江南市

嫩桂山久昌寺(愛知県江南市小折)

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

ONE POINT

 織田信長の側室「吉乃」の生家である「生駒氏」の菩提寺として、織田家、豊臣家、徳川家からも庇護を受けていた江南市にある嫩桂山久昌寺の紹介です。残念ながら令和三年に廃寺となり、令和四年に伽藍の取り壊しが行われ跡地は公園となる事が決定しています。

寺院紹介

寺院概要

寺院名嫩桂山久昌寺
所在地愛知県江南市田代町郷中五十一番地
創 建曹洞宗
宗 派伝:元中元年/至徳元年(1384年)
御本尊釈迦如来

霊 場

霊 場布袋二十一大師 三番札所
(元祖)尾張七福神 弁財尊天
前札所霊 場次札所
桜雲山常観寺布袋二十一大師霊照山観音寺

元祖)尾張七福神

大正七年(1918年)開創されたという江南市・岩倉市を霊場とする尾張七福神霊場。現在では色々な情報サイトを見ると(元祖)尾張七福神と元祖がついているが、霊場名は「尾張七福神」で開創した様です。

恵比寿天勅願山長幡寺:江南市赤童子町
寿老善神一見山道音寺:江南市五明町
布袋善神金剛山宝蔵院:江南市布袋下山町
弁財尊天嫩桂山久昌寺:江南市田代町
福禄壽天円通山稲原寺:岩倉市石仏町
毘沙門天信貴山宝生寺:岩倉市本町
大黒天神心光山徳岩院:岩倉市中本町

文化財

国 宝
国指定
県指定
市指定
町指定
村指定
生駒家石像群

参拝情報

御朱印
URL
駐車場
参拝日2022年2月9日

御由緒

 伝承によると、創建は至徳元年(1384年)八月とある。浄珍首座がこの地を訪れ、土豪「林朝忠」の寄進により禅喜寺を草創したという。その後、浄珍と朝忠は能登諸嶽山如意庵主実峯良秀大禅師を招き、嘉永元年(1387年)寺号を慈雲山龍徳寺に改称した。

 その後、大和国より生駒家広が移住し、父の菩提を弔う為、龍徳寺を再営、生駒氏の菩提寺とした。その後、生駒氏三代家宗の娘(娘の名は不明だが広く知られているのは吉乃)が織田信長の側室となり伝承では「信忠、信雄、徳姫」を産むが永禄九年(1566年)五月十三日病没、久庵桂昌大禅定尼と号し当寺に葬られた際に曹洞宗に改宗、山号を嫩桂山、寺号を久昌寺と改称し中興開山し久庵桂昌大禅定尼の香華寺とした。

 織田信長は織田信雄に命じ、香華料として六百六十石を寄進。文禄四年(1595年)に豊臣秀吉がそれまでの社領に従い同じ石高の朱印状を与えていたが、慶長六年(1601年)に徳川忠吉は社領を二百石に改めた。

久昌寺の末寺

 久昌寺の末寺は廃寺となった塔頭「良桂院」を含め十ヶ寺、孫末が五ヶ寺あったという。久昌寺は中興開山の時に曹洞宗に改宗した事により万松寺との関係が強くなり、万松寺の末寺となっています。

万松寺 ━ 久昌寺 ┳ 良桂院(塔頭:廃寺)
          ┣ 般若寺(小折)━ 薬師寺(小折)
          ┣ 常観寺(小折)━ 大日寺(小折)
          ┣ 松若寺(小折)━ 秋葉寺(寄木)
          ┣ 道音寺(五明)━ 法林寺(五明)
          ┣ 稲原寺(岩倉石仏)
          ┣ 常昌寺(小牧西ノ島)━ 高徳寺(一宮千秋町)
          ┣ 洗圓寺(岐阜県瑞浪市)
          ┣ 観音寺(宮田)
          ┗ 秋葉寺(葉栗郡黒田)

久昌寺十四世以来(明治時代以降)、久昌寺の住職は末寺であった般若寺と常観寺の住職が輪住する事となった。

  • 至徳元年(1384年)八月、「禅喜寺」創建
  • 嘉永元年(1387年)、寺名を「慈雲山龍徳寺」に改称
  • 年頃、生駒氏により再興
  • 永禄九年(1566年)、曹洞宗に改宗のうえ、寺名を「嫩桂山久昌寺」に改称し中興開山

 令和三年(2021年)、伽藍の老朽化、檀家の現況を理由に廃寺(宗教法人の解散)が決定され、令和四年(2022年)に解体が決定された。跡地は江南市が買い取り、生駒家石像群の整備を含めた公園化される予定。

参拝記

 久昌寺の境内の一部は廃寺が決定される前から江南市との協議が行われていて「久昌寺公園」として整備が進められていた様であんだか寺院らしからぬ境内の雰囲気となっています。

境内入口

 境内が公園化されているので、正直どこからでも境内に入れてしまうので、あまり境内入口を意識しないかとおもうのですが、寺号標、そして敷設されたコンクリートが本堂まで通じているこの正面となる場所がやはり久昌寺の境内入口になるかと思います。ただ、廃寺が決定されてから久昌寺が管理していた場所はまったくの管理が行われなくなったようで、木の選定だけでなく冬なので枯れ草が伸び放題となってしまっていました。逆に、同じ敷地なのに江南市が管理している公園部分は管理がしっかりと行われていてその格差を見ると廃寺を改めて実感してしまうわけですが。

鎮守社

 赤い鳥居を有したたぶん稲荷社だと思われる久昌寺の鎮守社になります。まだ御神体は鎮座しているのかな?

本堂

 入母屋造瓦葺平入の向拝が設けられた本堂になります。廃寺が決定される前までは扁額が掲げられていたそうなのですが撤去されています。御本尊とかの仏像は既に移設されているのか、まだこの本堂で安置されているのかは不明です。

 本堂、玄関、庫裏という寺院建築では一般的な配置なのかなと思います。

 江南市史を読むと、久昌寺の檀家数が「7戸」と書かれていました。明治時代になるまで、幕府の庇護を受けていた久昌寺は生駒家の為の寺院という位置づけだった様で、明治維新になり朱印地も没収されてしまうと一気に寺院の運営に困窮してしまっていたようです。こうして幕府や藩などの庇護を受け、ある家の菩提寺という位置づけでその家以外の檀家が殆どいない寺院は明治維新以降廃寺となってしまった所が非常に多い中、久昌寺は令和の時代まで存続できたのは檀家の方は勿論、地元の協力があったからこそなのでしょうね。

御朱印

廃寺となってしまった為、久昌寺では御朱印の取り扱いはありません。

生駒氏石像群

 久昌寺の本堂の脇には、この久昌寺の大檀那であった「生駒氏」の歴代当主の墓石が立ち並ぶ江南市の指定文化財となっている「生駒氏石像群」があります。次回はこちらを紹介していきます。

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所在地を地図で確認

寺院名嫩桂山久昌寺
所在地愛知県江南市田代町郷中五十一番地
最寄駅鉄道:名古屋鉄道犬山線「布袋駅」徒歩18分
バス:

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。

少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。

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