寺院情報
寺院名 | 万年山総心寺 |
所在地 | 愛知県常滑市字社辺六十四番地 |
御本尊 | 釈迦如来 |
宗 派 | 曹洞宗 |
創 建 | 元和元年(1615年) |
札 所 | 常滑郷大師2番 |
御朱印 | ー |
H P | ー |
参拝日:2019年10月9日
沿革・由緒
常滑村字社辺に在り。境内三千八百九十二坪、曹洞宗、濃州方縣郡洞村圓成寺末。元和元年向陽院総心尼の開基創建にして天外和尚(水野監物の子にして、総心尼は母となり。)の開山する所なり。向陽院及其妹栄壽院の墓この寺にあり。江戸時代寺領十一石有す。
明治26年発刊「愛知県知多郡誌」より
開基の総心尼について
三代目常滑城主"水野監物守次"の妻でした。守次は本能寺の変後、明智光秀に与した為に常滑城を後に京都に潜んでいたと言われていますが、総心尼はそのまま常滑城下に住んでいたと言われています。
この総心尼は緒川城主である"水野信元"の娘であると言われ、徳川家康の母親である「於大の方」の姪にあたります。家康から見たら従兄弟にあたり、家康から二十人扶持を貰って生活していた様です。
息子である新七が小牧・長久手の戦いで戦死し、また夫である監物守次が慶長三年(1598年)に京都嵯峨で亡くなると、剃髪し仏門に帰依しています。剃髪後は熱田に居を移したとも言われています。
総心尼は生前から夫と息子を弔う寺院を建立する事を希望した様で、元和元年(1615年)に尾張徳川家の徳川義直によって叶えられ、総心尼が住んでいた場所に総心寺が創建されました。
その後地震で倒壊した為、宝永五年(1708年)に現在の地に移されています。
総心尼は、自らの甥になる"水野新七郎保雅"を養子とし、常滑水野氏はその後も明治維新まで続いたそうです。
知多四国霊場を行く~寄り道遍~
常滑城、天沢院と常滑水野家所縁の場所を巡ってきましたが、現地で他に何か関連する場所はないかなと調べていたら、三代目水野守次の妻である総心尼が開基となった「総心寺」が近くにある事を知り、参拝していく事にしました。
・現地では分からなかったのですが、常滑郷大師という弘法大師霊場の札所だったようです。
参拝記
県道34号と国道247号線が交わる「奥条7丁目交差点」から150mほど県道34号線を東に行った所にあるT字路を北に入っていくと総心寺の山門が見えてきます。
山門
山号と寺号が彫られた石柱門になります。
まだここからでは本堂などの伽藍が見えませんね。
山門脇には「三十三所観世音菩薩」と彫られた石碑が建っています。
観音霊場の札所案内というより、総心寺に三十三観音堂があるという石碑のようですが。
総門
アスファルト敷きの参道が設けられた為なのか、現在では山門(総門)としては使われていない様子の薬医門になります。
山門脇には"酒飲みは入るべからず"の不許の石柱が建っているので、以前は表門だったことがわかります。
手水舎
木造瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。
残念ながらこちらも物置の様になっています・・・。
本堂
寄棟造瓦葺平入の向拝が設けられている本堂になります。
総心尼と常滑水野氏の墓
石柱門を抜けて参道を進むと右手に総心寺の墓地が見えてきます。
その墓地の一角に、開基である総心尼とその子孫である常滑水野氏の歴代当主の墓があります。
中央最後部の五輪塔の墓石が総心尼の墓石だそうです。
この総心尼の墓石は延享四年(1747年)に再建されたそうです。
参拝を終えて
常滑水野氏は、その後尾張徳川藩に属し、明治維新までその名を残したといいます。織田家と徳川家もしくは今川家という大名家のはざまに在りながら巧みな外交手腕でその血脈を現代までつなげている水野家。知多半島北部にはその水野家所縁の場所が多数存在しています。また、水野家が周囲を大名家に囲まれながらどのように知多半島を統一したのかも今後調べていきたいと思っています。
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所在地を地図で確認
寺院名 | 万年山総心寺 |
所在地 | 愛知県常滑市字社辺六十四番地 |
最寄駅 | 知多バス 常滑半田線「長峰バス停」徒歩3分 |
寺院・霊場巡りの際のバイブルに
元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。 https://amzn.to/2UHeO79 少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。
知多半島を行く~寄り道遍~
常滑城を探している時に偶然その山門を見つけた「正住院」を参拝していきます。こちら正住院は「西方四十八願所」という霊場の開創に深く関わっている寺院のようです。