歴史探訪
西郡松平氏の陣屋跡を訪れ、近くを散策してみました。
蒲形神社の南側には東西に"平坂街道"と呼ばれる街道が通っていました。
平坂街道とは?
東海道の小坂井から分岐し、平坂湊へ向かう約40kmほどの街道になります。
三河湾岸の特産品の運ぶ重要な通商路だったそうです。特に三河湾は製塩業が重要な産業であり、塩の流通をささえる街道だったとも言えます。
その平坂街道沿いに、秋葉常夜燈と共に十王堂が建っていたので紹介します。
参拝記
旧平坂街道である蒲郡市道沿いに、秋葉山常夜燈と共に、十王堂と言われる御堂が建っています。
御堂自体がちょっと奥に入っている感じですので、気づかずに素通りしてしまっているかもしれませんね。
竹谷から三谷、大塚方面に抜けるのによく通っていた道路なんですが、国道247号線の新道が完成して通る機会が減ってしまった感があります。実際、車で通っていた時、ここに十王堂があるとは全く気付かなかったので、注意深く走ってみてくださいね。
御堂の前には石柱が二本建っています。
「保内十番、十一番聖観世音菩薩」と彫られています・・・。
十番、十一番とな。
というか、そもそも「保内」とはどこを指すのでしょうか・・・。Google先生に訪ねても愛媛県八幡市保内とかしか出てきません。石碑を読む限りでは観音霊場の一つだとは思うのですが、十番、十一番札所にこの十王堂もしくはこの地名で出てくる霊場に行き当たりませぬ。
忘れさられた弘法大師霊場はとんでもない数になると聞いたことがあるのですが、観音霊場もすでに廃れてしまい、情報が残っていない霊場も多そうですね。
で、こちらが石柱に彫られていた"聖観世音菩薩"だと思われます。
ふくよかな優しいお顔をされている観音様だなと思います。
そして、もう一本の石柱には、「大手門門址」と彫られています。
大手門・・・
考えられるのは、蒲形陣屋の表門がここにあったのではないかという事ですね。
確かに、陣屋の表門が平坂街道に面していてもまったく問題ないですしねえ。
となると、ここの場所には・・・
この門が建っていたことになりますね。
蒲郡市博物館に復元されている大手門、説明板にも十王堂附近にあったと書かれています。
行き当たりばったりの歴史探訪ですが、こうやって色々な場所が繋がっていくのはとても楽しいですね。
入母屋造妻入りの向拝が設けられた御堂になります。
参拝した日は扉が空かず、外からの参拝となりました。
十王堂というからには、中には閻魔大王様がいるのかな?
次の目的地は
更に散策と続けていると、陣屋跡地と十王堂の間くらいに弘法堂を見付けました。
弘法霊場を回っているので、何となく「南無金剛遍照金剛」の幟をみると立ち寄ってしまいます。