寺院情報
寺院名 | 金照山大智院 |
所在地 | 知多市南粕谷本町一丁目一九六番地 |
御本尊 | 聖観世音菩薩 |
宗 派 | 真言宗 |
創 建 | 不詳(伝承では聖徳太子創建) |
札 所 | 知多四国霊場 七十一番 知多西国観音 十八番 大野谷廿一大師 十二番 尾張観音 十番 東海不動尊 二十二番 |
御朱印 | - |
H P | 〇 |
参拝日:2018年11月14日
金照山大智院公式ホームページのご紹介
http://www.daichiin.jp/index.html
知多四国霊場札所一覧
弘法大師八十八ヶ所霊場 | |||
=尾張地方= | ●知多四国 | ●四国直伝弘法 | 知多本四国移 |
尾張新四国 | 大名古屋八十八 | ||
=三河地方= | ●三河新四国 | ●三河准四国 | (旧)三河新四国 |
三河海岸大師 | 東三新四国 | 西加茂北部新四国 | |
弘法大師二十一ヶ所霊場 | |||
=尾張地方= | ●名古屋廿一 | ●西春北部廿一 | ●御母公廿一 |
扶桑廿一 | 光明廿一 | 岩倉廿一 | 布袋廿一 |
古知野廿一 | 常滑郷廿一 | 大野谷廿一 | 嶋崎廿一 |
知多西浦廿一 | |||
=三河地方= | ●豊鳳廿一 | 三河海岸廿一 | 渥美廿一 |
弘法大師霊場(三弘法) | |||
=尾張地方= | ●名古屋三弘法 | 尾張三弘法 | 大名古屋三弘法 |
扶桑三弘法 | 布袋三弘法 | 丹陽三弘法 | 知多三弘法 |
=三河地方= | ●三河三弘法 | 知立三弘法 | 額田三弘法 |
東三河三弘法 |
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観音三十三ヶ所霊場 | |||
=愛知県全域= | ●愛知梅花観音 | ||
=尾張地方= | ●尾張観音 | ●城東西国観音 | ●知多西国観音 |
●南知多観音 | 尾張西国観音 | 知多坂東観音 | 知多秩父観音 |
=三河地方= | ●三河観音 | ●三河白寿観音 | ●穂の国観音 |
●豊橋西国観音 | 三河西国観音 | 西条吉良観音 | 東条吉良観音 |
三河坂東観音 | 三河秩父観音 | 岡崎西国観音 | |
その他観音霊場 | |||
=尾張地方= | 知多百観音 | 名古屋百観音 | 知多六地蔵 |
くるま六地蔵 | 尾張六地蔵 | 尾張国六地蔵 | 府下六地蔵 |
知多六観音 | 知多十二薬師 | ||
=三河地方= | 東三河十八薬師 | 東三河廿四薬師 | 渥美半島観音 |
三河三観音 | 三河三薬師 | 岡崎三十六地蔵 | 善光寺三河願所 |
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その他の霊場 | |||
=尾張地区= | ●尾張三霊場 | ●鳴海宿十一寺 | ●法然知多二十五 |
法然新尾張二十五 | 野間開運 | 南知多円空三佛 | |
=三河地区= | ●三河三封寺 | ●三河三不動 | 法然三河二十五 |
三河十二支 | |||
広域霊場 | |||
東海不動尊 | 西方四十八願所 | ||
七福神霊場 | |||
=尾張地区= | 尾張七福神 | 高蔵寺七福神 | なごや七福神 |
大府七福神 | 南知多七福神 | ||
=三河地区= | 三河七福神 | 吉田七福神 | 東海七福神 |
名数 | |||
=尾張地区= | 知多三山 | 名古屋三大仏 | |
=三河地区= | 三河七御堂 | 西郡四大寺 | 西郡五社 |
饗庭三社三箇寺 | 三河三白山 |
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沿革・由緒
金照山清水寺大智院は、聖徳太子の開基で、本尊「聖観世音菩薩」、前立「馬頭観世音菩薩」を安置する名刹です。文明二年、寺内の興隆をはかり、次いで明応七年紹長和尚の時に、大野・宮前城主の佐治伊賀守為永公の祈願所となりました。当初は「楊柳山」と号していましたが、天正年間の戦乱にも兵火のかかることを免れたことから、元禄五年に「金照山」と改め 現在に至っています。
「身代大師」とは、弘法大師が知多巡錫のとき、大智院にて、「我を帰依する者、一切の罪を消滅し、諸の有情を安楽しらしめ、 業病難病を解脱す、福力常具足し、穀麦財宝ことごとく皆の意の如く得せしめ、悪業煩悩の心を開眼せしむべし」と 自らの尊像を残されたもの。
安政年間、盲目の老翁が身代大師に一心におすがりしたところ目が見えるようになり、大師に自分の眼鏡を残したことから 「めがね弘法」と呼ばれています。
大智院公式HP「大智院の歴史」より
知多半島を治めていた"一色氏"の勢力が衰え始め、その一色氏の家臣であった「佐治氏」と「戸田氏」が相次いで独立を果たします。佐治氏は知多半島の「大野城」を拠点に一説には三万石とも六万国ともいえる勢力を有していたと言われています。由緒に出てくる「佐治伊賀守為永」は一色氏の代官としてこの地を納めていた武将であり、息子の「佐治駿河守左馬允宗貞」が大野城を掌握し一色氏より独立をしています。
因みに、佐治氏の菩提寺は、国宝「慧可断臂図」で有名な大野にある「齊年寺」になります。
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/suibokuga/item06.html
参拝記
国道247号から一本内陸側を南北に通る市道沿い(中々説明が難しいですが・・。)に大智院の看板、知多四国霊場の幟、さらに電柱にも札所案内看板が設けられている路地があります。
看板にそってこの路地に入っていくと、大智院境内裏側に設けられている駐車場に行く事ができます。大智院正面側は非常に道が狭い為、ここ駐車場にとめて歩いて山門側に向かう事になります。
山門
袖壁が設けられている薬医門の山門になります。
山門前の幟立石には「南無大師遍照金剛」と書かれた幟がはためいています。
その山門の脇には・・・
「新四国七十一番弘法大師」と彫られた知多四国霊場札所案内石柱が据えられています。
本堂
入母屋造瓦葺妻入りの向拝が設けらえた本堂になります。
御本尊の聖観世音菩薩は秘仏で厨子の中に安置されていますが、前立仏「馬頭観世音菩薩」は、知多西国三十三観音霊場、尾張三十三観音霊場の札所本尊になっています。
馬頭観世音菩薩の御真言は
「おん あみり と どはん ば うん はった そわか」
なんだそうです。この御真言を参拝の際唱えた方が良いかもと聞いて、唱えようと思うのですが、毎回詰まったってしまい切って貼った様な感じでしか唱えられないのですが、そもそもどういった感じで唱えればいいのかすら知らないので仕方ないなと思ってはいるのですが、流暢に聞こえるような唱え方ってあるものなんでしょうか・・。
大師堂
寄棟造瓦葺平入の大師堂になります。大棟に取り付けられている「鴟尾(しび)」に目が行きます。何となくこの「鴟尾」は奈良時代ぐらいの建物に取り付けられているイメージがあります。東大寺の大仏殿のイメージが大きいかもしれませんが。
大智院の大仏殿は、本殿に比べて非常に大きくなっているのも特徴ですね。中央に弘法大師像、向かって左側には成田不動尊が奉安されています。
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」
「めがね大師」と呼ばれている大師像だけあって、まさにそのお姿はメガネ・・・というか「サングラス」を掛けられている様に見えます。
自分も、近眼&乱視なので、少しでも御利益があるといいなと納経させて頂きました。
御朱印
参拝を終えて
大智院の玄関前には、「御守護大師二十一弘法大師像」が奉安されています。
他で見かける大師像とは異なり、ここ護国大師は右手に剣を持たれていますね。たぶん、この銅像が守護大師像であり、守護大師像を囲むように置かれている石造の大師像が二十一大師になると思われます。
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やはり、旅先の情報はネット検索もいいですが、るるぶなどの旅行ガイド雑誌が一番ではないかなと思います。ネット情報はどうしてもディープになりがちで、いざ旅行に行こうと思っても、俯瞰的な情報が不足しがちな気がします。 やっぱり、"るるぶ"を見ながら、旅の予定表を作っていくのも、旅行の醍醐味ですよね。
所在地を地図で確認
寺院名 | 金照山大智院 |
所在地 | 知多市南粕谷本町一丁目一九六番地 |
最寄駅 | コミュニティ交通 あいあいバス「新海東バス停」徒歩4分 |
寺院・霊場巡りの際のバイブルに
元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。
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少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。
次の目的地は?
知多四国霊場七十二番札所「白華山 慈雲寺」を目指します。慈雲寺がある知多市岡田地区はいまでも昔の街並みが残っている場所で、周りを散策するのも楽しみな場所ですね。