寺院情報
寺院名 | 如意密山福生院 |
所在地 | 名古屋市中区錦二丁目五番二二号 |
御本尊 | 大聖歓喜天 |
宗 派 | 真言宗智山派 |
創 建 | 至徳三年(1386年) |
札 所 | 名古屋二十一大師 五番札所 金城下二十一大師 七番札所 大名古屋八十八大師 八十番札所 東海不動尊霊場 十二番札所 なごや七福神/毘沙門天 |
御朱印 | 〇 |
H P | - |
参拝日:2019年12月11日
福生院公式ホームページのご紹介
http://www.oshoden.jp/
名古屋二十一大師札所一覧
沿革・由緒
「如意密山福生院」は、真言宗智山派の寺院で、元々は愛知郡中村の地に創建された寺院を天和三年(1617年)に名古屋城下の整備の一環で現在の地に移されています。(清州城下からの移動ではないので、「清州越し」で移された寺院の中には含まれてないかと思います。)
海東郡蜂須賀村にある「連華寺」の五世「順譽」が「大聖歓喜天」を奉安する為に、愛知郡中村の地に創建したのが始まりと伝えられています。
明治四十四年に真言宗智山派の総本山「智積院」の直末寺となっていますが、それ以前は、開山「順譽」が住職を務めていた「連華寺」の末寺となっていました。
「連華寺」は愛知県あま市横須賀にある真言宗智山派の寺院で、山号を「池鈴山」としています。創建は、弘仁年間(810年 - 824年)、空海による開山と伝えられています。さらに、伝説では愛知県の矢作川にかかる「矢作橋」で豊臣秀吉(当時は木下藤吉郎)と出会ったとされる「蜂須賀小六」の菩提寺にもなっています。蜂須賀小六は豊臣秀吉の直臣として活躍し、は阿波徳島を秀吉から与えられますが、隠居の身であることと、秀吉の直臣の身分を希望した為、息子である蜂須賀家政に阿波徳島が与えられ、徳島藩の藩祖となっています。
大正四年発刊の「名古屋市史」によると、
福生院は一に福性院に作り、如意山と号す。俗に「御聖天様」という。西区袋町六丁目の北側に在り。境内二百三十五坪二合九勺あり。常法檀林一等にして京都智積院の末寺(もと海東郡蜂須賀村の蓮華寺の末なり。明治四十四年三月直末となれり。)もと愛知郡中村に在り。至徳中、蓮華寺第五世順譽の建立なり。元和中、宥傳の時、今の地に移る。萬治三年正月の火災に罹りて本尊の脇士二天の像及び大釜一口を残して宝物、古記録悉く焼失す。以来再興して、大目検地となれり。本尊は木造薬師如来坐像なり。堂宇は本堂、稲荷堂、秋葉堂、不動堂、摩利支天堂、弘法堂、庫裏、門、井戸屋形あり。元鎮守天満宮ありしが、明治初年東区山口町「神明社」の境内神社として本社東に遷座す。
大東亜戦争での名古屋空襲で再び灰燼に帰してしまいましたが、本尊大聖歓喜天像の寄進もあり、再び「袋町ご聖天」として復興を成し遂げています。
ちなみに、名古屋市内には過去「大聖歓喜天巡拝十八ヶ所霊場」という物が存在していました。当然、福生院は「大聖歓喜天」を奉安するために創建されたという歴史があるので、札所に選定されていました。しかも、一番札所です。ただ。この歓喜天巡拝霊場はもう荒廃してしまった霊場になってしまっていますね。
名古屋二十一大師霊場を行く
四番札所「摩尼山延命院」の寺前を通る「袋町通」をそのまま道なり(一方通行の為東向きにしか進めません。)に進んで、交差点を三カ所超えた左手に今回納経をする「如意密山福生院」が見えてきます。現代建築の「延命院」に対し、極力外見は従来の寺社建築を模したように建てられている「福生院」という伽藍の対比も面白い所です。名古屋の栄という繁華街のすぐ近くだというのに、参拝者用の駐車スペースが用意されているのがとてもうれしい所です。(歩行者が非常に多いので、駐車される際は、注意が必要です。)
参拝記
西尾、蒲郡を霊場とする「三河海岸大師霊場」を巡っているとよく出会った、「一間鐘楼門」ですが、朱塗りとなり、こういった市街地では中々な印象を与えていて、周囲のビルに負けない存在感だなと思うのですが。
山門

鐘楼門の山門です。本来鐘が吊り下げられているであろう場所は、現在では梵鐘は吊り下げられていないようにもみえます。この山門の手前側には、台座部分に歓喜天のイメージである「大根と巾着」が模られていますね。インターネットで「歓喜天」検索してみたのですが、歓喜天を奉安している寺院には鳥居であったり狛犬が据えられている所が多いような感想です。
手水舎・水盤

木像瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。水盤の脇には水かけ地蔵尊が安置されていますね。
この手水舎の裏?側には、
毘沙門天堂

ここ福生院は「なごや七福神」の毘沙門天の札所となっており、その札所本尊が奉安されている毘沙門天堂が据えられています。
「なごや七福神霊場」の札所は「名古屋二十一大師霊場」を遍路するとすべて回る事が出来ます。という事は、名古屋二十一大師霊場を遍路する時に合わせて「なごや七福神」を巡ると効率よく巡る事が出来るという事ですね。
なごや七福神 札所一覧
布袋尊・・・一番札所「北野山真福寺寶生院」
福禄寿・・・三番札所「成田山萬福院」
毘沙門天・・五番札所「如意密山福生院」
大黒天・・・十一番札所「如意山宝珠院」
弁財天・・・十二番札所「宝生山弁天寺」
恵比寿・・・十六番札所「天林山笠覆寺」
寿老人・・・二十一番札所「八事山興正寺」
今回は、なごや七福神の納経は行っていないのですが、名古屋二十一大師二周目を行う時はこちらも併せて納経していこうと思います。

毘沙門天堂とは別に、七福神を奉安している「七福神堂」も福生院にあります。こちらの御堂の中にも毘沙門天が奉安されています。
本堂

入母屋造瓦葺妻入りの唐破風が設けられた向拝のある本堂になります。本堂正面には、屋根付きの「常香炉」が中々趣きのある雰囲気を出しています。
「歓喜天巡礼霊場」がまだ稼働していればここが札所になるはずなんですが。
大師堂

本堂と相対するように建っている宝形造の屋根の大師堂になります。当然、こちらが名古屋二十一大師霊場を始めとする弘法大師霊場の札所になります。
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・
不動尊堂

ちょっとピンボケ気味ですが、こちらが東海三十六不動尊霊場の札所となる「不動尊堂」となります。この不動尊堂の脇堂?には「出世天神」と「秋葉三尺坊」が奉安されています。
六地蔵堂

六角形の重層塔の様な御堂には「六地蔵」が奉安されています。
この写真でみる福生院の雰囲気はとても自分好みだったりします。(奥に見える大きな建物は庫裏になります。)
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参拝を終えて

四国八十八ヶ所霊場と日本百観音(西国観音、秩父観音、坂東観音)霊場の御砂踏み場になります。各札所の納経印が刻まれたこういった物をなんと呼べばいいのでしょうか。
いつかは本四国弘法大師霊場を巡ってみたいですね。
所在地を地図で確認
寺院名 | 如意密山福生院 |
所在地 | 名古屋市中区錦二丁目五番二二号 |
最寄駅 | 名古屋市営地下鉄 東山線・鶴舞線「伏見駅」東口徒歩4分 |
次の目的地は?
福生院の納経を終えた時点で午後1時近くになってしまった為、六番札所である「東岳山長久寺」方面に向かってしまうとタイムリミットまでに自宅に帰れそうにもないので、ここで自宅に向かいつつ、道中にある札所を時間が許す限り納経していこうと思います。遍路初日にしてすでに札所順で納経しようかなとひそかに思っていた「野望?」が潰える事に・・・
名古屋21大師霊場を行く

二十番札所「普照庵龍福寺」を納経していきます。元々八事にある「興正寺」が女人禁制だった為、女性でも参拝できるようにと高野山母寺として開創された寺院なんだとか。
名古屋21大師霊場を行く-寄道遍-

「泥江縣神社」を参拝していきます。こちらの神社は、個人的にお世話になった方が祢宜を勤めていらっしゃる神社になります。今回、近くまで来たので参拝させて頂きます。