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成田山萬福院(名古屋市中区栄) 名古屋二十一大師三番札所

2020年2月9日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

寺院情報

寺院名成田山萬福院
所在地愛知県名古屋市中区栄五丁目二六番二四号
御本尊不動明王
宗 派真言宗智山派
創 建不明
札 所名古屋二十一大師 三番札所
金城下二十一大師 二十番札所
大名古屋八十八霊場 十四番札所
東海不動尊霊場 十一番札所
なごや七福神/福禄寿
御朱印
H P

参拝日:2019年12月11日

成田山萬福院公式ホームページのご案内

http://www.manpukuin.or.jp/

名古屋二十一大師霊場 札所一覧

沿革・由緒

 山号が「成田山」という所からも、千葉県成田市にある「成田山新勝寺」の末寺だということが何となく見えてきます。成田山といえば、どうしても思い浮かべるのが二月三日に行われる節分会の風景ですね。令和二年の節分会は、大河ドラマ「麒麟がくる」の出演者の方々、横綱白鳳関、市川海老蔵さんなどが参加されたようです。成田山の大阪分院では、朝ドラ「スカーレット」の出演者の方達が参加したとか。
 当然、今回参拝する「成田山萬福院」でも二月三日に節分会が行われていて、杉浦太陽さん、加藤紀子さん、BOYS AND MENの土田拓海さん、SKE48の佐藤佳穂さん、末永桜花さんが参加されている様ですね。

 神社では節分祭、寺院では節分会と名称は異なれど、まめまきなどが行われほぼ同じ内容行事が行われています。これは古来より季節を分ける日というのがとても重要視されていたからなんです。旧暦と呼ばれる太陰暦は月の満ち欠けを基準にしていた為、十二か月で約354日にしかなりません。そのため太陽の動きとずれが生じる為、ずれが大きくなると「閏月」が挿入され1年が13ヶ月になったりします。これだけずれのある暦は農業に従事している方にとってはとても使いにくい暦であるとして太陰暦を補完するようにもういられているのが「二十四節季」になります。夏至、冬至、春分、秋分など天気予報でよく聞く言葉が二十四節季になります。この中の「立春」が二十四節季では一年の始まりとする日になり、これが現在の暦(太陽暦)では二月四日になります。二月三日は大晦日の様な感じでしょうか。この日で一年が終わり新たな節にはいる分け目の日という事で「節分」という訳です。
 厄年なども本来は二十四節季を基準にしている考えのようで、令和二年の本厄の方は、令和二年二月四日から令和三年二月三日の間に誕生日を迎える方という分け方をするのが本来の考えのようですが、最近は暦と同じく一月一日から十二月三十一日という区割りになっている所がおおいですね。

 萬福院も元々は清州城下に建てられた寺院であり、慶長遷府(清州越し)で名古屋城下に移った百十カ寺の一寺になります。創建は不明ですが、重秀法印により清州の地に創建されたと伝えられいるそうです。
 その後、前述の様に清州越しで名古屋城下に移転しています。その後、どうも一度は荒廃してしまった様ですが、八世「政学」の代の延宝四年(1676年)には方丈、庫裏、山門を建立し、元禄四年(1691年)には護摩堂を建立し不動明王と四天王を奉安。さらに太神宮。天満宮を勧請し当山の鎮守としています。
 そして、大正年間に成田山新勝寺から不動明王の分身を勧請し御本尊とし、山号をそれまでの「潮音山」から「成田山」に改め成田山名古屋不動尊霊場となっているそうです。
 昭和二十年の名古屋空襲で堂宇を焼失、昭和三十年に再建したそうですが、平成十四年に現在の地に移転しています。

 清州越しで転移した場所は現在の栄三丁目のラシックが建っている場所だったようです。中々栄の中心にちかい場所にあったんですね。

大正四年発刊の名古屋市史によると、

 萬福院は潮音山と号す。中区南鍛冶屋町一丁目の東側に在り。境内は三百九十五坪七勺あり(徳川時代には六百六坪あり)。末寺格十九等にして東区長久寺の末寺なり。重秀初め清州に創建し、慶長中今の地に移す。その後、院宇荒廃せしが、延宝四年、八世中興政学の住するに及びて、新たに丈室、庫裏、門を建て、元禄四年、護摩堂を建て、十一面観世音菩薩木像、二狭侍不動明王木像、多聞天王木像を安置し、又太神宮、天満宮、弁財天を勧請して、院の鎮守となす。二十四世寛然、本堂、庫裏を再建す。今の堂宇是なり。本尊は木造聖観世音菩薩立像なり。境内にはもと天神社、弁財天、歓喜天堂在り師が今廃す。現今の堂宇には本堂、庫裏、三尺坊堂、門あり。

 成田山の末寺になる前は、西区にある「長久寺」の末寺だったようですね。そして当時の本尊は聖観世音菩薩だったことも書かれています。

名古屋二十一大師霊場を行く

 名古屋二十一大師霊場遍路の旅、二番札所「稲園山長福寺」通称「七寺」の納経を終え、名古屋市内の東西に走る「若宮大通」を東に向かい、通称「100m道路・・・今どき言わない?」を左に見ながら進んでいくと、「栄五丁目交差点」角に今回の納経先である三番札所「成田山萬福院」が見えてきます

 自分の中では「成田山=犬山」というイメージがありまして、名古屋市内に成田山の別院がある事を正直存じ上げていませんでした。ただ、犬山の成田山(成田山名古屋別院大聖寺)の創建が昭和28年なのに対し、萬福院は大正年間に成田山新勝寺より不動明王の分祀を受け成田山に山号を変更している訳で、犬山の成田山の方が歴史は短いんですね。それでもそれだけのイメージがあるということは、やはり名古屋鉄道のバックアップの力がすごかったということですかね。

 名古屋鉄道のバックアップといえば・・・2008年に廃止されてしまったので、もう10年以上昔の話になるんですね・・・。犬山遊園駅から日本モンキーパークまでの間にモノレールが運行されていた事を覚えていらっしゃいますか?。レトロな車両のモノレールが成田山の山門の前を横切って運行されてる風景は今考えるとよくこんな所をレールが通る事を許可したなとしか思えない訳ですが。

 話がかなり脱線してしまいました。
 今回納経する「成田山萬福院」の目の前には、「若宮大通」という、その名が示す通りの片側四車線の中央分離帯部分は公園になっていてその上を名古屋高速が通っている通りが走っています。さらにそんな若宮大通と南北に走る久屋大通と交差する交差点なんかを見ていると、広すぎて何本も交差点が混じっている感じがしてしまい、運転している身からすると、名古屋ってすげえなと思ってしまう訳です。しかし、これが名古屋空襲によって焼け野原になってしまった為に作られた都市計画だと思い出すと何か考えさせられてしまいますね。

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参拝記

 若宮大通沿いに鎮座している「成田山萬福院」になります。片側四車線の若宮大通と一方通行の東栄通との「栄五丁目交差点」の角に建っています。
 平成になって移転新築された本堂なので、1階部分は駐車場となっており、本堂などは二階部分となっている重層造りとなっているので、車で遍路される場合でも安心して参拝できる寺院になっています。

境内入口

 石段が続き、登り切った先に本堂の正面にでる伽藍配置になっています。重層造りになっている境内を見ると、都市型の寺院の雰囲気ですね。

手水舎・水盤

コンクリート造り瓦葺四本柱タイプの手水舎です。本堂の朱塗りに合わせて、手水舎も朱塗りになっています。柱が太く作られているので、どっしりとした印象を受ける手水舎ですね。

本堂

 入母屋造瓦葺平入の大屋根に切妻破風が設けられ、唐破風が設けられた向拝を有する本堂になります。平成になって再建された寺院の本堂の中には、現代建築の様な外観の本堂になったりする場合が散見できますが、やはり萬福院の様に古来からの姿を模した本堂のが落ち着く感じがしますね。

弘法堂

本堂前に設けられた弘法堂になります。
こちら名古屋二十一大師霊場の三番札所の本尊である弘法大師像が奉安されています。

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・

参拝を終えて

弘法堂と手水舎の間に「水かけ不動尊」が据えられていました。
まだあまり寺院を巡っているわけではないですが、かなり立派な不動尊像ではないでしょうか。

所在地を地図で確認

寺院名成田山萬福院
所在地愛知県名古屋市中区栄五丁目二六番二四号
最寄駅名古屋市営地下鉄 名城線「矢場町駅」3番出口徒歩5分

次の目的地は?

 名古屋二十一大師四番札所「摩尼山延命院」に向かいます。名古屋市の中でも屈指のビジネス街であり繁華街である錦地区にある寺院になります。名古屋城下でも碁盤の目の様に整備れた地区にある寺院でもあり、現在でもその区割りがそのまま使われているので、よく確認しながら向かわないとすぐに交差点を通り過ぎてしまいそうです。

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