名古屋市中区

清涼山栄国寺(名古屋市中区橘一丁目)切支丹遺蹟博物館

2023年1月21日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

ONE POINT

江戸時代、キリシタンが処刑された千本松原という刑場後に尾張藩主「徳川光友」の命により建立された寺院になります。切支丹所縁の場所という事から現在では切支丹遺蹟博物館が設けられています。

寺院紹介

寺院概要

寺院名清涼山栄国寺
所在地愛知県名古屋市中区橘一丁目二十一番地三十八(Googlemap
創 建寛文5年(1665年)
宗 派西山浄土宗
御本尊阿弥陀如来

霊 場

霊 場府下観音 二十二番札所
阿弥陀霊場 三十六番札所
前札所霊 場次札所
二十一番:観福寺府下観音二十三番:洞仙寺
三十五番:梅香院阿弥陀霊場三十七番:法然寺

文化財

国 宝
国指定
県指定阿弥陀如来坐像
市指定
町指定
村指定
刺繍涅槃図

参拝情報

御朱印
URLhttps://eikokuji.jp/
駐車場
参拝日2022年4月13日

御由緒

 栄国寺が建つ場所はもともと「千本松原」と呼ばれる処刑場であり、切支丹宗徒二百余名を処刑した場所になるそうです。
 寛文四年(1665年)、尾張藩第二代「徳川光友」は刑場を土器野に移し、刑場跡には光友の命により建立された一宇が後に清涼山栄国寺になります。

  • 寛文五年(1666年):西光院第九世任空可信を開山として清涼庵と称す。
  • 貞享二年(1685年):任空可信出寺した為廃寺となる。
  • 貞享三年(1686年):貞準和尚を招き、藤田寺と改称し開山する。
  • 貞享三年(1686年):瑞雲山栄国寺と改称
  • 正徳五年(1715年):清涼山に山号を変更

尾張藩のキリスト弾圧

 尾張国は織田信長、織田信忠、織田信雄、織田秀信などの織田一族や関ヶ原の合戦後清州城に入城した松平忠吉によるキリスタンの庇護もあり国内にはかなりのキリスタンが生まれたと伝えられれています。

 慶長十七年(1612年)、十八年(1613年)にキリスト教を禁ずる命を出した事により全国的にキリスト教は禁止される事になるが、尾張藩は比較的にキリスタンに寛容であり秘密裡にキリスト教の布教が行われていたとも。

 寛容とする尾張藩でもキリシタンの摘発が全く行われていなかった訳ではなく、寛永八年(1631年)、57名のキリシタンが検挙、内4名が火刑、53名が入牢となり、内44名は江戸送りとなった。以降、幕府より尾張藩名指しでキリシタン摘発を行う様に命じたとされ、摘発されたキリシタンは江戸送りとなっていた様です。

 寛文元年(1661年)、旗本の林権左衛門の領地にてキリシタンが露見した事を契機に大規模なキリスタン摘発が行われます。まず、林権左衛門の領地であった美濃国可児郡の塩村・帷子村において24名が摘発。さらに芋ずる式に潜伏先が次々と摘発され最終的には七十九ヶ所の村から摘発されたといい、寛文四年十二月に幕府からの命により207人が斬罪として千本松原にて処刑された。
 関門七年(1667年)、幕府より更なるキリシタンについて詰問を受けた尾張藩はさらなるキリシタン摘発を行い700名以上が摘発され、十二月十四日に756人が斬首と磔刑に処され、江戸屋敷には400人以上が牢に残っていると報告している。さらにこの間に牢内に溢れている2,000人以上が足軽以上の藩士に試し物として渡されたという。

 上記以外にも継続してキリシタン摘発が行われた為、尾張藩の藩領からキリシタンは根絶されたとも言われています。この過激を極めたキリシタン摘発を”濃尾崩れ”とも称します。

英国寺は清涼山と号す。中区東橘町の東側にあり。境内は九百九十四坪三合四勺(徳川時代に四千三百四十七坪三分あり、除地なり)あり。准檀林地六等にして栗生光明寺の末寺なり。此地もと千本松原と称する刑場にして、曾て切支丹宗徒二百余人を誅せし所なり。(名古屋城)築城の跡、藩主光友刑場を土器野に移し、其跡に一宇を建立し、寛文五年三月、清涼庵と号し、任空可信(白川町西光院第九世)を以って開山とす。可信千日念仏を修す。貞享二年故ありて可信出寺し、三年廃寺の号を移して藤田寺と号し、更に貞準を勧請して開山となす。同年秋、瑞雲山栄国寺と改め、正徳五年五月、清涼山と改む。天保八年八月十四日、大風にて本堂・表門等倒壊し、嘉永四年十三世啓空素蓮表門を再建、六年正月二十三日、本堂を再建を経始し、安政三年八月落成して入佛供養を修す。本尊は木造丈六阿弥陀如来坐像。

名古屋市史 社寺編より

御朱印帳の保管に

 数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。

 ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?

愛知県下新十名所を巡る

 2022年のメインの企画「愛知県下新十名所」ですが、今回から第六弾の遠征となる今回は名古屋城近くにある「京町薬祖神」を目指してバイクを走らせていきます。

 「真宗大谷派名古屋別院/紹介記事」の境内の北西側に鎮座している「清涼山栄国寺」に向かいます。こちら英国寺は江戸時代に切支丹を処刑した千本松原という刑場に建てられた寺院という事で、境内に切支丹関連の博物館が設けられています。。

 愛知県下新十名所と名古屋新十名所巡り
ー京町薬祖神・闇之森・榎ノ権現・久屋金刀比羅社ー

参拝記

 「真宗大谷派名古屋別院/紹介記事」の北西側に位置する場所に今回紹介する「清涼山栄国寺」の境内があります。名古屋別院の境内にある「お東幼稚園」と栄国寺の境内にある「松原幼稚園」と寺院系の幼稚園が立ち並んでいる・・そんな場所になります。
 駐車場は山門前に用意されているので、幼稚園の送り迎えの時間をさければ問題なく駐車できるのではないかと思います、

山門

 栄国寺の山門(境内入口)は二ヶ所あって、南側の境内入口には袖壁が設けられた高麗門による山門になります。太平洋戦争による名古屋空襲の時、この辺りにも大量の焼夷弾による空襲があったそうですが、栄国寺周辺に落下した焼夷弾は不発弾となり、まさに奇跡的に空襲からの被害を最小限で済んだとか。

 名古屋別院の紹介記事の中で使った画像なんですが、黄色の線で大きく囲んだ場所が永国寺南東側に鎮座する名古屋別院の境内であり、この境内から北側一体の建物が残っている場所の中に栄国寺があります。

 もう一ヶ所、境内西側に設けられている境内入口には2017年に建て替えられた非常に真新しい高麗門の山門が設けられています。そういえば、平成や令和になって建て直された高麗門の様式による山門ってここが自分的には初見だった様な気がします。まあ・・・そもそも高麗門の山門って少数派ですからね。

本堂

 入母屋造瓦葺妻入りの本堂になります。尾張徳川藩の庇護を受けていた影響なのか、色々装飾が施されており非常に印象的な外観となっています。また境内には以前の鬼瓦が置かれているのですが、明治維新の際、打ちこわしなどを避ける為に三つ葉葵の家紋を削り落とされています。

三つ葉葵が削り落とされている鬼瓦

釈迦仏足石

 天保八年に啓空素運が刻んだとする仏足石になります。この仏足石が据えられている建物には「名古屋市文化財指定」と書かれた看板が掲げられているのです。

切支丹関連

 ここ栄国寺には「切支丹遺蹟博物館」が設けられています。建立の由緒もあり、切支丹の遺跡を収集された板からの寄贈を受けて栄国寺内に博物館を作ったんだとか。

 栄国寺の境内に「切支丹塚」の案内看板が設置されています。この看板に従って先に進むと

 石碑や石仏などが安置されている場所にたどり着きます。この石碑の奥側に

 なぜか虎っぽい石造が置かれた塚っぽい場所があります。ここが「切支丹塚」なのかな?いまいちよく分かりませんん。

 横置きの墓碑が非常に印象的なんですが、この墓碑は明治時代の物らしいです。キリスト教が解禁以降の明治11年に2歳で亡くなった昴那(アンナ)鈴木さんの墓碑なんだとか。明治六年にリスト教が解禁されたとはいえ、わずか5年程度ではキリスト教が万人に受け入れられていなかったということなのかな。


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所在地を地図で確認

寺院名清涼山栄国寺
所在地愛知県名古屋市中区橘一丁目二十一番地三十八(Googlemap
最寄駅鉄道:名古屋市営地下鉄・名城線「東別院駅」徒歩9分
バス:名古屋市営バス・内巡回系統「橘町大木戸バス停」徒歩2分

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

 元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。

少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。

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