寺院情報
寺院名 | 摩尼山延命院 |
所在地 | 愛知県名古屋中区錦二丁目八番二〇号 |
御本尊 | 薬師如来 |
宗 派 | 真言宗豊山派 |
創 建 | 不詳 |
札 所 | 名古屋二一大師 四番札所 金城下二十一大師 九番札所 大名古屋八十八霊場 八十一番札所 |
御朱印 | 〇 |
H P | - |
参拝日:2019年12月11日
名古屋二十一大師札所一覧
由緒・沿革
「摩尼山延命院」も慶長遷府(清州越し)によって清州城下から名古屋城下の現在の地に移された寺院になります。清州城下に在りし時は、清州城主「福島正則」の祈願所になっていたようです。
福島正則は文禄四年(1595年)から慶長五年(1600年)までの5年間、清州城主として二十四万石の所領を豊臣秀吉から与えられています。そして、関ケ原の合戦後、安芸広島四十九万八千石の大名として転封されています。清州時代の福島正則の治世はよくわからないのですが、広島時代は、善政を敷き、領内の神社仏閣の保護も熱心に行っていたと伝えられているので、清州時代も同じような領地運営をしていたのではないかと思われます。
清州時代は北市場村美園町という所にあった様です。現在の稲沢市北市場町あたりでしょうか。ただ、開創時期、開基の和尚、などは寺伝が残っていないようで、不詳となっています。
大正四年発刊の名古屋市史によると
延命院は摩尼山と号す。西区袋町三丁目の北側に在り。境内は二百六十一坪四合二勺あり。十五等地にして、中島郡稲沢町大字長野「満徳寺」の末寺なり。初め醫王寺と号し清須の北市場村美園町に在り。(尾張名陽及び尾張国名陽圓会には「開山は良学法印といえる人。往古九州筑紫に建立す。故ありて尾張国清須北市場にうつり」といえど、良学といえるは当院第三世にもありて真偽甚だ詳ならず。)開基の名称及び年時詳ならず。福島正則の祈願所となり、文禄四年十二月五日、正則より寺屋敷三畝十四歩の年貢を免除せらる。当時は延命寺と号せしが、慶長遷府の際、住僧海譽の時、今の地に移し寺号を院号に改む。本尊は木造薬師如来立像なり。現今の堂宇には、本堂、庫裏、座敷、門等あり。末寺には金蔵院の一所あり。
現在の福岡県にあたる筑紫からどんな縁があって清須に移ってきたのか・・・。というかそんな福岡ー愛知間という長距離を移設する事なんてありえるのかしらと思っていたら、末寺となっている「金蔵院」ですが、こちらは明治になって千葉県からの移設なんだとか。残念ながらこちら「金蔵寺」は廃寺となってしまっています。
金蔵院 寺院情報
寺院名 | 光照山金蔵院 |
所在地 | 名古屋市西区南外堀町二丁目 |
御本尊 | 阿弥陀如来 |
宗 派 | 真言宗豊山派 |
創 建 | 元禄十四年(1701年) |
札 所 | 大名古屋八十八霊場 七十七番札所 金城下二十一大師 十二番札所 名古屋百観音霊場 八十九番札所 |
[由緒]金蔵院は西区南外堀町二丁目の北側にあり。境内は五十六坪六号一勺あり。二十七等地にして袋町延命院の末寺なり。もと千葉県東葛飾郡小金町大字二つ木にあり。元禄十四年六月の創建と云ふ。明治三十七年六月十五日、今の地に移り、四十年九月十九日、今の末寺に改める。本尊は阿弥陀如来像なり。現今の堂宇には本堂、庫裏等あり。
大正四年発刊「名古屋市史」より
延命院と同じように、「大名古屋八十八ヶ所」という弘法大師霊場の札所と、名古屋二十一大師の前身ともいえる「金城下二十一大師」の札所を兼ねていた寺院だったんですね。
昭和20年の名古屋空襲で伽藍すべてを焼失してしまった延命院ですが、本尊の薬師如来像は、当時の住職が空襲警報が鳴るたびに本尊をマンホールの中に隠した為、焼失することなく新しく造営された本堂にいまでも奉安されているそうです。
名古屋二十一大師霊場を行く
若宮大通沿いにある名古屋二十一大師霊場三番札所「成田山萬福寺」の納経を終えて、伏見から栄周辺の碁盤の目の様になっている名古屋の中心街といっても過言でないだろう場所に行く事になります。四番札所である「摩尼山延命院」は錦二丁目というビジネス街といってもいい場所にあります。
そうそう、延命院の前を走る道路は一方通行となっています。大通りは片側三車線とか四車線とかあり、これはこれで気を付けないといけないのですが、それ以外の碁盤の目の中を通っている道路は一方通行となっている場合が多いので、車で向かう場合は逆走に注意してくださいね。
参拝記
延命院の前を通る道路にはパーキングチケットの駐車場が所々用意されていますので、車で参拝されるかでもなんとか駐車場は確保できるのではと思います。延命院の門が空いていれば境内に駐車できるようですが、ストリートビューを見ると必ずしも常に開いているとは限らないようですのでこの辺りは運?
山門
延命院は近年境内全体を造営工事された様で、現代的な伽藍へと変貌を遂げています。山門も非常に現代的な造りになっていますね。
本堂
庫裏と寺務所に挟まれた先に、石段があり、登った先に本堂があります。
本堂の向拝部分がみえるのでお寺?と何となく創造できますが、従来の寺院のイメージとはかなり異なる感じの風景かなと思います。
本堂前から境内入口方面を望んだ写真です。
ビジネス街の寺院の新しい姿になっていくのかもしれませんね。
向拝部分が唐破風になっている本堂になります。
中央に本尊が奉安されその脇に弘法大師像が奉安されていました・
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・
参拝を終えて
由緒にも出ていますが、延命院は清州城主「福島正則」の祈願所となっていました。
福島正則といえば、豊臣秀吉の子飼いの武将の筆頭格とも言われ、柴田勝家との「賤ケ岳の戦い」において賤ケ岳七本槍に名を連ねている武将となります。その後も武勲をあげ、天正十五年には伊予国今治十一万三千国を拝領して大名となっています。
福島正則は、現在の愛知県あま市で生まれ、母親は豊臣秀頼の伯母出会った為、幼少期から豊臣秀吉に仕えていたといわれています。旧海部郡美和町(甚目寺町、七宝町と合併しあま市になる)では福島正則は英雄となっていて、正則小学校、正則橋と福島正則から名付けられた公共施設が存在しています。
福島正則が生まれた旧海部郡美和町には蜂須賀正勝、豊臣秀次、溝口秀勝などが生誕しており、是非訪れてみたい場所ですね。
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所在地を地図で確認
寺院名 | 摩尼山延命院 |
所在地 | 愛知県名古屋中区錦二丁目八番二〇号 |
最寄駅 | 名古屋市営地下鉄 「東山線」「鶴舞線」伏見駅1番出口徒歩3分 |
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