ONE POINT
織田信長の側室「石乃」の生家である生駒家の歴代当主の墓石が江南市内に点在しており、江南市では「生駒家石像群」として市の指定史跡にしていしています。
史跡概要
史跡名 | 生駒家石像群(墓碑 計三十五基) |
所在地 | 【久昌寺墓地】江南市田代町郷中地内 【宝頂山墓地】江南市小折町八反畑地内 【清水山墓地】江南市小折町八竜地内 【田代墓地】 江南市田代西ノ丸地内 |
指 定 | 江南市指定史跡 |
指定日 | 平成二十五年十月三十日 |
最寄駅 | 電車:名古屋鉄道犬山線「布袋駅」徒歩10~20分 |
訪問日 | 2022年2月9日 |
村基山薬師寺(愛知県江南市北山町)
江南市北山町にある曹洞宗の寺院である「村基山薬師寺」の紹介になります。江南市史では、江戸時代の創建の寺院であるとし、現在本堂前には切支丹石灯籠が据えられているとしています。布袋二十一大師、尾張国四郡大師
丹羽山本曽寺(愛知県江南市曽本町)
江南市曽本町に建つ曹洞宗の「丹羽山本曽寺」の紹介です。江戸時代に創建された寺院であり、境内入口には「足止め六部さん」の看板が設置されています。布袋二十一大師、尾張国四郡大師
神明社(愛知県江南市曽本町)
江南市曽本町に鎮座する神明社の紹介です。詳細は不詳なんですが、江戸時代には曽本の集落には神明社の他に天神社が鎮座していた様で、現在では天神社は神明社の境内社となっています。
八剱社(愛知県江南市北山町)
名鉄布袋駅近くに鎮座する「八剣社」の紹介です。創建時期は不詳ですが、元々は石作神社という尾張国造の祖「火明命」を御祭神とする神社だった様ですが室町時代に八剣社に改称したみたいです。
仙境山松岩寺(愛知県江南市布袋町)
名古屋鉄道犬山線の布袋駅から北に2~3分歩いた場所に建つ曹洞宗の仙境山松岩寺の紹介です。明治七年に緝煕義学校がおかれ、児童教育の場となった寺でもあります。布袋二十一大師霊場
訪問記
久昌寺墓地
江南市田代町にある生駒家の菩提寺である「嫩桂山久昌寺」の境内に生駒家初代「生駒家広」から歴代の墓碑が立ち並ぶ「久昌寺墓地」があります。
特に、令和になってから久昌寺の廃寺から取り壊しの報道が行われる様になり、久昌寺と並び脚光を浴びているのがここ久昌寺墓地なのかなと思います。ここ久昌寺墓地には織田信長の側室であった「吉乃の方」の墓石があるという事で「織田信長の側室「吉乃の方」所縁の久昌寺が廃寺解体へ」なんて感じで報道されていました。
久昌寺は生駒家の菩提寺であったことからその境内に生駒家の歴代当主の墓碑が立ち並んでいることは先にも述べましたが、特に、生駒家初代から四代目と吉乃の方の墓碑が基壇の上に立ち並ぶこの写真を一連の廃寺報道の中で見たという方もおおいのでは。
この五基の墓碑の一番右に建つ墓碑が織田信長の側室である「吉乃の方」の戒名である「久菴桂昌大禅定尼」が刻まれています。久昌寺は久菴桂昌大禅定尼を弔う為に寺号を「慈雲山龍徳寺」からその戒名から「嫩桂山久昌寺」に改称している事からも、歴代生駒家の墓碑の中でも特別な存在なのではないでしょうか。
廃寺と決定されてから管理が行き届かなくなってしまったのか、自分が参拝した時は、墓地全体を枯れ草が覆ってしまっている状態でした。こういった状態をみてしまうと、廃寺は残念ですが早く江南市による管理保存してもらった方がいい感じがします。ただ、市の管理となってもいつまでこの姿で保存してもらえるのかは不明だったりしますが。
宝頂山墓地
久昌寺墓地から北東に進んだ場所に生駒家四代目家長夫妻、五代目利豊夫妻、十代目周房の墓碑が並ぶ「宝頂山墓地」があります。
奥の二基の五輪塔が四代目家長夫妻の墓石、そいて一番手前の墓碑は十代目周房の物になります。中央に並んでいる家形の石廟が五代目利豊譜代のものになります。
特に五代目利豊夫妻の家形の石廟が目を引きます。江南市の説明書きでも江南市では唯一の物とかかれており、非常に珍しい墓石の形であることがわかります。当サイトとしても石廟自体を紹介した事があったかな・・・。
清水山墓地
生駒家六代生駒利勝の墓碑があります。
田代墓地
久菴桂昌大禅定尼の墓碑がありますが、この場所で久菴桂昌大禅定尼は荼毘に付され、その死を哀れみ、小牧山に向かって墓碑が建てられたと伝えられています。
この武功夜話の中に生駒家の事が登場してきますので、是非読んでみて下さい。