寺津八幡宮と国道247号線を隔てた東側に建っているのがこの妙光寺になります。金剛院の紹介の際に見てもらった古地図にも妙光寺の名を確認することができます。
地図上部中央に妙光寺と書かれています。
寺津八幡宮と妙光寺は想像するに一体の関係だったんじゃないかなと思っています。現在妙光寺の安置されている西尾市指定文化財である「薬師如来坐像」なんですが、元々は寺津八幡宮の宮司である渡辺家にて保管されていた物だそうで、明治政府の神仏分離政策の際、この妙光寺に安置されるようになったそうです。
寺院情報
寺院名:法海山・竜護院 妙光寺
鎮座地:愛知県西尾市寺津町東市場6番地
本 尊:阿弥陀如来
宗 派:浄土宗西山深草派
創 建:不明
H P:浄土宗西山深草派「総本山誓願寺」妙光寺紹介ページ
札 所:三河海岸弘法 六十番札所
札 所:吉良西国観音 九番札所
札 所:(旧)三河新四国 三十番札所
由緒
当寺創立および由緒等は宝暦11年(1761)5月3日夜火災のため、本堂庫裡その他書類全部焼失して不明なれども、開山了存上人の入寂は文明元年(1469)5月9日なれば、その以前の建立なること明かなり。 その後15世典空代明和2年(1765)2月本堂再建し漸次庫裡書院その他諸堂完備し、明治20年(1887)4月第24世大空代に至って、寺格を准檀林に昇進して今日の隆盛を見るに及ぶ。
浄土宗西山深草派「総本山誓願寺」
妙光寺紹介ページより
参拝記
寺津八幡宮を参拝中に、境内から国道247号線越しに本堂が見えていて、もしかしたら、八幡社と何らかの繋がりがあるかも?と思って参拝してきました。
妙光寺境内入口になります。
神社と違う寺院独特の入口の雰囲気ですね。
この妙光寺の山門は薬医門です。
この薬医門なんですが、寺院だけでなく、城郭や邸宅にも使われていた汎用性のある門になりますね。自分が幼少の頃、親が見ていた時代劇などで、奉行所などに出入りする際、大きな門が空くことなく、脇の小さな勝手口の様な戸から出入りしてして、なんで門は開かないの?と思ったもんですが、薬医門の特徴は、この門の脇に設けられた戸の存在だと言われています。
まあ・・・戸のない薬医門もたくさんあるんですけどね・・・。
山門脇には、吉良西国第九番札所の石碑。
この石碑の裏側には
海岸弘法六拾番札所の石碑も据えられています。
前回紹介した金剛院も観音霊場と大師霊場の札所になっていましたし、この寺津地域は、観音信仰と大師信仰が非常に熱心な場所なんでしょうね。実際、また後日紹介しますが、街のいたるところに大師堂や地蔵堂があったりして、正直びっくりしました。
門をくぐり、左手にあるのが
お墓参りの方たちの水くみ場所も兼ねた手水舎になります。
向拝の設けられた寄棟造の本堂になります。
この本堂に、先述した西尾市指定文化財の説明が掲げられています。
一般的な鉄製の案内板も設置されているのですが、写真の様な案内板のが味があって寺院に合っていますよね。
ところで、境内を見て回っていたら、予想外の物に出会う事が出来ました。
秋葉山常夜燈
灯籠か~って別段何も思わず、むしろ後ろに立っている石に何か彫られていて、何だろうと近づいて行ったんですが、よくよく読んでみたら「秋葉山常夜燈」と彫られていました。
常夜燈データ
種 別 | 秋葉山常夜燈 | 建立年月 | 不明 |
設置場所 | 愛知県西尾市寺津町東市場6番地 法海山・竜護院 妙光寺 境内 |
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形 状 | 立型(宮前型) 土台石一段 | ||
竿部刻印 | 正面「秋葉山常夜燈」左面「読取不可」 | ||
台石刻印 | - | ||
火袋台石刻印 | - |
常夜燈の後ろ側には、庚申と彫られた石が置かれています。
今でこそ全国的にもかなり廃れてしまった庚申信仰なんですが、この寺津ではその昔、かなり熱心に信仰されていたんでしょうね。
境内の片隅にて発見しました。よくよくみると、なかなか怖い顔してますね。
この妙光寺のすぐ東隣に養国寺という何やら徳川家康が関係してくる寺院があるそうですので、そちらに向かってみることにします。
三河海岸大師霊場
第六十二番札所
金剛院