわかる通り非常にコンパクトに作られているのですが、小口が白く塗られているせいか、装飾が一際協調されています。なかなか印象的な手水舎です。

本堂

切妻造瓦葺平入の向拝の設けられた本堂になります。浄土宗の本堂でよく見かける通り濡れ縁が設けられています。
向拝の屋根部分に飛び狛犬が一対いますね。

こちらの本堂が三河新四国霊場五十七番札所になっています。

納経しようと本堂の扉を開けさせて頂くと・・・、なぜか潮音寺と書かれた扁額が掲げられています。これは一体?

また、その前には、知多四国霊場の弘法堂でたまに見かけた大きな数珠の様になっている装置?がぶら下げられていました。片方を持って引っ張ると木の玉が回ってパチンパチンと音がするのですが、一周回すのが正しいのか、ちょっと回せばいいのかいまいち不明なんですよね・・・。

本尊の向かって左側に奉安されている弘法大師像になります。

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・

観音堂

本堂の向かって左側、石柱門の山門からは真正面当たる場所にあるのが、三河新四国五十八番札所にもなっている観音堂になります。こちらの観音堂本尊は聖観世音菩薩となり、三河西国観音、三河観音、穂の国観音という観音霊場の札所になっています。

最初に参拝に音連れた時には先客がいまして・・・

のそりのそり・・・

ぐーぐーぐー。

いいお昼寝スポットの様です。
折角にゃんこが寝ているのに邪魔をしてはいけないので、少し離れた場所で納経させて頂きます。

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・


2019.06.11追記

再訪した際に、観音堂をじっくりと拝見させて頂きました。掲げられていた絵馬がとても印象的です。

役行者像

コンクリート造りの祠に安置されている役行者像になります。
なにやら、役行者像の前に赤鬼、赤鬼の像が置かれている所が多いそうですが・・・。

庚申堂

石製の庚申塚が収められている庚申堂になります。

参拝を終えて

利生院の目前には三河湾が広がっています。すばらしいロケーションですねえ。海の向うに見える稜線は三谷の方面になります。この先に既に当サイトで紹介させて頂いている「弘法山金剛寺・子安大師像」があるんですね。

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やはり、旅先の情報はネット検索もいいですが、るるぶなどの旅行ガイド雑誌が一番ではないかなと思います。ネット情報はどうしてもディープになりがちで、いざ旅行に行こうと思っても、俯瞰的な情報が不足しがちな気がします。
やっぱり、"るるぶ"を見ながら、旅の予定表を作っていくのも、旅行の醍醐味ですよね。

所在地を地図で確認

寺院名 上野山 利生院
所在地 愛知県蒲郡市形原町東上野七番地
最寄駅 名古屋鉄道 蒲郡線 「形原駅」徒歩11分

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。

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少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。

次の目的地は?

三河海岸大師霊場を遍路される方は4番札所「西浦山無量寺」を目指します。

三河新四国霊場を遍路される方は61,62番札所「神田山覚性院」を目指します。

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