2019年2月、サイト名を「神社のある生活って」から「あいちを巡る生活って」に変更致しました。

犬神伝説(愛知県岡崎市)

スポンサーリンク

犬神伝説(愛知県岡崎市)
伝承神社
糟目犬頭神社
犬尾神社


「貞和2年(1346)、上和田城主宇都宮泰藤が、糟目犬頭神社の近くで鷹狩をし、境内の大杉の下で休憩をしていた。ところが、大杉の上には大蛇がおり、泰藤を襲おうとした。
泰藤がつれていた白い犬が、これに気づき、吠えて主人に知らせようとしたが、泰藤は寝ていて、気づかず。犬は、三度吠え続けたが、目覚めた泰藤は、犬の吠えることを怒り、犬の首をはねてしまう。
はねられた犬の首は飛び上がり、大蛇の喉に噛み付き、大蛇を殺し、主人を救う。大蛇に気づいた泰藤は、この犬に感謝し、犬の頭を手厚く葬り、糟目犬頭神社に祀ったという。また、犬の尾は犬尾霊神として、下和田の新宮(犬尾神社)に祀ったという。」


ここで出てくる宇都宮泰藤なる人物がキーパーソンになる訳ですが、この宇都宮泰藤、南朝方の忠臣として新田義貞に使え越前国にいたそうです。延元三年(1338年)新田義貞が越前国にて足利尊氏側との闘い(藤島の戦い)で破れ自害。宇都宮泰藤も越前国を逃れ三河国に逃れたそうです。
逃れた先が、三河国上和田村周辺・・・そう、糟目犬頭神社があった辺りです。

f9821720新田義貞像

ただ、この辺りがよくわからない部分なんですが、三河国、特に岡崎周辺は足利尊氏の勢力圏内だったはずなんです。事実、観応元年(1350年)糟目犬頭神社に永百貫文目を寄進しています。その他にも尊氏に繋がる物があちこちに点在しています。そんな北朝方の首領の勢力圏に南朝の人間が逃げ込み、更に城主までになれるものなのでしょうかね。

三河国に逃げ落ちた宇都宮氏は、その後宇津氏と名乗り、さらに大久保に改称したそう。大久保氏と言えば、徳川家康の時代の重臣として有名ですね。この辺りの真偽も不明だったりするのですが、家系図をいじって新田氏の子孫としたと言われる徳川家康に通じる物を感じてしまいます。


新田義貞に使えていた宇都宮泰藤、何とか三河国に移住は出来たが、気がかりなのは、主君義貞の首。一説では京都にてさらし首にされていたとか。そこで、泰藤は京より義貞の首を奪い返し、三河国まで持ち逃げてきたそうです。そして、糟目犬頭神社に祠を創り祀ったとされています。
それが、
kentou9
現在の境内社「大和田島弁財天社」
犬神伝説では犬の頭が祀られていると伝えられている場所です。


新田義貞の首を埋めたとされる1338年、
宇都宮泰藤が犬よって助かったとされるのが1346年
8年の差は誤差の範囲なのか・・・
足利氏も1338年に征夷大将軍になり、室町幕府を起こしてはいますが、非常に体制がもろく、南北朝の動乱もあり、足利義光が南北朝を統一するまでは、国中が敵味方に分かれていた様なものでした。もしかしたら、北朝方が義貞の首を利用しようとする動きがあったのかもわかりませんね。そこで、犬神伝説を流布し、義貞の存在を消そうとした可能性はあります。

まぁ、新田義貞や楠正成など南朝側の武将が破れた側の割に有名なのは、明治政府の政策による所が大きいと思うので、新田義貞の首塚の話の真偽は・・・。

実際、新田義貞の首塚と自称?している所は全国数か所に点在しています。岡崎の首塚説は少し弱い感じがしますね。

投稿者プロフィール

成瀬晃ドクターレザーおかざき 店主
愛知県岡崎市で「かばん・くつ✚革の病院ドクターレザーおかざき」を営んでいる成瀬と申します。
史跡、神社などを巡った事をなどをつぶやきつつ、お店のブログではつぶやけないような事も書いていこうかと思っています。

コメント